第十九話 トゥール・ポワティエ間の戦い 後編
魔王軍による砲撃は、苛烈の一言に尽きた。
二十四の砲撃の着弾地点に位置していた騎兵隊は束になって消し飛び、周りの多くの騎兵たちが怯んで足を止めた。
「魔王だ!! フランク軍には魔王がいる!!」
イスラム軍司令官のアブドゥルは、恐慌状態に陥った騎兵部隊をなだめるために全力を尽くした。そうせざるをえなかった。突撃はもう始まってしまったのだ。止めることはできない。引き返すことはできない。危険を知りつつも、アブドゥルは自ら親衛隊を率いて、共に突撃に参加した。部隊を鼓舞するために、身を挺したのだ。
対する丘の上のフランク軍重装歩兵は、密集隊形を取っていた。
引いては寄せる波の如きイスラム騎兵の突撃に、彼らはただ耐えろと命じられていた。
陣形の中央にはシャルル・マルテル国王が居る。その隣には、宰相メルローと、その息子ウィルが居た。前衛が逃げれば隊形は崩壊する。隊形が壊れれば陣形は瓦解する。国王は死ぬ。そうなればこの国は終わりである。
「ただ、耐えよ」
その指令は実感を伴って重装歩兵たちに伝達された。合わせて三万の盾は騎兵の突撃をよく防いだ。無敵のイスラム重騎兵を除けば、騎兵たちの突撃はそこまで強いものではなかった。騎兵の多くはフランク王国重装歩兵と相打ちになった。
昼を過ぎたころ、フランク軍の陣地から赤い狼煙が上がった。フランク王国軍の隠し球、フランク王国騎兵隊に、突撃命令が下ったのである。
宰相メルローは我が子のような騎兵隊によく言っていた。
「正面からではなく、横合いから思い切り殴り倒す。お前たちはそのためにいるのだ」
騎兵隊は鐙に足をかける。その戦訓が、まさに現実になろうとしていた。
一方、そのころ魔王たちは何をしていたのか。それは怪我人の回復であった。足手まといになるくらいなら捨てていく。そんな野蛮な時代に、彼らは賢者として修道院の者たちに医療の大切さを説いたのである。
「主イエス・キリストは癒しの御業を得意とされておられた。ならばキリストを信仰する我らに、怪我人の治療が、病人の介抱ができぬことがあろうか。そのための準備と努力をせずして、何のためのキリスト教徒か」
大司教サヴァンは修道院の武装兵たちに魔王軍の護衛を命じていた。
「『修復〔レストア〕』!『修復〔レストア〕』!『修復〔レストア〕』!『修復〔レストア〕』!」
魔王たちは担架で運び込まれた負傷兵たちに、回復魔法を連打してまわる。
折れた足が治る。千切れた指がくっつく。震える者は立ち直る。それはまさしく奇跡の連続であった。
サヴァンは皆を鼓舞するために叫んだ。
「分かるか? これはキリストの御力だ。これがキリストの御業だ。我々は神の僕、神の軍勢なのだ! イスラム騎兵隊は悪魔! 悪鬼どもだ! もはやどちらが勝つかは分かりきったことだ! 戦列を崩すな! ここを守れ! あそこを守れ! 全ての盾は祝福されよ!」
魔王によって癒された者たちは、嬉々として戦場に舞い戻った。次の防御のために。次の次の防御のために。
イスラム軍司令官のアブドゥルは理解できずにいた。この熱狂は何だ? この絶叫は何だ? 我々は数に勝っていたはずではなかったか? ただ正面からぶつかり合えばそれで勝利できるのではなかったか? だというのに、フランク軍のこの力強さは何だ? フランク軍のこの士気の高さは何だ? 「何か」が起こっている……いったい何が……
「アブドゥル!! アブドゥル司令官殿!! 騎兵隊が!! 側面からフランク軍の騎兵隊が突っ込んできます!!」
報告を受けた時には、もはや手遅れだった。親衛隊は側面から打撃を受けて壊滅した。いままさに日が沈まんとする夕暮れに、イスラム軍の司令官は討ち死にした。残されたのは、頭を失った有象無象であった。
その夜、イスラム軍は死傷者を打ち捨てたまま、撤退を開始した。フランク王国軍は、数に劣るこの戦いにおいて、辛くも勝利を手にしたのである。