第十話 紙の発明
一ヶ月の時が流れた。太陽が上り、サヴァンはパリのある修道院を訪れていた。
「紙」「紙」「紙」
サヴァンはそう取り憑かれたように呟いている。
四賢者たちの言う通りに、樹木の外皮を剥ぎ取り、白皮を煮て紙漉きの作業すると、確かに木から紙を作ることが出来た。まだ今のところ生産コストは高く、品質も完璧とはいえないが、職人が習熟し、数を作れれば原価は低く抑えられるだろう。
「聖書編纂事業の進捗は?」サヴァンは問う。
「ようやく終わりに近づいた、といったところです。サヴァン様」金髪のヘレンが答える。
「そうか……」サヴァンは複雑なため気を吐いた。
「何か問題でも? これを教会の図書館に収めれば我々の仕事は終わりになるのでは?」
写生のヘレンが確認する。サヴァンは無言である。
「違うんですか? これで終わりではなく、まだ何か別にやることが?」
「これより、聖書の編纂にあたって、いくつかの重大な決定を下す。教会図書館長サナリアを呼んできてくれ。これは私の独断ではできないことだ」
「は、はい」ヘレンは席を立つ。
「紙」「紙」「紙」
サヴァンは忌々しげに呟く。
圧搾機から取り出したそれは、上等な羊皮紙と遜色が無いように見えた。インクが多少にじむが、許容範囲内だ。
「「売るのではありません。配るのです」」
賢者ヨシノブの言葉が頭から離れない。
編纂した聖書を図書館に収める。確かにそれは神聖な仕事だったはずだ。
だが、各地の修道院に写本を作らせたら? キリスト教はもっと広まるのではないか? 主イエス・キリストの御名を三千世界に轟かせることができるのではないか?
「紙」「紙」「紙」
サヴァンは数枚の紙を持参していた。そのうち一枚を取り出し、ヘレンのインクを借りて羽ペンを走らせる。
<聖書写本大増刷計画。全ての者に神の御言葉を>
馬鹿馬鹿しい。サヴァンはその紙を丸めて捨てようとして、思い直す。
教会図書館長を務める老修道女サナリアが現れたのは、そんな時だった。
「サヴァン。今日は一体何の用事ですか。ええと、これは羊皮紙……ではありませんね。パピルスとも違う。これは何です? 一体『何に』文字を書かれているんですか? サヴァン」サナリアは言う。
「ある若い賢者の夢物語だ」サヴァンは侮蔑したように言う。
「賢者? 夢物語?」サナリアは問いかける。
「真面目な話だと思わんでくれよ。その男は、この世の修道院全てに聖書を配るつもりでいるらしい」
「修道院全てに……全ての都市にですか? 無茶です!」
「ああ無茶だ。羊皮紙は高すぎる。写生の数は足りなさすぎる。だがそれを可能にする方法、手段は持ってきた。紙だ」
「紙? 紙とは?」サナリアが問う。
「パピルスでもない。羊皮紙でもない。植物の繊維から作った新しい発明品だ。いずれ値も下がる」
「聖書写本大増刷計画。全ての者に神の御言葉を!」
ヘレンが紙を広げ、書かれた言葉を歌うように読み上げる。
驚いたサナリアは紙を見て言った。
「この紙はにじみます。聖書には向きません」「それはこちらで技術的になんとかする」サヴァンは答える。
「問題は『できるかどうか』だ。現在の教会直轄領は少なく、採算の取れている修道院は少なく、全ては火の車だ。写生を雇うだけの余裕は、とてもない。だが私は『できる』と信仰している。紙は売れる。間違いなく売れる。そしてキリスト教はこれより攻性の集団となる。聖書を書かせ、読ませ、万人に広めるのだ!」
それでこそあの賢者どもの鼻を明かすことができる。サヴァンはそう思う。
「では、キリスト教を国教化するという話も本当なのですか」「ああそうだ。それでこそフランク王国は真の神の国になる!」
「この紙、意外と書きやすいですよ」空気を読まずにヘレンは言った。