『関係ないでしょ』
同棲した時、沙織は健一に言った。
「お給料は私が管理するね。その方が家計管理しやすいから。」
健一は頷いた。
「任せるよ。」
それから結婚し、二十五年。
健一は、お給料の入る口座の通帳とカードを沙織に渡していた。
家のことは妻。
お金のことは妻の方が詳しい。
そう思っていた。
だが、健一が何か聞こうとすると、いつも同じ返事が返ってきた。
「大丈夫だから。」
「貯金はあるの?」
「あるって言ってるでしょ。」
「住宅ローン、あとどれくらい?」
「あなたは仕事だけしてればいいの。」
最初は、信頼されているのだと思った。
自分が稼ぐ。
妻が守る。
それが夫婦の形だと思っていた。
しかし、定年が近づいたある日。
健一はふと聞いた。
「老後のお金、どれくらいあるんだ?」
沙織は黙った。
そして、小さく言った。
「……そんなにない。」
健一は耳を疑った。
「え?」
「子どものことや家のことに使ったから。」
「でも、毎月給料全部渡してたよな?」
「だから管理してたじゃない。」
その言葉に、健一は違和感を覚えた。
管理していた。
でも、共有していたわけではなかった。
家のお金がどうなっているのか。
何にいくら使っているのか。
貯金はいくらなのか。
健一には何も知らされていなかった。
「俺にも知る権利あったんじゃないか?」
そう言うと、沙織は不機嫌そうに答えた。
「あなた、お金のことなんて全然分からないじゃない?」
その瞬間、健一は気付いた。
妻に家計を任せていたのではなく、ずっと、知らないままにされていたんだ、と。
もちろん、ちゃんと確認しなかった自分にも責任はある。
でも、夫婦のお金は妻だけのものでも、夫だけのものでもない。
「あなたには関係ない。」
そうやって何年も閉ざされたままだった家計は、
いつの間にか夫婦の間に大きな壁を作っていた。
離婚の話し合いの日。
健一は最後に言った。
「お金がなくなったことより、辛いのは、二十五年間、俺が家族の一員じゃなくて、ただの収入源みたいに扱われてきていたことだ。」
沙織は何も言えなかった。
自分では家族を支え、守ってきていたつもりだった。
隠してきたつもりはないが、この人には理解できないだろうと思い込んではいた。
だから、使い道を、一々説明するのが億劫で、先送りにしてしまっていた。
気付けば、健一名義の口座の貯蓄は、ほとんどない生活が当たり前になっていたが、健一のお給料とボーナスは毎月全額家計に入ってくるので、なんとかなっていた。
貯蓄が少ないことを、気にしたこともなかった。
沙織にとって、
健一のお給料とボーナスは、健一が毎月働いて稼いできているお金というより、
この家庭、家族の生活費として毎月消費されるお金、
自分はそれを管理する人、という認識だった。
夫婦の収入、
夫婦の蓄え、
夫婦の老後資金、
という意識は、沙織にはなかった。
当たり前に、毎月必ず入ってくる、この家庭の使用可能額でしかなかった。
お金を管理する人と渡す人だけでは、夫婦は成り立たない。
一緒に歩く二人の人生を、二人で考え選択しながら築いていく。
その家庭の共同運営者だという、相手への配慮と理解が、お互いに、ほんの少しでもあったら、
この夫婦が二十五年の歳月で、
こんなにあっさりと、終わることはなかっただろう。




