第20話 世界が変わった日
道中のゴブリンは、自分でも驚くほどあっさりと処理できた。
今にして思うと、ステータス画面で力とかもほんのり上昇していたような気がしないでもない。
称号の効果とかだろうか。だとしても、今の俺にはもう関係ないのだが。
俺の気持ちは、この歪んだバットのようになっている。
せっかく取った火炎魔法の検証もしていない。
そんなことよりも、今は早く家に帰りたい。
家に帰って、お気に入りの音楽をかけながら少し眠って。
最近サボりがちだったゲームのデイリーをこなして。
茉莉ちゃんが来たらちゃんと事情を説明して、ああ、きっと入りたがる彼女は全力で止めて。
大家さんにも迷惑をかけるかもしれないから、しっかり謝って。
そんなことを考えながら、覚えたマップの通りに出口にたどり着く。
端末がお知らせを読めと急かしている気がしたが、それすらもどうでもいいと無視した。悪臭を外して、おしまい。
開いている出口のゲートに、無心で飛び込んだ。
そこでいつもの脳内への声が、いつもと違うことに気がついた。
『帰還の意思を確認しました。EPの結晶化を行います。お疲れ様でした。上杉志摩様。ダンジョンの外でもお気をつけて』
普段なら、またの挑戦を、と言うところだったのに。
もう戻らないという俺の意思を感じ取ったのだろうか。
まぁ、良いか。
自室に帰って来たら、本当に心の底から安堵することができた。
時刻は昼から夕方になる頃合いだろうか。
この時間はまだ静かだが、もう少ししたら下校を始める小学生の声で賑わってくるはずだ。
ズタボロになった衣服は、少し迷ったけどやっぱりストレージに押し込む。
この部屋を退去することになったら、そのまま燃えるゴミとして出してしまおう。少し臭うかもしれないが許してほしい。
「まずシャワー。シャワーしかない」
なによりも優先すべき事柄を考え、俺は決断した。
日本人に許された特権の一つが、いつでも好きな時に熱いシャワーを浴びられることなのだ。
そう思って、ルンルン気分でお湯を出そうと思ったのだが、ふと気づく。
「ガスが止まってる?」
水は出ているのだが、それが一向にお湯になる気配がない。
何かトラブルでもあったのだろうか。
「……火炎魔法を試す気にはなれないな」
しばらく悩んだあと、俺は心頭滅却の気持ちで水のシャワーを浴びた。
伸びたステータスのおかげか、まだまだ寒い時期だというのに、言うほど辛くはなかった。
ただ、俺の気持ちはしょんぼりだ。
服を着替えて、ガス会社に連絡でもとスマホを見ると、そこで異変を感じる。
電話と、メッセージアプリと、あとはSNSの通知が死ぬほど溜まっている。
このガスのトラブルはそんな大変なことなのかと思いながら、パソコンの電源を入れようと思ったが、つかない。
ん? と思って部屋の電気もつけてみようとしたが、それもダメだ。
「大地震でも起きた?」
ガス、電気が止まって、水道は辛うじて動いている。
もしかして、ずっと噂されている東京直下型の地震がついに起きたのだろうか。
と思ってはみたものの、それにしては、部屋の様子には変わったところがない。
不思議に思いながら、届いているメッセージの内容だけ読んでみる。
『おいゲームやってる場合じゃねえぞ』
『逃げろ!!』
『返事しろ!』
『おい!』
『生きてるんだろ! おい!』
『寝てる場合じゃねえんだよ!』
『なあ!』
『返事しろ!』
『避難しないと間に合わなくなるぞ!』
『上杉! 返事しろ! おい!』
一部を抜粋すると、こんな感じだった。
大学で仲の良かった友人たち──俺がゲーム引きこもりをやると告げておいた友人たちから、こんな感じのメッセージが怒涛のように届いていた。
まるでそう。
未曾有の大災害に取り残されそうな俺を、必死に助けるかのように。
「……いったい、何が?」
何も分からず、そのどれかに返信をしようと思った時。
ピンポーン。
ベルが鳴り響いた。
「茉莉ちゃん、か?」
最初は、そう思った。
だけど、彼女らしくない。
彼女だったら、俺が眠っていても強引に叩き起こすような、連打をする。
鳴ったのはたったの一回。
だけど、それだけじゃない。
ゴンッ、ゴンッ。
と、ドアに何かがぶつかっているかのような、音が続く。
たまに、ピンポンと、正解を押した時だけ音が鳴って、あとは失敗の鈍い音。
俺は、慎重に玄関ドアへと近づいて、そこで覗き穴から外を見る。
そこに居たのは、見慣れた高校の制服を着た女の子。
俺は、安堵の息を吐いた。
「茉莉ちゃん、なんの真似だよ」
俺は謎の悪戯に驚きつつ、玄関を開けた。
すると、玄関を開けると同時に茉莉ちゃんが部屋の中に入り込んでくる。
「うおっっ!?」
慌てて、茉莉ちゃんを抱きとめた。
茉莉ちゃんは無言でうつむいている。
「茉莉ちゃん?」
「…………」
「なに、どうしたの?」
「…………」
流石に彼女の様子がおかしいことには気づく。
俺は一度、ちゃんと彼女と向き合おうと思ったところで──
「ううぅうぁあああああ!」
茉莉ちゃんが、大口を開けて俺の喉元に噛みつこうとした。
「うぉっ!?」
「ううっ!」
俺はそれに気づいた瞬間、即座に背後に飛び退った。
そんなはずはない。そう頭で思っているのに。
今の俺は、パッシブ集中力を存分に発揮した俺は、目の前の彼女を『敵』だと認識してしまっている。
「一体、何が!?」
「うああ、あああああぁあああああ!」
引いた俺を追い詰めるように、茉莉ちゃんは靴も脱がずに掴みかかってくる。
俺はとっさに彼女の手を引いて、その勢いを利用するように部屋の中へ誘い込んだ。
ダンジョンのゲートだとか、土足で部屋にとか、そういうのを気にする余裕がない。
俺に手を掴まれた茉莉ちゃんは、明らかに女子高生離れした怪力で、俺の手を振りほどこうとした。
俺はたまらず、彼女をベッドに引き倒す。
くるりと、というほど華麗にではないがなんとか体勢を整え、ガチガチと歯を鳴らす茉莉ちゃんをベッドに押さえ込んだ。
「どうして、こんなことになっているんだ!?」
「うううぅううぅ! うぅうあああぁああ!」
知り合いだったはずの女子高生をベッドに押さえつけながら、混乱のまま声を上げる。
茉莉ちゃんは俺の力に抵抗するように、呻きながらよだれを垂らし、白目を剥いている。
着ている女子校の制服は乱れ、胸元からスカートから可愛らしい下着が覗く様は、まさに乱暴される寸前。
だというのに、俺の中に邪な感情は全く浮かんでこない。ただ、純粋に、疑問と焦燥が頭の中を埋め尽くしている。
「茉莉ちゃん? 良かったら詳しい話を聞かせて欲しいんだけど!」
「ぅううううう。あああああああああ!」
「ダメみたいですね!」
頭の中で、答えらしい答えは浮かんでくる。
だが、それを俺は必死に否定する。
否定したいのに。
重なってしまうのだ。
俺がここ数日、ひたすらに狩り続けてきた連中と。
今の、茉莉ちゃんの姿が。
「そんなはず、ない。だって、そんな、フィクションみたいな、ことが、あるはずがない」
うわ言のように呟きながら、その実、それがなんの説得力もないことにも気づいてしまう。
そもそも、お前はさっきまでどこに居たのか。
自分が今まで潜っていた世界と、頭に浮かぶフィクションの世界に、どれほどの差があるのか。
「うぁあああぁ、うううううぉおおああああ!」
何より、それ以外の何で、今の茉莉ちゃんの状態を説明するのか。
「くそっ、ごめん茉莉ちゃん」
俺はストレージから、何かの役に立つかもと入れておいた雑貨類を取り出し、その中からガムテープを掴み取る。
心で必死に否定しているくせに、頭の中の冷静な部分が『多分音を立てるのはまずい』と状況判断を下し、茉莉ちゃんの口をガムテープで覆った。
HPの加護があるはずなのに、彼女の歯は俺を傷つけ得ると直感的に理解したので、作業は慎重に行う。
口をふさいだら、そのまま手足もガムテープでぐるぐる巻きにする。
彼女の抵抗が激しくなるが、俺もまたダンジョンでステータスを鍛えた身だ。
その前だったら絶対に力負けしていただろう怪力を、それ以上の怪力でなんとか強引に抑え込んだ。
口を塞がれ、手足を拘束された茉莉ちゃんが、ようやくベッドの上でもぞもぞ動くだけの状態になったところで、俺はベッドから這い出すように距離をとって、そこでへたり込みそうになった。
だが、そうする前にやらなければいけないことがある。
「……鍵を、閉めないと」
頭の中の冷静な部分が、玄関が開けっ放しはまずいとしきりに警鐘を鳴らしている。
玄関は、外の世界へと続いている。
扉を閉める前に、一度、外を、見た方が良い。
玄関に近づくにつれて、頭の中で疑問が湧いて止まらなくなる。
どうして、外から漂う空気が、何か燃えているように焦げ臭いのか。
どうして、いつもは下校の声で賑わう外が、静かなのか。
どうして、周囲から車の走る音がしないのか。
どうして、茉莉ちゃんは、俺に襲いかかってきたのか。
どうして、俺は外を見ることを、こんなに恐れているのか。
ダンジョンから、戻ってきたんだ。
俺はまた、世界にダンジョンがあるだけの、なんでもない日常に帰ってきたんだ。
茉莉ちゃんは、ちょっと寝ぼけていただけで、学校は少し遅くなっただけで、近所で小火が起きただけで、車は健康のため自転車に変えただけで。
そんな、俺の気にしすぎなだけの、なんでもない日常が、そこに待っていて欲しくて。
「うぅう。あぁあっぁ……」
そして、玄関から見えてしまった光景に、俺は頭を抱え嗚咽を漏らした。
道路には事故車や乗り捨てられた車が散乱していて。
眼に映る所々から、煙が上がっていて。
下校途中の小学生なんてどこにも見つからなくて。
そして、下校途中だった誰か……誰かだったものに、噛みついている何かがいて。
俺は、玄関を閉め、鍵をかけ、そしてそのドアにもたれかかった。
この世界は、たとえダンジョンが生まれても、平和な世界だった。
ダンジョンという異物を飲み込むために、いろんな人がそわそわしている程度の、世界だった。
ダンジョンは世界を変えるかもしれないけれど、同時にそこには希望もあった。
少なくとも、二日前までは。
「この世界には、ダンジョンと、ゾンビが同時に来てしまった」
そして、ダンジョンで変わりかけたけど持ち直すはずだった世界は。
ゾンビによって、完膚なきまでに変わってしまった。
これでプロローグ終わりです。
ようやく次から本編が始まります。
完全なタイトルあらすじ詐欺作品をここまで読んでくれてありがとうございます。
なおこの作品はハッピーエンドで終わります。多分。
モチベになるので、こんな状況の主人公に「頑張れ」と思ったら応援とか星とかブクマとか軽率にくださいおねがいします。
あとあらすじに明記してあるようにこちらカクヨムで大分先行している作品の転載になりますので、そちらに追いつくまでは毎日2〜3話くらい更新していく予定です。
よろしくお願いします。




