第18話 グール
ゾンビとグールの違いとはなんなのか。
ざっくり言えば、出てくる宗教が違う。
ゾンビはブードゥー教で、グールはキリスト教が起源だったか。
だが、今重要なのはそういうことじゃない。
頭の中の数多のゲーム知識が、神話知識が、必死に打開策を探している。
ゾンビは蘇った死体。
一方グールは、人間や死体を食べる、悪魔だ。
様々な作品の影響で、アンデッド系のモンスターに分類されているが、本来はゾンビとは比べものにならないほど、厄介な性質を持つモンスターなのである。
「グルゥゥルル」
そんな厄介なモンスターが、犬に似た顔面をニタニタと歪ませながら俺を見ている。
どう考えても、ゾンビとは強さの桁が違う。
先ほど見せたスピードは俺を上回るし、力やタフネスも最低でもゾンビと同等以上はある。
そして知能も、ゾンビとは比べものになるまい。
おそらく、階層のゾンビが減っていたのは、こいつもまたゾンビを『狩っていた』からなのだろう。
グールは屍食鬼と訳されることもある、死体食いなのだから。
「さぁ、どうする……」
俺は溢れ出しそうになる後悔をなんとか飲み込んでいた。
異変を感じたら、逃げるべきだった。
臆病さにも似た慎重さだけが、俺の取り柄のはずだった。
何が、茉莉ちゃんに怒られるから魔法を覚えよう、だ。
何が、ダンジョンで一番安全な男、だ。
お前がダンジョンの何を知っていたのか。
どうして、お前がダンジョンを安全だと思い込めたのか。
今、目の前に迫っている脅威の打開策一つ、思いつかない分際で。
「グエッェエッェエェエ!」
グールが、俺を見て嗤っている。
死体よりも、生きた人間の方が味が好みなのかもしれない。
俺にとっての幸運は、奴が俺の逡巡する様を眺めて、愉しんでいることだけだ。
その油断こそが、俺に千載一遇の、思考時間を与えてくれている。
俺は頭の中で、必死にグールの弱点を思い浮かべる。
アンデッドに共通の弱点、聖なるもの。
そんなもの持っているわけがない。
却下。
同じくよくある弱点、炎。
それを習得するために無茶をしていたんだろうが。
却下。
そして、グールにとっては度々弱点とされることがあるもの、鉄。
鉄なら、少しだけ、心当たりがある。
俺は慎重に、頭の中で作戦を整理する。
脳みそがひねり出したグールの弱点に鉄というものがあった。
奴らは鉄のシミターで切られると、あっさりと死んでしまう、とか。
果たして、よく伝わっているゲーム的な伝承がどの程度役に立つのかは分からない。
だが、他に縋るものがないのなら、縋るしかない。
ストレージの中に、スチール缶の非常食がいくつか入っていたはずだ。
ストレージは重さを気にしなくていいので、アルミ缶だのスチール缶だのは気にせず保存食は好みで選んでいた。
スチール缶は確か鉄のはず。
だが、闇雲に投げたところで、先ほどのスピードを考えると当たるわけがない。
同様に乾パンの空き缶も入っているが、重量がなければ武器としては片手落ちだろう。せいぜい牽制くらいか。大丈夫使える。
可能ならば、近づいたりしたくない。
だが、遠距離で避けられたら、もう後がない。
自分より速いから、逃げるという選択肢もない。
つまり、一か八か接近戦を挑み、死ぬ前に仕留める必要がある。
ぎりっと、固まって手で握ったままの金属バットの感触を確かめた。
「……やってやろうじゃねえか」
今、この場で強者は圧倒的にグールのほうだ。
俺は、どう考えても、奴にとって狩られるだけの弱者。
だが、人間とはもともと、モンスターからすれば弱者側の生き物だろう。
だったら、窮鼠が猫を噛むところを、見せてやろうじゃねえか。ちくしょうめ。
「グッグッグ」
俺が覚悟を決めたのを感じ取ったのか。
グールは俺に攻め込む姿勢を見せ、前傾姿勢を取る。
そんなグールに、俺はストレージから取り出したスチールの空き缶をアンダースローで投げつけた。
「グゥッ!?」
グールは、空き缶に目を見張る。
日本語に訳せば「なにっ!?」といった声を上げる。
どうやら、鉄製品が弱点であることは間違いなかったらしい。
「グォオッ!」
だが、牽制の空き缶は空を切る。
グールは大げさに、しかし確実に空き缶を避けて飛び上がり、俺へと一直線に向かってきた。
それでいい。空き缶を投げたのは、最初からコースを限定したかったから。
可能なら飛び上がって欲しかったから。
犬のような顔と、開いた大口から、ゴブリンよりよほど禍々しい不揃いの牙が襲いかかってくる。
土壇場の集中力で、俺はその軌道を見切る。
来ると分かっていれば、俺より動きが早かろうと反応はできる。
俺は、その口の中に突き刺すように、金属バットを突き込んだ。
「グォエエエエ!?」
重い衝撃が、金属バットを持った両腕に響いてくる。
おそらく、何もなければその衝撃だけで腕が二本とも逝っただろう。
だが、HPの加護が、俺の両腕を守った。
そして、グール自身の突進力が、奴のHPも少なからず削ったはずだ。
しかし、グールの攻撃はそれで終わりではない。
噛みつきを防がれたグールは、鋭い爪の生えた両腕をこれ見よがしに振り上げる。
おそらく、片腕で俺のHPはあっけなく砕け散り、もう片腕が俺の体を容赦無く八つ裂きにするだろう。
だから俺は、手に持っていた金属バットを手放して、奴が腕を振り下ろす前に思い切り前に出た。
強引に間合いの内側に入ったことで、恐るべき鉤爪が空を切る。
自身のほんの数十センチ後ろを、死が通り過ぎていった。
俺はここで少ししゃがみ、立ち上がる勢いでグールの口から生えたままの金属バットを思い切りかちあげた。
口内をバットに蹂躙されたグールが、たたらを踏む。
その機を逃してなるものかと、俺はようやくストレージから取り出した鯖缶を握りしめ、頭めがけて思い切り振り抜く。
「グェアッダッ!」
ついに、グールは立っていることができなくなり、バットを吐き出しながら後ろに倒れた。
だが、まだ死んでいない。
響くうめき声には、最初の余裕を感じさせない激烈な怒りが混ざっている。
俺は、鯖缶を握ったままグールに馬乗りになる。
グールが必死に抵抗するが、マウントポジションの返し技などは知らないらしい。俺も知らないからおあいこだな。
ただ、奴が闇雲に振り回している腕が俺をかすめるたびに、尋常じゃない衝撃が走る。
俺は、それを無視して、両手で鯖缶を持つと、やたらめったら振り下ろした。
いつの間にか、腕を守っていた重ね着した服は弾け飛び、鮮血が舞っていた。
俺の身を守っていたHPの加護が消えたらしい。
だが、俺は意地でもマウントポジションは解かない。
グールが弱っているのは分かっている。
もしグールが万全なら、鮮血などと言わず腕が弾け飛んでいたはずだ。
そうじゃないのなら、もう体に力が入っていない。
こいつも死ぬ寸前なのだ。
その確信は、その瞬間に証明される。
「グゥォォ…………ッ……」
弱点の鉄の武器で殴り続けた俺が、ほんのわずかにダメージレースに競り勝った。
グールは体をぐったりとさせ、その目から、腕から力を失い、沈黙した。
だが、ここで終わりじゃない。
「グールは鉄が弱点だが、同時に鉄は復活の引き金にもなる」
伝承どおり鉄が弱点だったなら、そこも特性として持っていておかしくはない。
鉄のシミターで倒したグールに、トドメを刺そうともう一度斬りつけると、傷が治ってしまうだとかなんとか。
その伝承通りになるのかは分からないが、少なくともトドメは必要だ。
倒したはずなのにまだこいつは、EPに変換されていない。
俺は鯖缶をストレージにしまうのも億劫になって、適当に放り投げ、先ほどグールが吐き出したジュラルミン製の金属バットを拾って握り直す。
切り付けられた腕から血が出ていて、やけに痛い。むしろ熱い。
その傷に無性に腹が立って、俺は金属バットを力一杯グールの頭に叩きつけた。
何度も、何度も、原型がなくなって、肉片が飛び散って、頭が頭だったものになるまで殴り続けて、そして『声』が響いた。
『ダンジョン18764番、第二階層のスローターボス【グール】の討伐を確認しました。上杉志摩様には、この偉業をたたえ称号が贈られます。おめでとうございます』
その言葉と同時に、グールは光の粒子となって俺の中に吸い込まれていった。
俺は、戦闘が終わったことをようやく認識し、どさりと地面に倒れこんだ。
「ははは、床が冷たくて気持ちいいな」
戦闘中にずっとドバドバ垂れ流されていた脳内麻薬の効果が切れたのだろう。
今は、何もやる気がおきない。
無理をした代償を払うかのように、俺はダンジョンの石の上にぐったりと倒れこんで眠ってしまった。
…………。
……。
。
──────────
冒頭まで残り3時間
──────────




