第17話 油断
『ダンジョン18764番へようこそ。上杉志摩様。あなたの挑戦を歓迎いたします』
未だ聞きなれない歓迎の言葉を受け、俺はダンジョンへと足を踏み入れた。
昨日から洗っていない装備は今の時点ですでに悪臭を放っている。
魔法の習得に成功した暁には、実験台として焼却処分しようかと本気で悩んでいたりする。
そう。
俺は茉莉ちゃんと約束した明後日までに、火炎魔法を習得する気でいるのだ。
軽く情報収拾もしてみたが、やはりまだ世界のどこからも魔法を覚えたという報告は上がっていない。
公開情報だけで見たら、レベルを6まで上げている人間すらほんの一握りだ。
やはり、悪臭とゾンビ狩りのコンボは、現時点でEP稼ぎの最高効率を叩き出しているのかもしれない。
他のレベル6の人たちは、パーティを組んでもっと奥の階層に進んでいるらしい。そこでもっとEPの多いモンスターを倒して稼いでいる。
EPは人数で等分がベースになりつつ、活躍度に応じて偏りが生じるんだとか。
だが、レベル10まではみんな無職。ぼんやりとした前衛後衛の分け方だと、どうしても効率的な狩りまではいかず、一気にレベルアップするほどの狩りは難しいみたいだ。
レベル10になった時に魔力が一定以上だと魔法使い系のジョブも解禁されて、そこから魔法スキルが習得できるようになるのでは、と噂されている。
そのため、上位の人たちは魔力だけを上げた将来の魔法使い(お荷物ともいう)を抱えながら戦っているらしい。
それが正規のルートだって可能性も、全然あるな。
俺は端末から魔法の習得方法を聞いたが、あの時の端末は『現時点で習得する方法』を教えてくれていた気もする。
そもそもレベル10になってなかったから、ジョブの話を解禁されていない可能性がある。
「というわけで、どうなんだそこのところ」
『現時点ではお教えすることができません。ただし、ジョブによって習得可能になるスキルは存在します』
端末くんは、ほとんどゲロったようなものだった。
となると、俺はかなり無駄に自分を追い込んだだけかもしれない。EP400貯められるなら普通にレベル10見えてくるだろうし。
「だが、男に二言はない」
俺はやると決めたらやる男だ。慎重で臆病だが、意思は固い方でもある。
それに明後日には、俺は茉莉ちゃんにダンジョンの秘密を暴露する。
その時、俺が魔法を使えるか否かは重要なのだ。
ぶっちゃけ、アクセサリーだのと散々嘘ついてたから、なにか彼女を喜ばせる特技の一つでも習得できてないと、ちょっと怖い。
「ご機嫌とりのためにも、泊まり込みで頑張るぞ」
そして、俺は端末でスキルを弄り悪臭をセットすると、忍び足(自前)でダンジョンの奥へと進んでいった。
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冒頭まで残り1日
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時計を見れば、すでにダンジョンに入って丸1日。
「眠い、くさい、しんどい」
ダンジョンの中で時間の感覚をやや失いながら、俺はもそもそとカロリーを摂取していた。
味は最悪だ。
商品が悪いのではなく、環境が悪い。
ほのかな甘味とパサついた食感が特徴の乾パンだが、今はゾンビの悪臭が立ち込めている。
昨日1日ゾンビ狩りを続けていたときは、全く食欲が湧いてこなかった。
だから、先延ばしにし続けていたのだが、空腹がついに限界を迎え、俺はむせるような腐臭の中で食事を取っていた。
味はともかく臭いが最悪。
水もどこか生臭く感じてしまう。
昨日はそこまで気にならなかったのは、悪臭を試す前に食事と水分補給を済ませてしまっていたからだろう。
今の俺は、二階層に入ってからずっと悪臭の中にいる。
この中で、食事をとることが、休息をとることが、そして眠ることがこんなに辛いとは思わなかった。
もともと、通路の石の上だ。寝袋を敷いても当然硬い。
ただでさえ環境が悪く、その上臭いとなれば、良質な睡眠は程遠い。
劣悪な環境の地下牢に入れられた囚人は、きっとこんな気持ちなのだろうと思った。
「でも、その成果はある、はずだ」
リポップの周期は全く知らないが、現時点でゾンビ25体は確実に狩ったはずだ。このペースで行けば、今日中に家に帰れるかもしれない。
「帰ろう。帰ってベッドでぐっすり眠ろう」
それだけを目標に、俺は今日も立ち上がった。
ゾンビを見つけて、背後に回り込む。
後頭部を殴って、素知らぬ顔。
後頭部を殴って、素知らぬ顔。
後頭部を殴って、素知らぬ顔。
後頭部を殴って、倒す。
作業は効率化していく。
だが、同時に俺の焦りも増していく。
見つかるゾンビの数が減っている。
マップを見て、俺は効率的に回っていた。
緩く円を書くように、できるだけ道が重複しないように。
可能なら、行き止まりにも目が届くように。
宝箱が復活するような様子はなく、俺はただ、見回りの命令を受けた兵士のように、淡々とダンジョンを徘徊する。
そうして、何周もしているうちに自然と気づく。
出てくるゾンビの数が少なくなっている。
短時間で狩りすぎたのか。
一箇所に留まっていると制限がかかるのか。
全体のリソースに決まりでもあるのか。
確かに、ダンジョンの製作者の意図としては、雑魚狩りよりは奥に進んで欲しそうな感じだった。
その製作者にとって、俺の行動は明らかなイレギュラーであることは間違いない。
だったら、それを抑制するための何かが仕込んである可能性は、十分にあった。
一時間に三体も四体も見つかったはずのゾンビが、今は一体も怪しい。
それでも、居ないわけではない。もう少しで目標にも手が届く。
そう思ってしまうと、もう後には引けなくなっていた。
「……ああ、今、何体だっけ」
40くらいまでは数えて居た気がするのに、ちょっと自信がない。
ただ、50まではもうすぐのはずだ。
あと、何体か分からないけど、そう遠くはないはずだ。
そうぼんやり考えていた俺の目に、新しいゾンビの姿が映った。
都合よく、後ろを向いていた。
だから俺は、特に考えず、金属バットを振り上げ後頭部を殴った。
殴った後に、気づいた。
感触が、違う。
「グゥルルル?」
ゾンビが振り向いた。
今まで聞いていたものとは違う、どこか険のある呻きとともに。
その、犬のような顔を見せた。
「っ!?」
俺はそこで痺れたように動く。
死んでいた思考回路が一瞬で戻ってきた。
それが功を奏す。
「グルァアアアアア!!」
俺が離れた直後に、そのゾンビは鋭い牙を、さっきまで俺がいたところに向けていた。
無様に転びながらも、俺はなんとか体勢を立て直し、即座に逃げる。
「やばい、やばい、やばい!」
俺は全速力で逃げている。
マップは頭にある。とにかく、はやくこの階層から離れなければ。
ゾンビなら、逃げ切るのはわけない。
なのに。
「グゥオオオオオオオ!」
「うぁあっ!」
唸り声が凄まじいスピードで迫ってきて、俺はとっさに横っ飛びで躱す。
相手の突進をかろうじて避けたが、逃げ道を塞がれてしまった。
「……やっべえ」
もっと慎重になるべきだった。
もっと臆病であるべきだった。
もっとダンジョンの製作者の意図を深く考えるべきだった。
雑魚狩りをされたくないのはわかっていたはずだ。
そして、俺と違って他の人たちはパーティを組むのだから、交代で見張りを立てれば、格下の階層なら安全くらいは守れるだろうさ。
そういう行動をとることは、いくらでも想定できたはずだ。
だったら、同じ階層にとどまり続ける挑戦者を狩り出すための、猟犬くらいは用意していておかしくない。
「……あれは、ゾンビじゃなくて、グールだ」
俺を追い詰めるようにジリジリと距離を測っている、犬のような顔のモンスターを見て、俺はそう独り言ちた。




