5.二人の友と聖女様
召し上げられた神殿は、メイナにとって地獄のような場所だった。
くすくす、くすくす。
今日もメイナは、神官たちに嫌がらせを受ける。
「こんなところ、スラムのゴミには似合わないわ」
「くっさい。鼻が曲がっちゃいそう」
押しのけられて、転ぶ。花を潰し、ゴミを散らかし。
地面で手足を擦ってケガをしたメイナを、彼らはあざ笑う。
だけど、同じぐらい、メイナは媚びも売られた。
「流石は今期一の聖女候補様。見事な癒しの術ですわ」
「シュナ様のお力をもう超えましたわね!」
花を服を宝石を。いらない貴金属がメイナの部屋に積まれていく。
困って曖昧に笑うメイナを、彼らは嘘の笑顔で飾り立てた。
なぜなら。
メイナは先に聖女候補とされていたシュナより聖女の力が強かったから。
王家に没落してほしい人間は多い。そういった人間はひたすらメイナに媚びを売った。
けれど逆に今の王家に抱き込まれた人間にとって、メイナの存在はまさしく目の上のたんこぶ。
だからメイナは媚びを売られ、同時に蔑まれた。
それは自然の摂理だった。
でも幼いメイナには政治は分からなかった。
だから必要以上にほめそやされるのも、無意味に傷つけられることも、メイナにとっては苦痛以外の何物でもなかった。
だから。
「いっしょに遊びましょう?」
「わらわとシュナ、三人でな」
「え……魔族?」
メイナにとってその二人――人間の姫シュナと、魔族の姫メルティナとの出会いは、唯一の救いだったのである。
「わあ、凄い! メイナってば治癒の才能があるのね」
「そう、なのかな?」
シュナは、自らを凌ぐ聖女の力を持つメイナを、それでも親友として扱ってくれた。
「でも私だって、浄化の力だったら負けないよ?」
「うわ、凄い! 泥だらけだった湖がすっかり綺麗になっちゃった!」
人々が聖女に求める治癒の力。それがスラム育ちのメイナに負けている。
それは第一王女として、またメイナが見つかるまで唯一の聖女候補として崇められていたシュナにとって、あまりにも屈辱的な事だっただろう。
それでも対等なライバルとして、シュナはメイナに接していた。
例え、周りの神官達がそれを白い目で見ていたとしても。
「止めなさい。メイナは私の友人よ。その行動は第一王女への反逆と見なすわ」
そう言って、メイナに投げつけられた泥水を代わりに被ってくれたこともある。
「ほら、メイナも撫でてみろ! この子は大人しいぞ?」
「……ふわふわ!」
メルティナは魔物が怖いものばかりではないと教えてくれた。
「でもちょっと声が可愛くないのだよな……」
「じゃあ猫ちゃんに会いにいこ? 街の方でたまり場見たことある!」
幼いながらに政治の道具として、人間の元で暮らす事を余儀なくされた魔族のメイナ。
きっと苦しいことも悲しいこともあっただろう。
それほどまでに人間達の魔族への偏見は根強いから。
それでも対等な友人として、メルティナはメイナと接してくれた。
例え、同胞が彼女をそそのかしてきても。
「聞けんな。わらわはわらわの目で見て判断する。そちらは黙っておれ」
そう言って、メイナを背に庇ってくれたこともある。
メイナとは、あまりに身分の違う二人の友人。だけど二人は大切で。
だからこそ余計に、メイナは自身と彼女達の違うところが悲しく感じていた。
でも、似ている部分だってあった。
それは、少しだけ寂しかったけれど、みんな孤独だったということ。
シュナは、聖女候補で姫だった。政治的にとても価値のある人間だった。
だから人に囲まれた。だから人に理由のない誹りを受けた。
妬まれ、僻まれ、年相応にいることを許されなかった。
だけどとても気高かった。
メルティナは、変わる時代の姫だった。人間からも魔族からも悪意と希望を向けられた。
だから人に使われた。あることないこと吹き込まれた。
誘導され、操られ、容易に自らの意志を貫くことができなかった。
だけどとても賢かった。
メイナは孤児で、何も持っていないはずだった。だから利用され尽くした。
聖女の力なんて宝の持ち腐れで、なければいいと何度も思った。
そうじゃなければ知らないまま死ねた。自分に与えられた善意に嘘しかないなんて、分からなかったのに。
それでもメイナは立ち続けた。
だから彼女達は出会い、互いの存在で互いを慰め合うことができた。
「これ、友達の証!」
出会った三人は、互いの魔力を混ぜあって固めた宝石で首飾りを作った。
赤と青、そして紫の混じる美しい宝石だった。
世界にたった三つだけの宝石で、彼女達はそろいのペンダントをこしらえる。
シュナはティアラの飾りに。メルティナは守りの担当の柄に巻き付けてそれを持った。
メイナは単純に首に提げた。だけどそれは生まれて初めて、メイナがつけたアクセサリーだった。
あまりにも幸せな、温かい友情だった。三人の間では永遠で、何よりも大切な物。
だけどその友情は、やはり世間に疎い子どもたちの間でだけ成り立つもので。
メイナは二人が大好きだった。
だけどいつまでも、王都も神殿も好きにはなれなかった。
だから時折。メイナは神殿を抜け出す。
最悪死なれても良いと思われているから、メイナへの監視はさほどキツくなくて、抜け出すのは難しくなかった。
とはいえ、幼いメイナの足で行ける先など限られていて。
いつも向かう先は同じ。大人なら30分程度でたどり着ける、騎士の訓練にも使われる山だった。
「あなたたちは良いね。自由で」
その山の中腹にある、開けた場所。そこはメジストルグルの花畑だった。
メジストルグルは紫色で、小さな花弁5枚が星のように開き、その周りを大きな花弁3枚が囲む、少し変わった形の花。
掃き溜めで生きてきたメイナが、唯一昔から好きな、綺麗なもの。
ぴいと、鳥が空を駆けていった。メイナとは対照的に、自由な空の王者だ。
風が、花の匂いをさらう。
少し冷たいそれに身を浸していると、自分がなんてちっぽけなことで悩んでいたのだろうという気持ちになった。
ああ、このままこの場所で。朽ち果てられたらいいのに。
「どうして泣いているの?」
その声に、メイナは勢いよく振り返る。
どうやら浸りすぎて足音を聞き落としていたらしい。
そこには子供用に軽装化された鎧を着た少年がいた。
神殿の騎士だろう。今日は珍しく迎えがやってきたようだ。
メイナは慌てて目元を拭う。神殿の連中に弱みを見せるなど、最悪でしかない。
しかしそこに湿り気は少しも無かった。
「泣いてなんかいないわ」
「でも……凄く泣きそうだ」
毅然としてメイナは少年を見つめる。彼は澄んだ蒼の瞳でメイナを見つめていた。
嘘ではない。メイナの瞳は濡れていなかった。
しかし少年の瞳はどこまでも真っ直ぐで、単純にメイナを案じていた。
その色は、まるで悪意の欠片も知らない無垢なものに見えた。
「気のせいよ。それに、心配しなくてももう戻るわ」
同時に、メイナの腹の中に表わしようのない怒りの感情が浮かんでくる。
理由は分からなかった。
けれどそれは間違いなく、メイナの勝手であり良くないもの。
それを自覚したメイナは、悟られないようにと意識して少年から目をそらして立ち上がる。
どちらにしろ、帰らなくてはならない。
こんな少年を使いに出すなど、よほどメイナに戻ってほしい事情があるのだろうから。
「え?」
しかしそんなメイナに対して、少年は呆けた声を上げた。
「え? あなた神殿からの迎えじゃないの?」
「違う、俺は……えっと、その」
メイナの質問に、少年はもじもじと足を組み替える。
そんな姿にメイナは拍子抜けしてしまった。
どうやら彼が迎えだと言うのはメイナの勘違いだったようである。
しかし、このまま座り直すのもまた癪だった。
仕方がないので、メイナは誤魔化すようにため息をついて歩き出す。
「まあいいわ。丁度、戻ろうとしていたところだし」
一応、嘘ではない。もう少しで帰ろうとしていた。本当だ。
「邪魔をしたか……?」
「別に」
つんと顔を逸らし歩き出したメイナに、少年は少し眉を下げる。
申し訳なさそうなその表情を見て、メイナは少しだけ笑みを零した。
ちょっと、新鮮だった。
メイナの周りの人間は、シュナとメルティナを除けば皆、思惑を表情に押し込めた得体のしれぬ、能面のような人ばかりだったから。
こうやって表情が変わる、それも騎士は珍しい。
そんなふうに少年を観察していたからだろう。
メイナは視界の端で、滴る赤に気が付く。
よくよく見てみれば、どうやら少年は腕にケガをしているようだった。
「それ、どうしたの?」
思わずメイナは指を指す。
さされた少年は、罰が悪そうに視線を逸らした。
「あっ、ちょっと訓練をしていて、失敗して……」
いたずらを隠そうとするみたいな歯切れの悪さは、きっと照れ隠しだ。
目の前の少年はおそらく騎士として、幼いながらに誇りを持っているのだろう。
弱みを見せるなど恥と言いたげな、その背伸びした姿にメイナはつい大きな声で笑ってしまう。
「ふふ」
「わ、笑うな!」
「ごめんなさい、でも別にバカにしたわけじゃないのよ」
謝罪の気持ちを込めて、メイナは指さした右手をそのまま彼の腕に伸ばす。
一瞬びくついた少年にもう一度笑って、メイナは願いをかけた。
「そのケガ、私が治してあげる」
メイナの指先からふわりと白い光が浮かんだ。
ミルキーウェイのように流れるその光は、聖女の力の表れだ。
生み出されたそれは、少年の傷を彩り舞い遊ぶ。
ふわふわと雪が街を彩るように、数度跳ねた光はその傷口に吸収されてフッと消えた。
その時には既に少年の傷はすっかり無くなっていた。
目の前で起きた奇跡に、少年は数度瞬きをする。
「君は、聖女候補だったのか」
そこで少年はようやくメイナの正体に気が付いたのだろう。目を見開いて続ける。
純粋過ぎる反応が逆に新鮮で、メイナはからかう様にくるりと回って答えた。
「まあね。でもきっと、聖女になるのは私じゃないわ」
「どうして。こんなに、強い力を持っているのに」
彼が迎えの騎士ではなく、そしてメイナにとって3人目の人らしい人だったからだろう。
普段口にしない言葉はするりとこぼれ落ちた。
「だって、聖女になるのはシュナ・エルミナ・ヴァルテリス姫だからよ」
それは、暗黙的にメイナが思っていたことだった。
なによりシュナはメイナの親友だ。だからこそメイナは、彼女に困って欲しくない。
仮にメイナが正式な聖女になってしまえば、困るのは間違いなくシュナだから。
いつかメイナは姿を消そうと決めていた。
そうするのが誰にとっても幸せになれる道だと思っているから。
「それに政治って、難しいらしいのよ」
「そう……か」
だけどそれを全て説明するには、メイナは少年のことを知らなかった。
最後に笑顔で誤魔化すと、少年は少しだけ眉をひそめ地面を見つめてしまう。
誤魔化しきれなかったかな、と少し笑ってメイナは本当に別れを告げる。
「さて、そしたら本当に私は帰るわ。貴方は修行、頑張って」
気が抜ける、良い時間だった。
メイナは普段よりもずっと、晴れやかな気持ちになっていた。
「ま、待って!」
しかし立ち去るメイナの腕を、少年は見た目よりずっと硬い手で掴み止める。
神殿に閉じこめられ続けていたメイナとは違う、きちんと剣を振っていた人間の手だった。
「どうしたの?」
「あ、あの」
メイナを引き留めた少年は、何度か口を開閉する。
そしてはにかみを浮かべるとそれを告げた。
「あ、ありがとう」
その言葉に、今度はメイナが目を見開いてしまった。
息が一瞬詰まって、二人の間に花びらが一つ舞うのを見送ってしまう。
それだけの時間、喉で言葉を溜めてからメイナはそれを口にする。
「どういたしまして」
知識としては知っていたけれど、初めて形にした言葉を零す。
メイナは、治療をしてお礼を言われるのは初めてのことだった。
そして治療をして笑顔を貰うのも、初めてだった。
「俺、騎士なんだ。聖女を守る、騎士。だからいつか。また会おう」
「……楽しみにしてるわ」
だからきっと。それは初めての恋だった。




