2.聖女だった村娘
かつて世界は、2つに分かれていた。
魔族と人間。彼らが互いのエゴによって、対立していたからだ。
多くの命が死に、そして多くの土地が滅びた。
けれど数十年前。とある盟約をきっかけに、魔族と人間は共に歩むことを決めた。
そうして魔族と人は、遥かな過去に起きたエゴのぶつかり合いによる愚かな争いを水に流し、共存の道を歩き始めたのだ。
そんな過去の功績もあり、十数年前のこの世界では、因縁の関係と呼べる聖女であり人間の姫であるシュナと、魔族の姫であるメルティナが幼馴染として共に幼い時分を過ごしていた。
そしてメイナは。
シュナと同じく聖女候補として、シュナとメルティナと共に過ごしていた過去がある。
密やかな幸せが充満する日々だった。
少女たちが顔を見合わせて、大人に内緒で笑い合う。
勉強も公務も投げ出して。お堅い会議からの大逃走。
大人が怒る、ちょっとしたイタズラもたくさんした。
メイド長のスカートをミニ丈フリルスペシャルにしたときは、三日三晩追いかけっこする羽目になったこともある。
だけどそんな淡い幸せと幼い友情を切り裂いたのもまた、愚かな人と魔族の争いであった。
ある日メイナは城の中を一人で駆けていた。
それはシュナとメルティナと三人でする日課のお祈りを終えたあと、何故かメイナの部屋だけが荒らされていたからだ。
侍従の人達と片付けをしたり、無くなった物を確認したり。メイナ自身の安全を確認したりしていたせいで、一人だけ出遅れてしまったのだ。
このままでは、二人にアフタヌーンティのお菓子を食べ尽くされてしまう。
そんなことを思って、メイナは自然と早足になった。
しかし、二人の待つ中庭まであと曲がり角二つといった場所で、メイナはフードの人間とぶつかる。
「あ、ごめんなさい」
自身の勢いも相まって吹き飛ばされたメイナは、それでも素直に謝罪をした。
普段、メイド長から城内を走るなと口酸っぱく言われていたから。
けれどメイナの言葉に、そのフードは何も答えなかった。
それどころか、無遠慮にメイナの喉へと手を伸ばす。
「えーー?」
瞬間、メイナは呼吸を奪われた。
人とは思えない力で首を絞められ、メイナはふっと意識が白んでいくのを感じる。
なんで? どうして? あなたは、だぁれ?
幼い疑問が浮かんでは消える。
バチバチと大きな音が意識の外で鳴っていた。
あ。わたしのちから、消えていく。
その音の正体は呪いだ。メイナの聖女としての魔力を封じる、封印だった。
酸素不足だけではない理由でメイナの体から力が抜けていく。
せめて相手の姿ぐらいは。そう思ってメイナは目をこらす。
白に似た栗色の髪と紅い目ーー魔族?
それを最後に、メイナは意識を失った。
次にメイナが目を覚ましたときには、全て終わっていた。
メイナの体からは聖女の力が無くなり、メイナは価値のないただの小娘に成り下がっていたから。
「数日のうちに荷物をまとめ、出ていきなさい」
ついこの間まで『聖女候補様』と呼んでお世話をしてくれていた侍従からそんな言葉をかけられた。
「守秘義務がございますので」
シュナの居場所を聞いたらそんなことを言われた。
「あの者は残念なことに逃げ仰せました」
メルティナの居場所を聞いたら、そんなことを、言われた。
どうやらメイナを襲った逆賊、魔族だったあの犯人はメルティナということになったらしい。シュナが、そう言ったのだという。
「違う、違うわ! メルティナはそんなことをする子じゃない! それに、あの魔族は!」
メルティナのように綺麗な薄氷の水色の髪をしていなかった。
メイナは必死でメルティナの無罪を主張した。
襲ってきたのはメルティナじゃない。シュナの言葉もきっと勘違いだと。
縋って、泣いて。だけど。
爪が剥がれて、指先から血が滲むほどに追いすがってもメイナの言葉は聞き入れて貰えなかった。
聖女候補でもない、ただの小娘。その言葉は大人にとって、聞く価値に値しなかったのだ。
自身の失った物の大きさに、メイナは愕然としてしまう。
叫んでも喚いても、手を差し伸べてくれる人はいなくて。
メイナはそのまま、密やかに王都を離れ、ドライ村へ身を寄せることになった。
どくりとひときわ大きな鼓動が鳴って、メイナは飛び起きる。
どうやら忌々しくも懐かしい夢を見たらしい。
王都で暮らしていた頃の夢。
この村へ来た当初こそよく見ていたが、近頃はあまり見ていなかったから油断していた。
まとわりついた不快感を払うように、メイナは大きく首を振る。
こんなものを見てしまった理由は、きっとスヴァイと再会してしまったからだ。
重々しいため息をついて、メイナは体を起こす。外はまだ夜更けだった。
風に当たれば少しは気分も落ち着くだろうかと、メイナはそのまま家を出る。
夜の村は、いつにもまして静かだった。
きっと、スヴァイは自分のことを覚えていないだろう。
それはメイナの確信に近い真実だった。
何せ彼との思い出は十年以上前、たった数言の言葉を交わしただけなのだから。
――どうして泣いているの?
――そのケガ、私が治してあげる。
――……ありがとう。
けれどそれは、メイナにとっては決して忘れられない思い出。
淡い初恋の記憶。
だけどそれは脆くも儚く崩れていった。
だって今のスヴァイは、シュナの婚約者なのだから。
聖女で姫のシュナと、もう治癒の術すら使えなくなったメイナ。
どちらが上かなんて火を見るより明らかだ。
「せめて私がまた、治癒を使えるようになれば……少しは違うんでしょうけど」
ほとんど癖のように、メイナは自身の封印の解除を試みる。
体内に潜り込み、強制的にせき止められた力の弁をこじ開けるイメージ。でも。
ばちん!
身体の中で大きな力が弾け、光が散る。それはもちろん失敗の合図で。
「――無理ね」
苦笑して、メイナは空を見上げた。
こんな夜でも、星は綺麗だ。
「今の光は一体?」
そんな感傷に浸っていたからだろうか。
静かな夜だというのに、メイナは声をかけられて初めてそこに自分以外の人間が居ることに気が付いた。
声の主はスヴァイ。
思い切り肩を跳ねさせてしまったメイナだが、あくまでも冷静を装って答える。
「何でもありません」
説明したくもないし、説明しようにも適切な言葉が見つからない。
そんな思いでメイナは口を噤む。
それになんだか、今日一日メイナはスヴァイに対して口下手だった。
スヴァイの方も、どうやらメイナに対して会話が得意ではない印象を受けていたらしい。
下手に追求することもなく、そうかと小さく相槌をうつとすぐに話題を切り替えた。
「今日は大変な一日だっただろう。眠らないのか?」
「うっかり目が覚めてしまっただけです。だからもう少し星を眺めたら家に戻ります」
しかし、立ち去るつもりはないらしい。
僅かな距離を保って、スヴァイはメイナの隣に並んだ。
「君は――随分と戦いに慣れているんだな」
何度か躊躇したのち、スヴァイから切り出された会話は今日のことだった。
共通の話題がそれしかないのだから、当然だ。
とはいえ女性にかける話題として正しいのか判断に困るそれに、メイナは少し笑って答える。
「それほどでも。未だに魔物を切る時には手が震えてしまいますから」
「その割に一人でかなりの数を倒していたように思うが?」
スヴァイの言葉は少しだけ核心をついた。
実際、元々聖女候補として治癒術を行使していただけあってメイナの魔力は強いからだ。
癒やしの魔素は使えなくなってしまったけれど、聖女候補の頃に特訓した魔力操作の基本は今の紫電の魔術にも生きていた。
「たまたま、運が良かっただけです」
しかし今のところメイナは、スヴァイに過去の話を持ちかけるつもりはない。
だからはにかんでそう答える。
「謙遜しなくても良いのに。俺達は間違いなく君に助けられたんだから」
「? 助けたの間違いでは」
けれど返ってきたスヴァイの言葉は予想外で、メイナは思わずきょとんと首を傾げてしまった。
「いいや。君があれだけの魔物を片付け、食い止めてくれていなければ、俺達がこの村に来た頃には手遅れになっていた。そうでなくとも君がいなければ俺は魔物の爪に切り裂かれ、死んでいただろう」
「あれは、たまたま……それに守り切れなくて、ケガした人も沢山居ましたし」
そう、あの足先を失った村長のように。
自分で言った言葉に、メイナはすっかり落ち込んでしまう。
あの村長はメイナがこの村に流れ着いたとき、始めにパンとスープを恵んでくれた人だった。
頑なに事情を話そうとしない怪しい小娘に、役割を与え、この村の一部にしてくれたのだ。
反対の声は大きかった。剣一本携えて、血と泥に塗れたやせっぽっちの子ども。
村から追い出し、勝手に野垂れ死なせれば良いと何人もの人が言った。
当然だった。そんな扱いを、メイナは昔からずっと受けていた。
だけど村長はそれを怒ってくれたのだ。
メイナはその恩に報いたいと思った。
だから本当なら一週間もしないうちに出ていくつもりだった村に、一ヶ月滞在した。
その間、細々と村に立ち入る魔物を倒して畑を守っていたら、村の人達が次々と声をかけてくれるようになった。
気が付けば滞在は1年を過ぎていた。
そしていつの間にか。
メイナはこの村に帰る場所を得ていた。
今日、メイナはそんな彼らを守れなかった。
村長は脚を失った。お隣のダインさんは家も畑も壊された。昨年生まれたばかりのミーナちゃんは、目の前でお兄ちゃんの腕が飛ぶのを見た。
もしも、今も私に治癒術が使えれば。
今日の惨状を思い出すと、やっぱりそんな考えがメイナの頭をよぎってしまう。
「自分を責めすぎない方が良い」
いつの間にか、メイナは自身の左腕を強く握りしめていた。爪がめり込み、血が滲むほど強く。
そんなメイナの手を掴み、スヴァイはゆっくりと腕から引き剥がす。
「村の人達だって、君にそんな風に思われたら悲しいだろう」
「そうでしょうか。いえ、その通りですね」
何があったって、メイナの不幸よりも無事と幸せを喜んでくれる。
この村はそういう人ばかりなのだから。
スヴァイの言葉に、メイナはまた、少しだけ唇をかみしめた。




