10.フィーアの街の不穏な噂
特段、ぼったくりなどの問題はなく、無事にギルドでの換金は終わった。
「心配事なんて杞憂に終わる方がいいんだよ」
とはルジェルの言葉だ。
そしてその夜、メイナたちは当初の予定通りにフィーアの街に泊まることになった。
「リースとメイナちゃん……を一緒の部屋にするわけにはいかないし、3部屋でいいか」
「え? 別に私はリースと同じ部屋でもいいですよ?」
部屋割りに頭を悩ませるルジェルに、メイナは何気なくそう答える。
それに、目を剥いたのはリースだった。
「何言ってんだ、良くないって!」
「なぜですか? 別に他人というわけでもありませんし……何回かは野宿で一緒に寝たじゃないですか」
きょとんと首を傾げるメイナ。そんなメイナにリースは大きくため息をつく。
「村育ちってこうなるのか? 常識知らずというか、箱入りというか」
「はは……まあリースが何かするとはオレも思わないけどね。じゃあ3部屋で」
苦笑いの店主と苦笑いのルジェルの間で交わされた素早い受け付けに、今度こそメイナは言葉を挟む暇はなく。
流れるように渡された鍵を握り、ひとり部屋へ向かうのだった。
皆と別れ部屋に向かった後、メイナは急に思い立ち、街を散策していた。
ドライ村に住んでいた間、年に数度この街を訪れてはいたけれど、こうして目的なく歩くのは初めてのことだった。
やれ台風で屋根が飛んだから繋ぎの素材を買って来いだの。やれ出産祝いに狩った猪に添えるスパイスを買って来いだの。
ドライ村では若い労働力としてメイナは散々働かされた。それも今となってはいい思い出だ。
「あ……」
と、メイナはとあるショーウィンドウに目を奪われる。
昼間にリースが立ち止まっていた場所だ。
日暮れでライトアップが足されたヘアアクセサリー達は、太陽の下とはまた違った美しさでこちらを見つめている。
その中で、メイナはシンプルなヘアクリップに目を奪われた。小さな碧色のフェイク鉱石がはめ込まれたそれ。
リースの目の色と同じその碧の鉱石がまるで、リースのために作られたように思えてメイナはその展示に近づく。
その隣にはメイナ自身の髪とよく似た紫のアクセントが入れられたヘアピンも置かれていた。
「すみません、あそこに展示されてるアクセサリーなんですけど――」
しめて3000シャリィ弱。二つのヘアアクセサリーを購入したメイナは上機嫌に街を歩いていた。
「ふふ」
急にプレゼントなどと言って渡したら困らせてしまうだろうか。
もしくは趣味ではないと断られてしまうかも。
けれど仮に趣味ではないと言われてしまっても、自分で使おうと思えるぐらいにいい買い物をした。
そう思えばメイナの足取りはますます軽くなっていく。
「あれ? 騎士様?」
と、宿に戻る最中。メイナは難しい顔をして露天商に礼を言う、スヴァイの姿を見つけた。
「君か」
「どうしたんですか? そんなに難しい顔をして」
メイナの質問に、スヴァイは少しだけ躊躇する。
しかし小さくため息をつくと声をひそめて話し始めた。
「どうやら、このフィーアの近くでも最近魔物の姿をよく見るらしくてな」
「それって」
「ああ。それにもう一つ、気になる事があるんだ」
つづけて、スヴァイは懐から一つの瓶を取り出す。
とろりとしたアンバーのそれはどうやらジャムのようだ。
「パタの実ジャムですか?」
「知ってるのか?」
「はい。ここ最近、人気ですよね」
パタの実は、主に猿の仲間が好んで食べる果物で、人には少し苦い木の実だ。
だから今まで滅多に市場に出回ることはなかった。
けれどどこかの商家が画期的な加工方法を発見したとかで、近頃人気があるらしい。
流石に田舎のドライ村ではまだ食卓に並ぶことはないが、フィーアではかなり流通していると、メイナは聞いた事があった。
「そうか……ただこのジャム、妙な噂があってな」
「噂ですか?」
「なんでも、これを摂取すると普段よりも強い力を発揮できるらしい」
普段よりも強い力。
その言葉の意味が理解できず、メイナはスヴァイを見上げて首を傾げる。
するとスヴァイは苦笑いをして続けた。
「まあただの思い込みかもしれないがな。そんな噂が流行っているそうだ」
「ふぅん……ジャムでパワー増強、ですか」
そこでふと、メイナはとある教訓を思い出した。
スラムで生きる中で、王都の外に出るときの注意点だ。
「あ、でも確かにパタの実を食べている猿は、そうでない個体と比べて若干筋肉量が多いと聞いたことがあります」
「そうなのか?」
「はい。ただ本当にごくわずかですし、人間にも効果があったという話は聞いたことがありませんが」
人と猿は共通の祖先をもつ、生物的に非常に近い生き物だ。
だからこそ、この話が出回った当初には危険を承知で猿の住処からパタの実を乱獲する人もいた。
ただ、その結果は無残なものだ。
人よりずっと力が強く、スラムの人間よりもよほど食物に飢えている猿から、がりがりの貧乏人がパタの実を奪い取るなど至難の技。
数多の人間が返り討ちに遭い、傷に倒れ。多少はメイナの手で癒され生きながらえたものの、半数は命を落とす始末。
結果得られたパタの実だって、美味しく食べるには苦みが強く。消化に悪いことも相まって、腹を壊す者が大勢出た。
以来、メイナにとってパタの実が食物である認識はなかったので、このジャムの噂を初めて聞いたときは驚いたものだ。
「なるほど――貴重な情報だ、ありがとう」
「でもこういうのって、ルジェルの方が詳しいんじゃないですか? このジャムの販売元の……えっと、フェイ商会。ルジェルなら何か知ってるかも」
「フェイ商会?」
メイナの言葉に、ルジェルは改めて瓶の記載を確かめる。
そしてその文字を読み込むと同時に、一つ頷いた。
「確かにこれはルジェルに聞くべきだな。君ももう宿に戻るのか? 良ければ一緒に行こう」
「はい、よろしくお願いします」
宿に戻り、早速スヴァイはルジェルに話をしていた。
そしてやはり、ルジェルはこのジャム――というよりは商会のことを知っていたようで。
「ちょっと確認してくるよ」
なんて普段よりも少しだけ鋭い目をして宿を出ていった。
その姿を見送った後、メイナは仲間たちに気が付かれないようにこっそりと宿を出た。
別にルジェルの後をつけるわけじゃない。鍛錬だ。
旅の間、メイナは自身の実力に悔しさを覚えていた。
少しでも実力が伸びるなら。その思いでメイナはこっそりと宿を抜け出す。
深夜の街が危ないとはいっても、この場所が王都のスラムよりも危険なはずはないのだから。
街の外、木々の隙間でメイナはふっと意識を研ぎ澄ませる。
2時の方向、約100m、離れた木の影に小さめのクマ型が2匹。それとは反対、8時の方向、約300m、木の上に小型の鳥類が……おそらく5体。
確かに、昼間にスヴァイが言っていたようにこの街の近くには魔物が来ているらしい。
だが、これぐらいの数であればメイナ一人でも対処ができる。
どちらが危険か。比較をして単純に距離で2時に進行方向を決めたメイナは、勢いよく地面を蹴った。
紫電の一閃。一撃で体毛が深青の一体の額を捕らえる。
続く切り返しで正確にもう一体、深緑の首を刎ね飛ばした。
血振りをして、メイナは反対方向に狙いを定める。距離、約400m。これなら。
「――あれ?」
その瞬間、5体の気配が消えた。
立ち去ったというわけではない。突如として消滅した。
首を傾げながらメイナはそちらへ近づく。
一体、何が。
「君は――こんなところにいたのか」
「騎士様?」
そこにいたのはスヴァイだった。
周りには先程感知した個体と思わしき魔物の死体も転がっている。
「何故こんな場所に」
「それは俺のセリフだ。こんなところに一人で来て、危ないだろう」
「少し鍛錬をしようと思っただけですよ。それに、自分の身ぐらいは自分で守れます」
答えて、メイナは先程倒した魔物の牙を見せる。
昼間は多少の遅れを取ったし、村の襲撃の時には数に押されてしまったが、それでもメイナは弱くないのだ。
「それは知っている。だが、だからこそこんな危険を冒して鍛錬をする必要なんてないだろう? 君の力は俺達の役に立っているんだから」
「まだ、足りないんですよ」
スヴァイの言葉はただの慰めではないのだろう。
ただ、全てが本当でもない。
彼にとって、騎士以外の人間は庇護すべき民なのだ。
だからこそ、メイナが矢面に立つ必要を感じていない。
それは多分、立派なことなのだろう。
けれど、それ故にメイナは素直に受け入れる訳にはいかなかった。
だってメイナはもう、守られるべき聖女でも聖女候補でもないのだから。
「騎士様、お願いがあります」
「うん?」
「私に剣の稽古をつけて貰えませんか?」
ならば、スヴァイ自身がメイナを保護対象だと思わないようにすれば良いのだ。




