1.紫電の村娘
静かな夜だった。
葉の擦れる小さな音が、ありもしない想像上の恐怖を彷彿させるだけの穏やかな夜だったのだ。
住人全員が知り合いと呼べるほどの小さな村。そんなドライ村のいつもの夜は、今はもう真っ赤に染まっていた。
血の臭いが充満していて、火の煽りで肌が燃えるように熱い。メイナはつうと垂れてきた汗を拭い、攻め入る魔物達を見つめ直す。
彼女の耳はかすかな悲鳴と、この村へと無遠慮に踏み込んできた魔物達の足音に支配されていた。
誰が見ても絶望的状況だった。手近な農具を武器に駆けだした大人達はほとんどが土の上に倒れ伏し、魔物達の得意げな息づかいに飲まれている。
「私に、治癒が使えれば……!」
音が出るほどに強く奥歯を噛み締めながら、メイナは腕を振るう。握られた細剣は闇にきらめき、その切っ先からは闇を切り裂く紫電が魔物に向けて走った。
紫電は今にも村人の息の根を止めようと牙を剥いていた一匹の猪型魔物を捉え、絶命させる。
一体ずつならばそう強くはない魔物達。それでも両の手で到底足りないほどの大群で押し寄せられては、今のメイナ一人で捌くことは不可能だった。
「う……くっ……」
五体倒せば一度爪で抉られる。それを対処し十体沈めれば、今度はふくらはぎを牙がかすめていった。じわじわと体力が削られていく感覚。
一歩一歩近づく終わりを感じながら、それでもメイナは逃げなかった。
理由は、ただ一つ。何もなかったあの日の自分を助けてくれた、この村の人々を見捨てるような非情に成り下がりたくなかったからだ。
それだけを胸に、メイナは震える膝を叱咤してその場に立ち続ける。
左の狼型を倒せば、右の建物影から飛び出した猪型が自慢の牙でメイナを串刺しにしようとする。それを無理矢理身体をひねり避けたところで、次には鳥型がメイナに飛びかかってきた。
――限界だ。
気丈に絶ち続けていたメイナも、それを直感的に悟ってしまう。
無理な切り返しを繰り返した脚がもつれ、動きが止まった。無茶が響いた体は、もう動かない。
「はぁ、はぁ、は……っ」
荒い呼吸を漏らしたメイナは、目の前に迫る鳥型の爪に目を瞑った。
「はあああああ!」
瞬間、目の前で光がはじける。その光の正体は剣。
メイナのものより幅広のそれは、真っ直ぐに美しく伸びている。その刀身は、今にもメイナを貫こうとしていた鳥型の羽を断ち、その命を刈り取っていた。
剣の持ち主は、アイスブルーの鎧に身を包んだ騎士だった。揺れる髪の先からも伝わるほど洗練された身のこなしは彼が戦いに慣れた人間だと告げている。
村を焼く炎に照らされ、刀身を赤く光らせた彼をメイナは呆然と見つめる。
どうしてこんな辺境に、王都の騎士様が。
疑問がメイナの脳裏を走っていく。
しかしそれをゆったり考えられるだけの余裕はなかった。
メイナを救った騎士様の背に、狼型の魔物の爪が迫っている。それを知覚してメイナは即座に走り出した。
「ーー騎士様!」
震える腕で剣を振り切り、生み出した紫電でその魔物の額を正確に捉える。
「ギィヤァァアァ!」
「っ、助かった」
脳髄をこんがり焼かれたその魔物は、耳障りなほどの悲鳴を上げて地面に倒れ伏した。しかし気を抜けない戦場はまだ終わっていない。
「なるほど、ここに来るまでの死体は君が戦った跡だったか」
次なる得物に向けてメイナが剣を握り直したと同時に、周囲広範囲を青い魔法の炎が焼き払う。それは誰が見ても明らかなほどの高等魔法だった。
それを行使したのは、一見軽薄そうに見える茶髪の男性。どうやら騎士様の仲間の魔道士らしい。
「見かけによらず、中々タフだね」
杖を軽く振りながらメイナに声をかけた彼は、即座に次なる術の詠唱を始める。
「おい、何も言わずに詠唱始めるなよ。敵地のど真ん中で的にでもなるつもりか?」
そんな魔道士に軽い調子で声をかけたのは短刀を握りしめた小柄な少年だ。
彼は文句を言いながらも手慣れた様子で魔道士へ寄ってくる魔物を打ち払っていく。
彼もまた、酷く洗練された動きをしている。一目見て分かるほど、彼らは強かった。
油断してはいけない。そう分かっていながらも、メイナは彼らの存在に安堵を隠せない。
もう、この村は大丈夫だ。
そんな確信めいた予感がした。
「さて、お姉さん。もうちょっとだけ手伝ってくれるか?」
「っ、ええ!」
年相応の可愛らしい笑みを浮かべた少年から声をかけられ、メイナは力強く頷いてみせる。身体は限界に近かったはずなのに、まだ動けそうだった。
メイナは先ほどまで魔法の媒体として使っていた細剣をより鍔の近くで握り直す。そしてそのまま魔物の殲滅へ飛び出した。
今ならば、そう簡単に囲まれることもない。
少年も魔道士も、騎士様だっているのだから。
メイナは枯渇しかけの魔力を絞り出して、剣に紫電をまとわせる。
魔法剣の構えだ。
リーチこそ紫電を放つより短いが、少ない魔力で多くを討伐するならこれが最適解だった。
メイナはもう、一人ではないのだから。
「やるねぇ」
詠唱を終えた魔道士の口笛を後押しに、メイナは目の前の敵を切り捨てた。
騎士様達の助力の甲斐あって、ドライ村は奇跡的に一人の死者も出すことなく、この襲撃を乗り切ることが出来た。
家も畑も何もかもが失われてしまったけれど、それでも人がいれば村は再び興せる。
幼子を助けるためにと盾になり、左の膝から下を綺麗に失った村長は血を失った青白い顔でそう笑って見せた。
「遅くなって、申し訳なかった」
村の被害を見つめ、立ちすくんでいたメイナに、背後から声がかかる。振り向けばそこには、騎士様ーーアイスヴァルト・カイゼル・ノルデンの姿があった。
気軽にスヴァイって呼べよ、なんて彼の仲間としてこの村を訪れた魔道士のルジェルは言っていたけれど、それは流石に恐れ多い。
それ以外にも思うところがあって、メイナは一瞬言葉に詰まる。
「ーー騎士様が謝る事じゃないです。私にもっと力があれば良かっただけですから」
結局、メイナは彼をその職業で呼ぶ事にした。それに、あまりスヴァイの顔を直視できなかったのだ。それ故、目をそらすように自嘲の言葉を漏らした。
「それは違う!」
しかしどうやらそれは逆効果だったようで、慌てたようにスヴァイはメイナの手を握った。驚いて、メイナは体を硬くする。
「本来なら、俺のような騎士が守るべきだ。少なくとも、ここが王都ならそうなったはず……君が戦わなければならなかったことすら、俺達の不手際にすぎない」
「そこまで思いつめなくても」
スヴァイの言葉はどこまでもまっすぐだった。どこか冷たく感じるほどに硬い印象を受ける彼は、そのくせどこか熱血じみた心を持っているのかも知れない。
自戒の念に包まれた彼の言葉に、メイナは思わず苦笑する。
彼は相変わらず変に真面目なのだな。
そんな事を思いながら、メイナは伏せられた彼の瞳の上をまぶたが踊る姿を見つめてしまった。
「スヴァイは生真面目なんだよな。ま、コイツはいずれ王様になるだろうから余計気にしてるんだろうけど」
「え」
メイナの思いと同じ言葉が、意識外からかけられる。反射的にそちらを見ると、そこにはスヴァイを親友だとのたまった魔道士、ルジェルがいた。
「あれ。結構有名な話だけど知らなかった?」
一瞬目を見開いたルジェルがそう続ける。
彼がそんなことを言った理由は一つだけ。
とっさにルジェルを振り向いたメイナの瞳には、きっと絶望が刻まれていたからだ。
それに気が付き、メイナはしまったとばかりに目をそらし平静を装う。
「すみません。なにぶん、ここは辺境なもので」
今のこの国の王位継承者はシュナ姫一人だけ。ならばスヴァイが王様になるというのはつまり、彼女と結婚することに他ならない。
その事実は、メイナにとって急に足場がなくなったのかと思うほどの衝撃だった。同時にそれほど動揺してしまった自分自身に、メイナは呆れてしまう。
今更、私は何を期待しているのだろうか。
こんな感情は、こんな辺境の村娘が持っていてよいものじゃないのに。
そう思い、メイナはぐっと奥歯を噛み締める。
「そんなに偉い騎士様だったなんて、知りませんでした」
無知を傘に着て、メイナはそっとスヴァイの手を放す。
姫の婚約者に、一介の村娘がそうやすやすと手を触れてはならない。
何より、これ以上触れていてはよくないことを言いそうだった。
しかしそんなメイナの動作が、どこか白々しかったのだろうか。すぅっと目を細めたルジェルが口の端を歪めてメイナを揶揄する。
きっとそれは彼なりの気遣いではあったのだろう。
しかしメイナにとっては逆効果だった。
「ふふ、もしかしてメイナちゃん。スヴァイに惚れちまった?」
「違います!」
ボロボロと零れてしまいそうなあれこれを封じ込めて、メイナは声を上げる。
うまく受け止められるほど、メイナ自身の整理が終わっていなかったから。
これ以上突かれても困る。
そう考えて、メイナはそのままルジェルの腕を掴んだ。
「へ?」
思いもよらないメイナの行動に、ルジェルは目をまるくする。
そこへ綺麗に笑顔を向けたメイナは、続けてその手の力をぐっと込めた。
「い、たたたた!?」
「ルジェル様、ここをケガしていますよね。幸い私の自宅は壊れてないので、手当てして差し上げますよ」
丁度、傷口を抉るように。
詠唱中、流れてきた攻撃を無理矢理腕で捌き急所を避けていた姿をメイナは見ていたのだ。
まあ、本当はもっと優しく手当てしてやるつもりだったのだが。こんな態度を取られるならば仕方がない。
ちょっとだけお灸を据える気持ちで患部を握りしめ、メイナは彼を引きずって自宅に向かう。
「ちょ、ごめん! 悪ふざけが過ぎた! だから腕、手を放してよ!」
喚くルジェルを放置して。




