ヒルドの歌
ホグニ王には美しい娘がいた。
名をヒルドという。
若い王ヘジンはヒルドを娶りたかったが、ホグニはそれを許さなかった。
両国の間で、ヒルドをめぐる争いが始まった。
剣の打ち合わされる音がそこかしこに響く。
生まれ育った郷のそこかしこで火の手が上がっている。
私は毛布にくるまって、ただただ家族と……恋人の無事を祈る。
それが決して相いれない願いだと知りながら。
どれだけ時が止まればいいのにと願ったかしれないけれど、無情にも時は過ぎていく。
数多の勇士たちが剣に倒れると、静寂が故郷を支配した。
どくんどくんと胸が鳴る。
悲しみに胸が張り裂けてしまいそうだ。
私が未だその結果を見ようと顔を上げずにいると――。
ぎい。と、音を立てて扉が開かれる。
期待と絶望に分断されてしまいそうな胸を押さえて、私はそちらへと視線を向ける。
「……」
血にまみれた王が――私を娶ると言ってくれた恋人が――青白い顔をして立っていた。
「ヒルド」
立っているのもやっとだったのだろう。どさりと、王がその場に膝をつく。
私はそんな彼の元へ駆け寄って、抱きしめる。
彼の胸に刺さった剣が、もう手遅れだと私を弾劾している。
「私はお前の父親を殺した」
消え入りそうな声で彼が己の罪を告白する。
こくりと首を縦に振る。この戦が始まるときにどちらかしか生き残らないことは覚悟していた。
「お前の兄弟も、親族も、すべて殺しつくした」
大丈夫、私はそんなことであなたを嫌いになんてならないわ。
力の限り彼の体を抱きしめたけど、彼の体に再び熱がともることはなかった。
べっとりとした朱い血液を私になすりつけて、その魂が体から抜けようとしているのが見て取れる。
「――お前は俺のものだ」
嗚咽まみれに王が言う。
私は彼の頬をそっと撫で、
「はい。そこに異論を挟む者は金輪際出ては来ますまい」
そう告げて、誓いの口づけを交わす。
安堵の笑みを浮かべた後、か細い私に覆いかぶさるようにして王が倒れた。
生ぬるくて気色の悪い体液が、私を濡らす。
冷たい甲冑が、私から体温を奪っていくものだから、恐ろしさと寒さで私震えてしまったわ。
――ひとりぼっちになってしまった。
家族も恋人も失った私に、生きる希望はもう何もない。
床に転がった彼の剣には、誰のとも知れない血液がまるで蛇のように絡みついている。
(いっそ死んでしまおう)
今ならば冥府への扉も閉ざされてはいまい。
ヴァルハラで彼に仕えることもできよう。
剣を抱えて、切っ先を自らの胸元に宛がう。
あとは前のめりに倒れるだけで、彼の刃は私を彼のもとへと連れて行ってくれる。
その夜は激しい雷雨になった。
戦の炎は雨に消され、オーディンの鴉たちも死肉をむさぼることはできないだろう。
……私はどうすることもできずにいた。
私を愛してくれた父も、私を幸せにすると誓ってくれた恋人も、みんな剣を打ち合わせ死んでしまった。
累々と積み重なる死体を眺め、死ぬこともできなかった私は涙に暮れる。
けれどやがて雨は弱くなり、夜明けは近づいてきている。
鷲も狼も、夜明けとともにやってきて私の大切な人たちを食い尽くしてしまうだろう。
そんなことがあってたまるものか。
私の父は偉大な王で、私の恋人もまた素晴らしい王である。
地を這う獣に、戦も知らぬ鳥に、食わしてなどやるものか。
涙に暮れる前に、私には為すべきことがある。
私の愛する勇士たちに墳墓など不要。
幾重にも呪術を刻む。
大地に、空に、愛する戦士たちに。
それは神々の奇跡。
それは誰にも成しえなかった禁忌。
死の国にだって彼らを渡さない。
血の一滴だって私のものだ。
私の愛する人たちを、誰にも渡してなるものか。
夜が来るたび、すべての死者は起き上がり、再び戦を始める。
あの日と同じ苛烈な戦場では、朝が来るまで、だれ一人だって起きていられやしない。
きっと稀代の悪女と誹られることになるだろう。
それがなんだというのだ。私は愛する人たちと一緒にいることを望んだだけだもの。
「それはまるで、綺麗な永遠のようでした」
――国を滅ぼした魔女の声が、廃墟に空しく響く。




