(4)
強化されたリュメイは、まさに向かうところ敵なし。自重を忘れた快進撃が始まった。
2面4臂4脚のデーモンの腰を両断。名も知れぬ魔獣の鉄の鬣に剣が折られるとその前脚を引きちぎって腹にぶち刺し、さらに踏み殺す。
魔獣の軀から出現した魔剣を手にとると、底なしにあふれる魔力が彼の背に光輪を象り、もはや神々しいまでの姿となる。
そして巨竜。
聖イェジーの竜退治の絵物語に出てくるドラゴンはイェジーの馬のほうがよほど立派に見える中型犬サイズだったが、それでも聖者の奇跡伝説になるほどの恐るべき魔獣。古代種ドラゴンともなれば〝古き神〟タイタンとも互角の存在だという。
この竜は2本の足で直立し、縦にリュメイの3倍、横に5倍近い巨体。長い尾のひとうねりにも殺意がみなぎっている。後ろで見守るヨランタは睨まれるだけで腰が抜け、戦いが始まればとばっちりの瓦礫を頭に受けて失神してしまう。
「ラ………タ……ヨランタ……」
「あッ!? あ、リュメイ? まさか、ドラゴン退治したの!?」
「ああ。」
「…すっ、ごぃ。これ、どうする!? 帰ってお祝いしなきゃ☆
竜退治の大英雄が誕生だよ!」
「欲しければ、やる。この力をくれた礼だ。持って帰れ。」
「私は何もあげてないって、ご冗談を。それに私がアレを担げると思って?」
「俺は、先に進む。お前は、もう無理だろう。新しいモンスターが沸く前に急いで帰れ。」
「いや、私が無理なのに異存はないけど。……えぇー。一旦帰ろうよ。ちゃんとメンバー募集してじっくり調査しながら進めばダンジョン制覇だって夢じゃないよ? 財宝、名誉、栄光…」
「知らん。今、俺が、これはどうしてもやらなくては。その予感で来たのだから、最後まで予感に従う。」
「お馬鹿ね。途中で無理になったらちゃんと帰ってきなさいよ。んもぅ。〝勇気ある者リュメイ〟と相棒のヨランタ、で売り出してひと儲けの予定は出来てるんだからね!」
「なんだ、それは。」
「もっと単純に〝勝者リュメイ〟とか〝英雄リュメイ〟がお好み? 伝説を語り継ぐなら二つ名は大事だよ☆」
「面倒はゴメンだ。もし帰ったとしても、その後はそれから考える。」
「もしかして故郷に約束した女が?」
「そんなものは無い。」
「じゃ、私でいいじゃん。いいでしょ?」
「…迷惑だ。」
「まァーーッ!」
結局、すげない態度を崩さないリュメイに憤懣やる方ないヨランタ。だん、だん、と足音高く地団駄踏み鳴らしながらもと来た道を去っていく、その背に、声がかけられる。
「夢の国での言い回しでな、迷惑だというのは〝迷惑をかけて済まない、ありがとう〟という意味だ!」
〝ありがとう〟と言われることに久しく縁がなかったヨランタが一瞬だけ硬直して、鋭く振り返る頃にはリュメイの姿はすでにない。先に進んでしまったのだろう。
「普通に言え」とか「わかるかバカ」とか、言ってやりたいことも叫びたいこともたくさんあるが、早くも周囲には巨竜の死体を喰らおうとする魔獣の気配に満ち始めている。
気持ちや思考とは別に、体の反射的反応が一目散の逃亡を彼女に強いる。言葉も発せず、ヨランタは撤退の道を急ぐ…。
*
リュメイは1人でダンジョンを進む。
襲いかかる魔獣は次第に具体的な姿を失い、浮遊する曖昧な塊であったり、気配では剣士としか認識できないのに目に映るものは指紋模様のような紐だったり。だんだんにぼやけていく正気を神への祈祷をつぶやくことでつなぎとめている。
迷宮の様相を示していた地形も、やがて道や壁といった標もなくなり、いまや床や天地も知覚できない。ただ〝前に進む〟意思に従って体を〝前〟に運ぶ。進んでいる確信はある。これを失ったときがこの冒険の終わりになる。そういう直感だ。
時間さえ、ここでは一方向に進むものではない。交錯し、滞留し、揺らいで分岐し、行き止まりになって消えるものまである。
気づけば、男は日本の街角に立ち尽くしていた。正面には、夢で自分だった少女。
学生服らしい落ち着いた風合いの服装に身を包んでいるが、年頃の女性らしい華やかさが自然ににじみ出ている少女。無表情で、正面を向いていても何を見て、感じているのでもない様子。なんだかあやふやな世界に、彼女だけがぽつんと、立っているのか浮かんでいるのか。
ずっと、話したいと思っていた相手だ。しかし何を話しかけるべきだろう。口が動くようになったからといって、言葉を滑らかにつむげる訳でもない。
キミは誰だ、と気になったこともあるが、知ったところで何ができるだろう。結局、話したかったことは聞いてほしかったこと。自分がどれだけつらく、苦しい思いをしながら生きてきたか。
思えば、自分の人生で意に沿わないところはいくつもあったし、やり直したいと思ったことも一度や二度ではない。だとしても今、無敵の力に目覚めて万能感に包まれていては、そういった苦悩も絶望もすべて報われた気がする。
であれば、やり直すべきは自分ではなく、唐突に人生を断ち切られた彼女ではないか?
衝動のままに自分自身を知るためにここまでたどり着いて、今の今まで考えもしなかった結論だが、考えるほどにじゅうぶん恵まれた生まれで好きな道を選んで生きて、満足する到達点を得た。
…満足か? いつも不満そうなヨランタの顔が脳裏に浮かぶ。否、俺は満足ができる。満足をしている。
対して、彼女・ユメには様々な、このきらびやかな世界で多くの選択肢と豊かな人生があったはずだ。できるものなら、彼女に続きの人生をあげたい。
無理な願いだが、何かに呼ばれるようにやって来た、ここは神の御下。奇跡が起きるならこの場をおいて他にはない。また、自分が呼ばれたのならば、自分にやるべきこともあるはず。そして自分が持っているのは、この命くらいのものだ。差し出して惜しいものではない。
「言ってみなよ、あなたの望みを」
どこかから声が聞こえる。ヨランタの声か?
「それに耳を傾けてはなりません、リュメイには私がついています。これからのリュメイのことを考えなさい」
今度は頭の中に響く、誰かの声。あの時の、神の使い的な意思の声かもしれない。
基本、リュメイは忠実な神の信徒であって、その声に神性を感じられれば疑う・逆らうなどありえない。しかしこの場合は少々難しい問題だ。
というのも、この男はバトルの腕前に自負心があるのと別に、人としての自己評価は底をついて低い。ダンジョンに来たのも、10のうち10まで死ぬとしても来ずにはいられなかった衝動によるもので、「ダイナミックな自殺」と言われて反論の要を感じないほど捨て鉢な行動であった。
いまさら〝自分を大事に〟という発想は彼の頭のどこにも用意されていない。
それに喜捨・自己犠牲の精神は神の教えの中で、時には〝殺すな〟〝騙すな〟の上に置かれる重要な心だ。神が良しとされぬはずがない。
しばらくの静止の後、青年は堂々、ズカズカと少女のそばへ歩み寄り、手を伸ばす。刹那、頭の中に警告の声が鳴り響くが、そのままの勢いで少女、イチノヘ=ユメの薄い肩に触れる。
掌が触れた瞬間、火花が散った気がした。思わず目をつむり、また開くと、風景が変わっている。闇だ。何も見えない、黒すら見えない精神的な闇。掌に感触はなく、伸ばした右手はすり抜ける。そのまま、自分の体もすり抜けて何にも触れない。
さて困ったことだが、まさか一生このまま放置されるということもあるまい。
「何か、言うことがあるんじゃないか。」
口に出してみると、闇がざわめく気配が起こる。そして、
「叶えてやろう。望みを、言え」
別の、低音の声がどこかから聞こえた。
この声に応えてしまえば、もう戻れない。これも勘だが、本能がそう理解している。それでも。
「イチノヘ=ユメの生の続きを。彼女の将来に多くの可能性と幸福があるように。」
「善き哉。お前の望みは叶った」
満足げな低音の声が聞こえる。〝当初の目的とは違うが、それはそれで面白い、新しいおもちゃだ〟と舌なめずりするような、神聖ではありながらも善良とは言い難い響きが混じっている。
しかし、いまさら迷いも、怯みもない。ことさらに胸を張って、次のアクションを待つ。
…体から魔力があふれる。自分で驚くほどの大量の魔力だ。それが充満する世界の中に、自分の霊がにじんで解けて、バラバラになっていく。
「イチノヘ=ユメのあらゆる可能性を、この世に。そして祝福を」
*
こうして、転生の勇者としてこの世に生まれたリュメイの全てを贄として、空間も、時間さえも隔てて、存在の可能性がある数多くの世界から数多くのイチノヘ=ユメがこの世界に呼び出された。
詐欺、騙しと言えなくもない悪意的な曲解が挟まれたような願いの叶いかた。所詮、人と神の感覚の違いはいかんともしがたいのかもしれない。
召喚されたユメたちは、ある者は女王ともなり、またある者は大魔道士として大成し、もしくは母としての充実した人生を、あるいは絶望の果ての穏やかな日々を送ることになる。
善悪の基準に収めて判断できる物事ではないが、総じて幸福な運命を保証された人々が多数 生まれたとを思えば、悩める勇者1人の心は慰められるのではないか。
ヨランタは命からがら、結論的には五体満足の無事に帰還することができた。
ポケットに収まる程度に拾ってきた上級魔獣の欠片や素材などは入手先を怪しまれて散々に買い叩かれたが、しばらくは楽々に生活できる程度の資産にはなった。ただ、あの青年と再開することだけはついになかった。
その後しばらくして、仲間となるアポスタータの面々とも出会う。マーチンの店が出現するのはさらに4年ほど後のこと。
イチノヘ=ユメの名は聞いていなかったし、リュメイのこともギリギリの忙しい日々を送るなかで、やがて思い出すこともなくなっていた。
その懐かしい名に数年ぶりに触れたのは、ヨランタがユメ=イエニーフ、旧姓でユメ=イチノヘが暮らすフルワッカ国への商隊を引き連れて訪ねたときのこと。
「……そういうわけで、占い師リューンと名乗る〝ユメ〟のお仲間さんが〝リュメイ〟という人の手がかりを何か知らないか聞きに来たんですよヨランタ師匠!」
「まァー。彼とは5、6年ほど前に一度会ったきりだけど、まさかリュメイの夢の不思議な街の女の子が、ユメさんだったとはね。
…と、いうことは、結局リュメイは最奥まで進んで、そのまま日本に帰っちゃったんだろうか? 探してた日本への門が、ダンジョンの最奥だとは灯台下というか、むしろ世界一遠いというか。」
「師匠の知り合いだったとは、こちらこそまさかで。」
「うん。愛想無しだったけど強いし意外に親切ないい人だったから、恋しちゃってあげてもよかったんだけど。……帰ってこなかったんだから、ねぇ。」
「師匠ってば意外に恋多き女。でも、想像外に最近の人よね。時間が合わないから占い師の勘はハズレかな。」
「いや、恋してないし、彼には。それに、神様が絡むと時間関係も無茶苦茶になるから油断ならないよ。私が見た神様スペースは1日がこちらの1か月になるそうだし?」
……でも、そうかぁ。と、ヨランタは思う。
帰ってこなかったんだから勇者として語り継ぐ約束は無効になったけど、もしどこかで生きてるのなら幸せを願うばかりだ。
ユメさんの立派なお屋敷には幸せそうな本人と優しそうな旦那、人懐こくて顔もいい2人の子供。絵に描いたような温かな家庭の片隅で、じゃれついてくる子供の相手をしつつ、魔都から持ってきたお酒を注ぎながら。
リュメイと 人の世の幸せに、乾杯。ユメさんとグラスを合わせて、静かに微笑みながら一杯。
私も刹那的なタイプだけど、彼ほどじゃない。死に急ぐ理由は無いし、生きていてよかったと思う仕合わせも月イチ以上にはある。それは、彼に最初にもらったパンのおかげもある。重ねて何度でも、私に親切な人の幸せを祈ろう。
「わざわざ他人の幸福を願えるって、幸せなことだよね。」
「そりゃそうよ、師匠。私なんか1日3時間は願ってるよ。」
「ま、私は、1人でおいしいお酒を飲んでるのが一番幸せなんだけどね。」
(了)




