学食でのあーんと、冷たい視線
あれからどれくらい抱き合っていただろうか。
そろそろ他の学生も登校してくる時間のはずだ。
「有栖、そろそろ自分の席に戻ろう? みんな来ちゃうよ」
「やだ……戻りたくない」
俺の胸に顔をうずめながら、有栖が小さな子どもみたいに駄々をこねる。
……可愛い。天使かな?
だが、この状況を誰かに見られたら、確実に俺の学生人生が詰む、まぁ、対して学校には行ってないし関係無いかもだが、一応留年しない程度には出席している、その必要最低限の出席日が地獄になるのは避けたい、どうにかして席に戻ってもらわないと。
「でもさ、こんなところ見られたらマズいだろ? 後でまた話そう、な?」
諭すように声をかけると、有栖はしばらく黙り込んだ。そして、小さな声で呟く。
「じゃあ、席に戻るから……明日から学校、毎日来て」
「え?」
思わず間抜けな声が漏れる。
正直、学校に毎日来るのは面倒だ。だが――
「私だけ学校にいて、透くんがいなかったら寂しいよ。
私、もっと透くんと一緒にいたいんだもん……」
……学園一の美少女に、膝の上でこんなふうに甘えられる。
これはもう、天国以外の何物でもない。うん、ここは天国だな。
「わかったよ。有栖」
俺が小さく頷くと、有栖の顔がぱっと花が咲くみたいに明るくなる。
「ほんと!? やったぁ!」
有栖の顔がぱっと輝き、まるで花が咲くような笑顔になる。
「じゃあ、これから毎日、私が透くんを起こしてあげる!」
「は!? なんでそうなるんだよ!」
「だって、透くん、絶対ひとりじゃ起きられないでしょ?」
彼女は悪戯っぽく笑い、俺の顔を覗き込む。
「ほら、私に起こされるの想像して、顔赤くなってる。かわいいっ!」
「……っ!」
図星。反論の余地がない。
ほんとに、こいつには敵わない。
有栖はそんな俺の反応にますます楽しそうに笑うと、「また後でね!」と言いようやく自分の席へと戻っていった――。
――――――――――――――――――――
午前の授業が終わり、昼休みのチャイムが鳴る。
正直疲れた...昨晩は緊張で睡眠不足、朝の怒涛の展開、それ加えほぼ引きこもりの俺の体力は底を尽きかけていた。
少し耳を傾ければ、教室ではあちこちで弁当のふたが開く音や、購買に走る生徒たちの声が混じり合うが、購買に行く体力も気力も尽きた俺は机につっぷしたままぼんやりしていた。
「透くん」
ふと名前を呼ばれて顔を上げると、目の前に有栖が立っていた。
周囲のクラスメイトがざわつくのがわかる。
そりゃそうだ。学園のアイドルが、半不登校の俺の席に来るんだから。
「……どした?」
「一緒にお昼、食べよ!」
にっこりと笑う有栖。
その声はよく通る上に、氷の女王がこんなに上機嫌だった事は俺の知る限り、今まで一度も無いはずだ、そんな有り得ない現実を目にし教室のざわめきはさらに大きくなった。
やめてくれぇ……この注目は、今の俺のメンタルじゃ到底耐えられない。
「え、でも俺、食べ物なんも持って来てないし......」
やんわりと断ろう、それが今の俺が取れる最善択だ。
「知ってるよ〜。透くん、いつもお昼食べてないでしょ? だから――学食行こ!」
「いや、でも俺疲れてるから――」
「疲れてるからこそ食べなきゃ!」
「……いや、俺今日金ないし――」
「いいよ。私のおごり!」
全部、即答で切り返される。
ああ、もう勝ち目ゼロだ。
結局、俺は有栖に引っ張られるようにして席を立つ羽目になった。
―――数分後。
学食の隅の席に二人で座る。
視線が痛い。噂好きの生徒たちの好奇の目が突き刺さってくる。
俺がトレイの上のカレーにスプーンを突っ込もうとしたその時――
「私が食べさせてあげる!」
有栖が意気揚々とそう言った。
「えっ、いや、自分で食えるし……」
こんなに好奇の目にさらされてる状況で、“あーん”なんてされたらたまったもんじゃない。
「やっぱり疲れてる透くんの手を煩わせるわけにはいかないなぁ」
「いや、それは……」
にこにことスプーンを差し出す有栖。
あぁ……これは何を言っても無駄なやつだ。
俺は観念してスプーンを渡した。
「はい、あーん」
差し出されたカレーを口に運ぶ。
――――――――――――――――――――
何口か食べさせてもらって行くうちに存外周りの視線は気にならなくなっていた、それに慣れてしまえばこんな美少女に”あーん”して貰えるなんてこの上ない幸せだった、今はただこの幸せに感謝を――
「透くん、明日からはお弁当作ってきてもいい?」
「え?全然いいけど......逆になんで今日は弁当じゃなかったんだ?」
有栖の弁当を食べる、これをご褒美と捉えずどう捉えるのか、そう!断る理由なんて無いどころか、俺から頼みたいくらいだ。
周りの視線にもそれなりに慣れたし明日の昼食も楽しみだな、なんて思っていると有栖の手が止まっている事に気づく。
あれ?俺、地雷踏んだ?
脳内で軽くパニックになっていると、有栖は頬を赤くして小さくつぶやいた。
「……だって……もし断られたら、作ってきたの無駄になっちゃうでしょ?」
「え?」
「透くんが、現実で私と食べるの嫌だって言ったら……怖くて。だから今日は作ってこなかったの。……でもね、明日からは絶対持ってくるから!一緒に食べよ?」
その目は、まっすぐで必死だった。
俺なんかに、ここまで思ってくれてる。
胸の奥がじんと熱くなり、自然と感謝の言葉が出てくる。
「…ありがとう、楽しみにしてる」
そう答えると、有栖は子どものように嬉しそうに笑った。
氷の女王なんて呼ばれてるけど――俺の目前にいる有栖はただの可愛い女の子だ。
俺がようやく周りを気にせず楽しい時間を過ごしていると、不意に声をかけられた。
「……なぁ、九条」
不意に声をかけられて顔を上げると、数人の男子が俺の机を取り囲んでいた。
リーダー格らしい一人が、ニヤつきながら俺を見下ろす。
「お前、なんで四ノ宮さんと一緒に飯食ってんの?」
「は……?」
「しかも“あーん”とかされてただろ。調子乗ってね?」
周りからクスクスと笑い声が漏れる。
胸がぎゅっと締め付けられるように苦しくなる。
こういう絡み方をされたことなんて、ほとんどない。
俺は普段、教室の空気みたいな存在だったから。
「いや、別に……」
言葉が出ない。声が小さくなる。
どう返せばいいのかわからず、視線を落としたその瞬間――
「やめてくれる?」
澄んだ声が響き渡たった。
顔を上げると、有栖が立ち上がり、鋭い目で男子たちを睨んでいた。
さっきまでの柔らかい笑顔とはまるで別人。
「透くんと一緒にお昼を食べるのは、私が望んでやってること。
彼をからかうのは、私を侮辱するのと同じだよ」
周りの空気が凍りつく。
“氷の女王”の異名は伊達じゃない。
だが、相手もすぐには引かない。
「でもよ、九条なんかより俺らと食った方が楽しいだろ?」
「私はそうとは思わない」
即答。男子たちがたじろぐ。
「こんな冴えねぇ九条なんかのどこが良いんだよ」
「少なくとも、醜い嫉妬で”私の”透くんに八つ当たりする貴方よりは断然いいよ」
その一言で、周囲の視線が男子たちに冷たく注がれる。
観念したのか、彼らは「……別に本気じゃねーし」と言い訳を残して退散していった。
有栖はふうっとため息をつくと、すぐにまた俺の方へ向き直り――
申し訳なさそうな顔でニコリと微笑む。
「大丈夫?透くん」
「……あ、ああ」
「ごめんね、私のせいで傷つけちゃって...」
「いやっ...そんなことは...っ!」
悪いのは俺だ。俺が自分で言い返せば済んだ話だ。
だから言え、言うんだ――「次からは自分でどうにかするから」って。「だから気にするな」って。
……けど、その言葉は喉でつかえて出てこない。...やっぱり俺は有栖の隣には相応しくないとまで思ってしまう、なんて情けない......。
俯く俺の頭に、ふわりと温もりが落ちる。
「顔を上げて?」
有栖が優しく撫でてくれる。
「透くんは悪くないよ。初めて絡まれたら、誰だって怖いしびっくりするよ。
だから――外の世界に慣れるまでは、私を頼って?」
にっこりと笑う有栖。
「ゲームでは助けてもらってばかりだけど……リアルだったら、私の方が強いから!」
「......ありがとう」
その言葉だけは、なんとか口にできた。
けれど昼休みが終わるまで、胸の重さは消えなかった。
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