これっておかしくない?って意味の言葉
言葉の意味っておかしくないですか?というお話です。
個人的なひとつの意見だと受け取って頂ければ幸いです。
実際に使われている言葉の用法とその言葉が持つ本当の意味と全然違うんじゃない?って事はありませんか?
嚢中の錐という言葉があります。
ネットで探すとまず間違いなく才能ある人物は自然と頭角を現す、という意味で使われています。
しかし、これは故事成語。
つまり元になった話があります。
それは古代中国の戦国時代末期、趙の平原君が亡国の危機にあたり、楚を味方に付け援軍を得るために国を出るという所から話が始まります。
趙を攻撃しているのは秦、統一前夜の段階ですがその国力は他を圧していました。
それを踏まえると楚は強国ですが、容易く救援しないでしょう。
いずれ秦が攻めてくるとしても現在は違いますし、むしろ趙を救援した事が攻める口実になり得ます。
かなりの弁士が必要で、平原君は自らの食客の中から20人を抜擢して楚に行くつもりでしたが、19人しか選べませんでした。
出立が迫る中、平原君の食客のひとりである毛遂が自分を加える様に申し出ます。
しかし平原君は嚢中の錐なら針が飛び出すはずで毛遂はそうではなかったと1度は拒絶します。
そこで毛遂は自分を嚢中に入れれば先端と言わず柄まで飛び出ましょうと言ったのです。
そこまで言うのなら、と平原君は一行に毛遂を加えて出立します。
道中他の19人は毛遂に論戦を挑みますがことごとく敗れた為に代表として認められる様になりました。
楚との交渉は予想通り難航しますが、機転を利かせて脅迫込みで救援の約束を文書にして取り付け、楚の救援により秦は兵を退却させました。
このエピソードを見れば、任用の大事さがわかりますが、毛遂は嚢中に入って初めて人目につきました。
そして平原君は嚢中に入れずして彼を評価し、低く見ていたのです。
つまり嚢中の錐とは「正しく評価する様にしなければ人材など出て来ない」という故事な訳です。
現代の解釈だと才ある者は勝手に出てくる、ですよね。
これってどうなんでしょう?
穿った見方をすれば恣意的な評価を正当化する為の解釈と見れなくもありません。
同時に価値基準を誤った平準化に落とし込む為の論理かも知れません。
個人的に色々な関わりの中で世の中というものを心ならずも深く知ってしまいましたが、そこでわかった事を端的に言うと「想像以上にこの世は腐っている」です。
まぁ、そんな事はわかっているよと思うでしょうが、そのレベルを超えているといった所です。
あんまり詳細は言えませんが。
何か違うなって事があれば、これからも取り上げていきたいと思います。
小説書け?お前が一番腐っとるやんけ?それはごもっとも。
そっちはそっちで現在書いている途中のがありますので、そのうちにアップ致します。




