配属 2
「痛え……」
「当たり前だ、馬鹿」
「でも、凄かったよ」
司令室と書かれた部屋から後頭部と左ほおを押さえ、呻きながら羽嘴が出てきて、外で控えていた冷泉が眼鏡のずれをなおし親愛の罵倒を、大平は称賛の言葉を送って、三人で食堂をめざす。廊下のまどからは居残りか、オレンジ色で複葉の練習機が飛んでいるのが見え、そこから見える滑走路の脇には緑の芝生を埋め尽くす幾百の訓練用の実戦機が立ち並んでいる。
ここは大東亜諸国連邦の盟主、大東亜皇国と呼ばれる国の最古最大の訓練基地、海軍所属千山飛行場である。戦闘機から攻撃機、急降下、重軽爆撃機の訓練飛行場であり、五つの滑走路にそれぞれ展開している総機数は二千を超え、養成されている人員及び教官の数はその倍である。飛行場の周囲は野原と海であり司令室や各種座学施設・宿舎などの生活施設は山や民家を遠くに望む、野原の広がる北側にあり、滑走路や格納庫はそこから扇状に、海に面した南側にある。
羽嘴らが居るのは〝本部棟〟と呼ばれる、三階建ての司令室と事務室、迎賓の部屋まで備えたここでもっとも背の高く、バロック調を漂わせる豪奢な雰囲気を持ちながらも落ち着いた風合いの黒茶のレンガがいたずらに貴族趣味を立たせない、風格ある場所だった。
そしてその一番上には三つのポールが立ち、一つには白地に赤丸。中に白色の桜を模したマークの入った大東亜皇国の国旗。二つ目は千山飛行場付属訓練飛行隊を示す、青地に五種の飛行機を模し、並列させたものがはためいている。そして三つ目には、平時には掲げられない緋色の旗が掲げられていた。
「しっかしよお、教官に棍棒で後頭部。基地司令に右ほおを殴られるなんて……、そこまでしなくていいと思わないか?」
本部棟から渡り廊下になった時に、再び羽嘴が口を開きだした。
「お前が殴られるなんてしょっちゅうのことだろ。攻撃機に戦闘機や急降下爆撃機みたいなマネさせてよ。どうせ後席にいる教官のことなんか考えずにふりまわしてたんだろ」
「でも、それで空中分解も翼にしわ寄せることもないんでしょ?すごいよね~」
大平の暢気な声が羽嘴の単純な頭を少し目覚めさせる。
「なるへそ。冷泉もオレの腕を認めてくれてるってことか。非難に混ぜるとはレベル高い……わかっておるな」
「ちがうわ!」
やや赤面した冷泉はそう叫び、大仰に咳払いすると話題の転換につとめることにした。
「ところでだ、なんで羽嘴はさっきからにやついてるんだ?彼女でもデキたか」
「あ、あの手紙の女の子だね」
「ちがうわ!つかいつ見た親からの手紙!」
大平の頭を二の腕で締め上げ、冷泉を睨む。「なぜぼくだけ」という大平の正当な抗議は無視された。冷泉は両方スルーして、
「なんだそれ?ま、いいや。だからなんでだよ。まさか殴られる趣味に目覚めた、とか?」
「それが一番違うわ!でも、へへ分かってしまったかぁ」
しばらくクネクネと奇怪なダンスを踊っていたが、急にふりむくと、
「ふっ、聞いて驚くなお前ら」
もったいつけて、
「オレの配属先が決まったのだぁ~!」
叫んだ。左腕は腰に、右腕は晴れ渡る天空を突いている。まぶしい笑顔の先にある彼らの視線の先はと言えば、
「え」
「え」
蟾蜍のような声を上げた冷泉と大平に互いに向いていた。当然羽嘴は、
「な、なんだよ。驚かないのか!この飛行隊始まって以来の反省書王と名高いこの俺が決まったんだぜ!しかも入隊してから一年で!」
「いや、驚いてるよ、うん。十分」
「あ、ああ。マジで」
大平と冷泉はなんとかそれだけを口腔からひねり出した。そして、
「じ、実はさ」吃音のひどくなってしまった大平を引き継ぐように、
「俺達も決まったんだ。配属」冷泉が告げた。
「は?」
羽嘴、茫然。彼は、常日頃から実戦への参加希望を声高に叫んでいた。それゆえにこの三人の中で自分だけ選ばれたたぜヒャッホウ、とでも考えていたのだろう。一分ほど彼の精神世界の旅をしてくると。整理がついたのか、
「すげえじゃん!」
叫んだ。どこかで鳥がバタバタ云わせて飛び立ち、冷泉と大平は耳を塞いだ。
「うっせえよ、羽嘴!」いち早く立ち直った冷泉が羽嘴を殴る。だが羽嘴は動じず、
「だってさ、冷泉は水平爆撃に推測航法のエース。大平は電信と対空射撃のエース。俺は操縦がエース。これは最強の攻撃機の誕生だぜ」
「自分で言っちゃうんだ、そこ。でも、そうかもね」ようやく復活した大平が言った。
「ないない。だってペア合わせだってまだなのに」冷泉はあくまで常識的に発言する。
というのも、大東亜皇国海軍航空隊のモットーは少数精鋭であり一人あたりにかける訓練時間は千時間を超え、各専門コースに必要な基礎を最初の一年にこれでもかと叩きこむ。そして二年目でより高度な実戦訓練が始まるのである。
この訓練システムがこの國を窮地に追い込んでいるのだが、さておきここで彼らが選択しているコースは〝攻撃機〟である。この機がこなす任務は、自機と相手との距離と速度を計算して機体を水平のまま爆撃する水平爆撃、敵艦に対し低高度で進入し魚雷を投下する雷撃、敵の潜水艦や敵艦隊の発見、敵情をさぐる地味目だが重要な哨戒や偵察といった任である。
操縦席前方には操縦と雷撃を行う人間が、真ん中には爆撃手と航法士を兼ねた人間が、そして最後尾には電信を行う通信士と非常時に射撃を行う人間の三人が乗るが、戦果もとい生存率を高めるためにはこの三人の息が合っていないといけない。
それは本来二年目で行われるものであった。三人はまだ一年目であり、バラバラで訓練をせざるを得なかったのだ。冷泉はこの二点を指していたのだが、もちろんバカ(羽嘴)には伝わらない。
「ふっ、この明晰な頭脳と頑強健常な肉体がついに役に立つな」
「そうだな、たしかに頑強健常だよな」
「なにか言い含んで聞こえるんだがな、冷泉?」
「そう考えるならその明晰な頭脳とやらで判断してみろよ、羽嘴」
「ああ?喧嘩売ってんのか!」
「おお!売ってやろうか?」
「待ってよ!」
大平が、彼にしては大きい声を出して制する。そうして壁にかけてある時計をさした。
「あ」
「あ」
二人は気づいた。
「食堂が閉まる!」
「出発まで四十分しかねえ!」
羽嘴は食堂へ、冷泉は宿舎へと走る。二人を眺めていた大平の頭にはある言葉が浮かぶのだった。そうして、また外を眺めて考えた。
―宿舎と食堂、どっちに行こうかな―