配属 1
空の上は寒いか、と聞かれれば寒いと言わざるを得ないだろう。
ならば飛ぶのは嫌か、と聞かれれば否と答えざるを得ない。
ここは地上より、自由だから。
「羽嘴!聞いてるか!今日はお前にいい知らせだぞ。おい!」
「聞いてますよ、教官どの」
意識と目線は風防の外。目当ては……いた。
「下に降りたら伝えてやるから、今日は大人しくコース通りに……」
ガkン
風防に頭をぶつけた鈍い音が聞こえた。多分教官だろう。まあ、いいっしょ。いつものことだし、これからやろうとすることも、いつものことなのだから。
※
この答えに一つの成果がかかる。
この指示に全ての成果がかかる。
それは、とても重大で、とても心地いい。
「進路右七度修正……そのまま」
覗く十字を切ったレンズを付けた標準機がじりじりと目標を捉える。機体の振動は気にならない。緊張の武者震いも、なし。全てはいつもどおり万全。風を始めとした気象も問題なし。
「時計発動用意」
「時計発動用意」
「時計発動」
「時計発動」
投下レバーを握る右手が、わずかに震えていた。
―かちかちかち―時計は鳴る。
それでも頭はクリア。音と眼、それがある一点で答えを弾き出す。
「投下!」
俺の後ろの席で旗が上がる。それに合わせて後ろに続く六機が演習弾を投下する。
機体はやや跳ね、操縦員が機体を傾かせて結果を見せてくれる。
全機、所定の目標を射抜いていた。
息がこぼれる。硬いせもたれに体をあずけて、目をつむる。「やったじゃねえか」と後ろの、旗を上げた教官が声をかけ、差し出された実習中は飲んではいけないサイダーを受け取ろうとした時に、……ガシャン。
厚い航空手袋をはめた右手が俺の代わりにサイダーを飲んだ。体は、機体と同様に左に叩きつけられる。何かから避けるように。
ばああああああああああああああああああああああああああああああああああああん
激しい爆音が間近で聞こえる。分かってる。ああ分かってるさ、こんなことする奴!
「うはしぃ!」
くるくるとロールしながらこっちに近づき手話で、
「よくやった、冷泉」
と告げ、手を振って見る間に下に急降下していった。
「はっ、バカかよ、あいつ」
だが、腕はいい。同じ飛行機に乗ってるとは思えない。三座の、魚雷攻撃や水平爆撃に使われる攻撃機を、まるで戦闘機のように扱う。幼年学校からのクサレ縁だが、あの頃の無鉄砲そのままに機体を振り回している。あいつとペア(同乗者)になったらたまらないだろうが、密かに組んでみたいとも思っていた。点になっていく羽嘴の機体を目で追いかけながら、あいつはどう思ってんだろうな、ともう一人のクサレ縁を思い出すのだった。
「まったく、またあいつか。そうだ、冷泉」
操縦担当の教官が、前から呼んでいた。
※
誰にも誇れるものは持ってないと思ってた。
どこでも誰かの荷物だとおもってた。
でも、ここは違った。
「いいかぁ、制限時間は三十秒!六百字打電ようい、始めェ!」
小学校の体育館を半分に縮めたような、かまぼこ型の屋根の平屋に、百人ほどが座っていた。彼らの左には紙が、右には電気コードがついたホッチキスのようなものを押さえている。それを叩くたび、キュイキュイという音が鳴り、紙に穴が空いていく。また、それは一定の規則を持っているようだった。
「止めェ!」
一斉に手が離れる。ストップウオッチを握った教官とおぼしき厳しそうな男性が全員を見回し、「よし。答案は後で回収するが、出来た者はおるかぁ!」
「へあい」
気の抜けた声が返ってきた。教官は少し驚き、席に座っていた大勢の者は苛立たしそうにうつむいている。
「またお前か。まあお前なら確認するまでもあるまい。対空射撃訓練でも優秀、後部要員の鑑だ。お前らも大平を少しは、見習わんかァ!」
大平と呼ばれた少年は照れ臭そうに、丸刈りの頭をかいている。人の好さそうな赤ら顔で肉つきもよく、ふっくらとした印象を受ける。万人に好まれそうだ。だが、それは―
「ちっ、あいつ腹立つよな」
「ああ、デブのくせによ。脂肪で銃の衝撃吸収してんじゃね?」
という、容姿からの先入観からもたらされるものであった。後部要員のなんたるかを熱烈に語る教官には聞こえてないようだが、大平には聞こえていたようで困ったように表情を曇らす。「そうだよ。そうやっていつも申し訳なさそうにやってりゃいいのによ」
「また、投げっか、切った消しゴム。あいつ、ヒぁ、とか言ってこけるぜ。アイツにばれなきゃいいだろ。なんでか、教習中にあったことはアイツに言わねえからな」
大平にも聞こえない小さい声で言うと、同意し、囃す声があり、そうして実行に移されようとしたときだった。
ががががががががががががががががががががががががががががががががががが
窓ガラスが、割れんばかりに振動した。中に居た者はことごとく耳を塞ぎ、投げようとしていた者は自分たちがなぜ、彼にこんな(陰湿)行動しか取れないのか思い出す。
みなの耳鳴りが終わったあと大平は窓に向かい、羨望のようなまなざしでもはや高空に消え去った羽嘴の機体を追っていくのだった。
「あんのバカタレが!低空飛行は失速と衝突の危険があるとあれほど言っておるに!まあいい。午前の電信訓練は終了だ。午後一三・○○より機上にて射撃訓練を行う!解散!」
文句はそこかよ。という嘆息というともに出ていく人の列に大平も並ぼうとしたときだった。
「大平、話がある。ちょっとこい」
いつもギャンギャンうるさい教官が、珍しく静かに声をかけてきた。