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海を渡る風  作者: 風羽洸海
二章 オラーフェン皇国
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初興行

 ピン、と音を小さく鳴らす。軽く目を閉じて息を吸い込むと、それだけで周囲の雑音が意識から消えた。弦の上を指が走り、優しく暖かな旋律を紡ぎだす。短い前奏に続いて、透きとおった歌声が通りに響き渡った。

 途端に立ち止まる人数が増えた。行き過ぎていた者までが幾人か、はたと足を止め、慌てて戻って来る。それもそのはず、彼の歌声は人々に初めての衝撃をもたらしたのだ。

 耳に聞こえるのは異国の言葉なのに、心にその意味が伝わってくる――

 あり得ない経験に、聴衆はこぞって目をみはり、少年を注視した。翻訳呪文の効果なのだが、魔術を知らない人々には、彼の歌声が人ならぬもののように聞こえたのだ。あるいは魅入られたように立ち尽くし、あるいは恐怖に駆られたか耳をふさいで走り去る。

 ただ、特に注意を払わなければ神秘の声も聞き過ごされるもので、連れとの会話や考え事に夢中の者は、アトゥリナに一瞥もくれない。おかげで大騒ぎにはならずに済んだわけだが、その幸運に彼自身はまだ気付いていなかった。

 アトゥリナが最初に歌ったのは、デニスの民謡で、戦に出た男が故郷の家や恋人、柘榴の木などを懐かしむ内容だった。これにしろ、とフェーレンに言われていたのだ。ふるさとを思う歌は何処にでもあり、誰にでもわかりやすく、受け入れられやすい。

 そう長くはない曲が終わると、余韻が消えるのも待たず、群衆の中から一人の男が飛び出してきた。アトゥリナは驚いて身を竦ませ、ビードがさっと前に立ちふさがる。しかし危険はなかった。男が掴みかからんばかりの勢いで迫ったのは、歌い手ではなくフェーレンだったのだ。

「おいフェーレン! なんだこいつは、おまえ一体何を連れてきた!?」

「落ち着けよ。言ったろ、西の海の果てから流れ着いた可哀想なお坊ちゃんだ。あっちには特別な技があってな、こいつはその修行をしてたんだと。おかげで、知らねえ言葉だってのに、ちゃんと意味がわかったろ?」

 しれっとフェーレンは応じる。アトゥリナは目をしばたたいて彼を見上げた。よくまあ咄嗟に、適当な言葉がすらすらと出てくるものだ。もちろん、いきなり魔術だなどと言っても通じないだろうし、下手をすれぱ土着の呪術妖術の類と同一視され糾弾されるかもしれないので、フェーレンのごまかし上手には感謝すべきなのだが。

「ほう、それは歌い手の秘法というやつなのかい」

 聴衆の一人が面白そうに問いかける。その視線はアトゥリナに向けられていた。直接の返事を求められたアトゥリナは、慎重に答えた。

「歌い手だけに限りません。私達の故郷には、或る……方法があって、それを使えば、異なる言葉でも互いに意思疎通が可能になるんです。今、私の言っていることが、ちゃんと伝わっていますよね?」

「ああ、うん。だがさっきの歌声とは違うな。私には、坊やが普通にしゃべっているように聞こえるが」

 坊や呼ばわりされて、アトゥリナは心中密かに傷ついた。堪えて微笑を浮かべる。

「そうでしょうね。でも、よく気をつけて口の動きを見て下さい。ほら、あなた方の言葉とは違うでしょう」

 言われて男は人垣から進み出て、アトゥリナの前に屈んだ。そして、その通りだと確かめて何度もうなずく。

「なるほど、確かに」

「普通に話す場合はこんな風に、気をつけないとわからないぐらい自然にやり取りができます。ただ、歌というのは本来の言葉と旋律とが深く結びついていますから……」

「原語も聞こえつつ、意味がわかる、というわけか。なんとも驚嘆の技だな!」

 男はすっかり感じ入った風情だ。アトゥリナは顔を赤らめて目を伏せた。

 魔術そのものを賞賛されるのは嬉しく誇らしいことだ。しかし故郷には自分よりずっとすぐれた本職の魔術師がごまんとおり、この程度のことはなんら驚くに値しない。ただ相手が知らない技だというだけで己が感心されるのが、恥ずかしくもあった。

 そんな彼の前に、男は片膝をついてにじり寄った。

「褒められて恥ずかしがるとは、初々しいものだな。どうだね、こんな場所ではなく、もっと大勢の客の前で歌ってみようとは……」

 そこまで言ったところで、目の前をすっと手で遮られる。男が顔を上げると、ビードが厳しい面持ちで二人の間に割って入った。

「それ以上、我が主に不逞な思惑で近付くな」

 決め付けられ、男はムッとなって立ち上がる。

「なんだおまえは、無礼な」

「無礼はそちらだ。我が主は場末の娼婦のように値踏みされるべき御方ではない。貴殿は知らずとも、デニス帝国皇帝の血筋に連なる貴き御方。今は漂泊の身だからとて、軽侮は罷りならん」

 淡々と、しかし決して譲らぬ意志の力を込めてビードが言う。片手は既に、腰に帯びた短剣の柄に置かれていた。不穏な雲行きに、周囲がざわつきだす。衆人環視のなかで非難された男は、苦りきっていた。

「およしよ、ビード」

 なだめたアトゥリナの声は、剣呑な空気に不釣合いなほどおっとりしていた。彼は琴を置いて立ち上がり、ビードを下がらせてから男に詫びた。

「ご親切には感謝します。ですが私はまだ、多くの人にすべてをお聞かせする準備ができていません。私が何者であるかを証する手立てもない今、彼女の言葉を信じるも信じないも、あなたの自由。ですがもし、私の身の上や、故国デニスの歴史文化に興味を持って下さったのなら、歌を聞きに来て下さい。しばらくは、この町に留まるつもりですから」

 毒気を抜かれた男は態度を決めかね、曖昧な顔で唸るばかり。そこへ、フェーレンの知り合いらしき最初の男が口を挟んだ。

「しばらく、って? どっか行く当てがあんのかい。要するにあんた、船が難破して流れ着いたってことだろ?」

「はい。ですから故郷に帰るため、香料半島まで旅して船を探すつもりです」

 ぱか、と男は顎が外れたかのように口を開けた。束の間、まじまじとアトゥリナを見つめ、それから彼は渋い顔でフェーレンに抗議した。

「おい、おまえが吹き込んだのか? 半島なんてむちゃくちゃ遠いじゃないか、身ひとつでふらっと行けやしないぞ。それよか、この町に住むことを考えてやったらどうなんだ」

「そいつは俺が決めるこっちゃない。長旅だとは言ったさ。それでも帰るかどうかは、本人の心次第だろ。ここが居心地良けりゃ、居着けばいいさ。金が貯まらなきゃ、どっちにしろ旅は無理だしな。そこまでは面倒見られんよ」

 肩を竦めたフェーレンに、その知人は酸っぱそうに口をすぼめた。そこへ、さきほどの男が気を取り直して割り込む。

「だったら尚更、私の提案を飲んだらどうだね。君……」

「ああ、申し遅れました。私の名はアトゥリナ、彼女はビードです。どうぞ宜しく」

「そうか、私はスオモ、店を何軒か経営している。君が私の店で歌ってくれるなら、衣食住はこちらで世話をしよう。もちろん、客の入りに応じて給金は出す。悪い話ではないだろう?」

「一曲だけでそこまで言って頂けるとは、見込まれたものですね」

 相変わらず、アトゥリナは穏やかな微笑のままだ。丁寧で友好的な対応だが、決して本心を悟らせない。スオモは思ったほどに相手が単純素朴ではないとようやく理解し、やりにくそうな顔になった。

 彼が知る由もないが、基本が引き籠り生活のアトゥリナとて、ただ漫然と貴族皇族に囲まれて育ったわけではない。人の下心を見抜く目も、手の内を晒さず有利に持っていく話術も、その年齢にしては不相応に備えている。

 アトゥリナは五弦琴を取り、再び腰を下ろした。

「私が貴方の店にふさわしいかどうかは、もう少しお聞きになってから判断されても遅くないでしょう」

 悪戯っぽく言うやいなや、アトゥリナはフェーレンから最初に教わった例の曲を陽気にかき鳴らした。前奏だけで、内容をよく知っている聴衆がどっと沸く。男は笑いながら手拍子を取りだし、女は顔をしかめて頭を振る。それでも離れていく者がいないのは、異国の少年がどんな風に歌うのかという好奇心のゆえだろう。

 いざ歌が始まってみると、音程はもちろん、歌詞の発音も文句なしに正確。しかもアトゥリナの若々しい声にかかると、卑俗な詞がまるで別もののように、あっけらかんと滑稽に聞こえる。聴衆は大喜びだ。ただしビードは、いつもの無表情に少しばかり残念な気配を浮かべて、主人の口から飛び出す数々のとんでもない言葉に、じっと耐えていたが。

 騒がしく低俗な歌が苦痛なのは、彼女だけではなかったらしい。間接的に拒絶されたスオモは、忌々しげな舌打ちを残し、一番の歌詞の半ばにして憤然と立ち去っていた。

 今度は曲の終わりと同時に、割れんばかりの拍手が起こった。口笛や、もう一曲、と求める声までが飛ぶ。気の早い誰かが硬貨を投げてよこし、敷物の上に転がった。

 アトゥリナは一礼してから更に数曲披露し、ひとまず終了のしるしに立ち上がって礼をした。フェーレンが手際よく小さな木皿を回し、おひねりを集めると、聴衆はざわつきながらも散っていった。

「よしよし、初めてにしちゃ上出来だ」

 フェーレンが小銭を数え、半分ほどを自分の懐に入れる。アトゥリナは肩を落とした。

「でも、鞄の代金を引いたらいくらも残りませんね。世間の評価は厳しいなぁ」

「わかるのか? 自分で金を数えたこともないかと思ってたぞ」

 軽く揶揄されて、アトゥリナはちょっと恥ずかしそうに苦笑した。

「それに近いのは認めます。でも昔は時々、ビードと一緒に街へこっそり出かけて、屋台でお菓子を漁ったりしましたから。ここの通貨や物価は知りませんけど、あれで鞄二つ分なら、残りのこれだけでは今夜の宿代も出るかどうか、ってところじゃありませんか?」

「心配するな。あと一回歌えば、安宿に晩飯つきで泊まれるぐらいは稼げるだろうよ。宮殿で決まりきったのを歌ってりゃ、腹いっぱいの飯と上等の服にありつけた頃とは、わけが違うからな。覚悟しとけ」

 フェーレンは厭味なく笑い、アトゥリナの頭をわしわし掻き回した。ビードはそんな態度が気に入らず、いささか不機嫌に主人を避難させた。

「フェーレン殿。アトゥリナ様も私も、この町のことなど何も知らないのです。黙って見ておられず、あの男を退けるのに手を貸して下さっても良かったのではありませんか。デニスの流儀でふるまって、危険な相手を怒らせてしまったら……」

「何を言ってる。あの旦那は親切に面倒見てやるって言ってくれたんじゃねえか」

 フェーレンは心外だとばかり応じたが、わかっていてとぼけているのは明らかだった。ビードは眉を寄せ、声を低めてささやいた。

「気付かないと思われますか。あの男の目は、たやすい獲物を見つけた強欲な獣そのものでした。どうせ経営している店とやらも、性質の良いものではないでしょう。表向きは合法かもしれません、野卑な歌が不似合いな高級店かもしれません。しかし迂闊にその世界に踏み込めば、最後の血の一滴まで搾り取られて死ぬまで自由になれない、そういう店ではありませんか」

「へえ」

 感心したのは、皆が去った後も残っていたフェーレンの知人だった。

「よくわかったな。実際、断って正解だよ。ああ、俺はタハラハ。北街で雑貨屋をやってんだ。よろしくな」

 手を差し出され、アトゥリナはこれでいいのかなと、ためらいながら握手する。どうやら同じ習慣があるらしい。

「アトゥリナです、よろしくお願いします。タハラハさんはフェーレンさんのお知り合いですか」

「お知り合い、なんて上品なもんじゃないさ。時々うちで買い物してってくれるから……って、ああそうだ、忘れてた。おいフェーレン、店番が値段を間違えてたんだ、悪いな」

 タハラハはしゃべりながら、フェーレンに銅貨を数枚渡す。受け取ったフェーレンはそのままアトゥリナに回した。

「そら、おまえのだ。しかし案外おまえも、人のあしらいが上手いもんだな? 宮殿暮らしでちやほやされてただけじゃねえってか」

「ええ、まあ。下心があるかないかぐらいは、なんとなく感じ取れますよ」

 肩を竦めたアトゥリナに、タハラハは数回瞬きして、しげしげと二人を見比べた。

「なんだい、漂泊の王子様ってのは、本当なのか? 俺はてっきり、また凝った筋書きの芝居を始めたもんだと呆れてたんだが」

 王子、と言われてアトゥリナは小首を傾げた。

「私は王子ではありませんよ。皇族の一人ではありますが、そんなに位は高くありませんから。ただ国の歴史を歌として覚え、人に聞かせるだけの、語り部です」

「……? よくわからないんだが」

「要するにお坊ちゃんだってことだ」

 タハラハは首を傾げたものの、フェーレンの大雑把な一言で「そうか」と納得した。

「で、王子様。町に腰を据えて金を稼ぐってんなら、安い宿を紹介してやるけど、どうする? 俺の親類がやってるんだ。宮殿にくらべりゃ家畜小屋みたいなもんだが、性質の悪い客は近寄らせてない、まっとうなとこだよ」

 やっぱり王子様なのか、とアトゥリナは苦笑しつつも、ありがたく紹介してもらうことにした。いつまでもフェーレンの家には居座れないし、となれば日々の費えは少なくしたい。それにタハラハはごく素朴な印象の男で、言葉に打算の気配もなかった。

 当座の落ち着き先が決まると、フェーレンは「幸運を」の一言を残して、あっさり帰っていった。置いてけぼりをくったアトゥリナは、やはり心細くなってしまう。それがまともに顔に出たらしく、タハラハが笑った。

「面倒見がいいのか悪いのか、あいつもよくわからんからなぁ。でもま、今日のところは俺が後を引き受けるから安心しな。夕方になったら迎えに来て、宿まで案内するよ。それまでせいぜい稼いでな」

 俺も店があるからな、と言い残して、タハラハも去っていく。アトゥリナはビードと顔を見合わせたが、仕方ない、と開き直って腰を下ろした。

「やるしかないね。フェーレンさんみたいに上手い口上が言えないのは残念だけど」

 木皿を置いて硬貨が飛び込むのを待ちながら、道行く人の心に届くように、短めの歌をあれこれ選んで披露する。おおっぴらに目立つのは避けたかったので、欲をかかないことにしたのだ。のっけからスオモのような人物に目をつけられたので、アトゥリナは少し用心深くなっていた。

 そのおかげか、稼ぎは少なかったが厄介事もなく過ぎ、夕暮れには宿に落ち着くことができた。宿の主もタハラハ同様に親切で、アトゥリナの身の上を聞くと本人がたじろぐほど盛大に同情し、まとまった金がないのは明らかなのに一室をあてがってくれた。

 足がかりを得たアトゥリナは、それから毎日カウロンの街で歌を元手に小銭を稼いだ。同じ場所ばかりでは客も入りにくいので、何箇所か安全そうな場所を探して確保し、順番に回る。雨の日は宿の食堂で歌えば、主人がその日の宿代を免除してくれるという気前の良さだった。フェーレンは一度だけ様子を見に来たが、二人が問題なくやっているのを確かめると、声もかけずに去ってしまった。そうして瞬く間に十日余りが過ぎた。


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