青年リビウス
使者に連れられてやってきたのは、町の辺縁にある大きな水路。
町の中を巡っているものよりも、はるかに幅が広くて、どこまでも続いていくようなその水路で待っていたのは……魚?
あの日見た闇物みたいに大きな魚の後ろには、馬車がそっくりそのまま水に浮かんだような箱があって、それが魚と繋がってるみたい。
これは馬車ならぬ魚車?
「こちらにお乗りください」
私と青年が案内されたのは、二つある魚車のうちの豪華な方で、手綱を握る席に護衛が二人、後方に一人、他の護衛と使者は別の魚車で先導していくみたい。
もちろん今日初めて魚車に乗ったわけだけど、その動きだしこそあれ、スピードに乗ってしまえば揺れは少なくて、車内の座り心地もよくて、ひとまず安心してお城まで旅ができそう。
でも、あの青年と二人きりの車内の乗り心地はまだイマイチ。
付いて来て欲しいと咄嗟にいったものの、あの一件のことを思い出すと、どうしても気まずいの。
それでも、話しかけないと。
だって、彼の方から、一緒に行くといってくれたんだもの。
「私は……ルナリアっていうの」
「お前の名前くらい知ってるよ」
「それで……あなたは?」
「リビウス」
「リビウスね……それでね……あのね……本当にありがとう」
「何のことだ?」
「数日前、闇物から私を救ってくれたこと……」
「闇物? 魔物のことか?」
「この世界ではそうやっていうのね……」
「まあ、言い方はどうでもいいが、俺は俺の役目を果たした。ただそれだけだ」
目を合わせて話してもくれず、そっけないやりとりの末、辿り着いたのは沈黙。
だけど、意外にもその沈黙を破ったのは彼の方だった。
「それでだな……」
彼はどこか気まずそうに、今まで以上に私から顔を背けた。
「なに?」
「いいや、あれだ……なんで、お前は俺を従者として認めてくれたんだ? あのとき、あんな事を言った俺なのに……」
ただの乱暴な青年かと思いきや、数日前のあのことを、私とは別の意味でずっと気にしてたみたい。
そのことを気まずそうに聞いてくる彼のどこにも、怖い雰囲気はなかった。
きっと、あの時の乱暴さは、町を魔物から守る戦士としてのものだったのね。
「あれは私が悪い。ただ、それだけ」
「だとしても、あんなことを言われて、俺と二人っきりは嫌だろ?」
「たしかに、こうやって話すまでは、本当のところちょっと怖かったけど、集会場のときも、魔物から助けてくれたときも、リビウスだけは私を特別扱いしないで接してくれた。現にこうして、私を救世主さまって呼ばずに、普通に話してくれてるでしょ?」
と、自分の口から出た言葉で気づかされる。
いつの間にか、彼と普通に話せてた。
互いに同じ出来事で悩んでいたのがちょっとおかしくて、気まずさなんてどっかに飛んで行っちゃったのね、きっと。
「二人っきりは嫌だろって聞かれたから、逆に、私からも一ついい?」
「なんだ?」
「どうして一緒に行くと言ってくれたの?」
「それはだな……」
「それは、何?」
「……お前には関係ない話だよ」
彼は頬を赤らめて、口を閉ざしてしまった。
結局、それからお城に着くまで話さずじまいだったけど、それでも、誰かと普通におしゃべりできたことが嬉しくて、この世界に来てから初めて笑顔になれた気がした。
城に着いたと魚車から降ろされたとき、ここはまだお城じゃないと思った。
思ってたよりもお城が小さかったことは置いといて、遠目で見た時からわかってはいたけど、雲ひとつない青空の下なのに、光は当たっているはずなのに、ここら一帯がどこかもの暗く感じるの。
道なりにあった畑も荒れてたし、城壁の中の街はさびれ、人の気配も少ないし、
城がないことを除けば、よっぽど海辺の町の方が領都らしかった気がするけど……。
そんな変なお城のせいか、ここに来てからリビウスの様子がどうも変なのよね。
お城に着いた途端に忙しなくあたりを見回してるの。
何かを探してるのか、それとも、彼もこういったところは初めてで、その見た目とは裏腹に、子供っぽく心躍らせてるのかな。
「今日はお疲れでしょうから、領主さまとの謁見は明日にいたしましょう」
謁見は明日ということで、その日は特に何もなく、夕食を食べ、来客部屋へと案内された。
でも、おかしいの。
集会場の一件で私の感覚がおかしくなったせいか、夕食はわざわざ招いたにしては質素に見えるものだったし、何といっても、案内された部屋は一つだったの。
リビウスもおかしいだろって使者に訴えたけど、リビウスが来るのは想定外だった、の一言で終わってしまった。
「ねえ、何か変じゃない? お城ってこういうところなの?」
「お前もそう思うか。俺も変だと思う」
使者の足音が聞こえなくなると、二人とも合わせたように声を出した。
魚車の中では目を合わせてくれなかった彼が、今では厳しい目つきで、あの日、魔物から私を救ってくれた時と同じような鋭い目つきで、私を見て話してくれてる。
リビウスのことを少しでも知った今だからこそ、その彼に対して恐怖心は一切ない。
リビウスがいてくれて本当によかった、と心から思うくらい。
だって、この部屋に一人きりだったら、きっと不安で震えてたもの。
「部屋なんていっぱいあったのに、なんでこの一室だけなのかな?」
「それもそうだが、それ以上に変なことがある」
「それ以上に?」
「城なのに全然人がいないだろ? 普通は侍女、召使い、給仕とかが大勢いるものなんじゃないのか?」
言われてみれば、夕食の時も、部屋に案内されるときも、使者か他数人としか会っていなかった。
「ここの領主さまの方針で、人を少なくしてるとか?」
「俺にわかるわけないだろ」
「それもそうか……」
「なんにせよ、領主とやらがどんなやつか、実際に会ってみるまではわからない。だから、明日に備えて、まずは寝ろ。長旅で疲れてるだろ」
「でも……」
「大丈夫だ。俺が見張っといてやるから、安心して寝ろ」
そう言われてベッドに入ったけど、落ち着いて考えてみれば、たぶんアルスよりもちょっと年上の青年と、一つの部屋で二人っきりのこの状況。
リビウスは寝るように促してきたけど……と、シーツで口元を隠しながらジーッと彼を見てしまう。
「お前になんか手を出さねえよ」
私の視線に気がついたみたいで、扉の前に座り、廊下を警戒していたリビウスがこっちを見た。
「ホントに?」
「疑り深いやつだな。もう一回言うが、お前になんか興味ない。だって、俺にはな……」
リビウスは言いよどみ、頬を赤らめた。
「いいや……何でもない」
「俺には、何?」
「いいから早く寝ろ。見張るにも体力がいるんだよ」