救世主の集会
海に落ちたことは覚えてる。
でも、落ちてからどうなったのかはわからない。
背中から落ちて、背中に冷たい水を感じて、
それから、私の中では次の瞬間、
体の正面にふかふかしたものが当たってた。
そのふかふかした何かは少し温かくて、ふかふかしてるのに、手で触るとサラサラと解けていく。
でも、膝から下は冷たい。
水か何かが、膝から下をさするように行ったり来たりしてる。
他には……川のような、波の音がする。
それに紛れて聞こえるのは……人の声?
「誰か倒れているぞ!」
「人を寄越せ! それと毛布もだ!」
なんとかまぶたをこじ開けると、たくさんの足と誰かの顔がぼんやり見えた。
「大丈夫か! 生きてるか!」
その声を最後に、私の視界からぷつりと光が消えた。
それから再び光を見たのは夜だった。
「お体の具合はいかがですか?」
目覚めると、湯を張った桶で布を湿らせていた女性が話しかけてきた。
「まあ……なんとか……大丈夫だと思います」
「それでは、少々こちらでお待ちください。すぐに戻りますので」
そういって女性が出ていった部屋、私が再び目覚めた部屋。
そこは、マリナウスの私の部屋よりもずっと広くて、お父さんの寝室に近い豪華さがあった。
そこにあるカーテン付きのベッドで私は寝てたみたい。
きっと、気を失う前に見たあの人達が、ここまで連れてきてくれたのね。
「失礼いたします」
先ほど部屋を出ていった女性が、たしかにすぐに戻ってきた。
「早速で申し訳ないのですが、もう準備は整っているとのことですので、私に付いて来ていただけますでしょうか」
女性は扉を開けたまま、部屋の外で待っている。
本当に早速ね。
でも、体調がすこぶる悪いわけでもないし、女性に付いて行こうと立ち上がったところで気がついた。
服が変わっている。
刺繍の入ったいかにも高そうな服。
いいえ、それよりもペンダントはどこ?
「ペンダントはこちらにございます」
キョロキョロと周りを見ていただけなのに、探し物が何かをすぐに察してくれた女性は、ベッド脇に置いてあった豪華な装飾の箱を手に取り、蓋を開けた。
中には、人でも気持ちよく寝られそうな質のいいクッションがあり、その上にペンダントが丁寧に置かれていた。
「丁寧にありがとうございます」
「いいえ。私達にとっても、こちらのペンダントは大切なものですので」
このペンダントのことを知ってるみたいだけど、何が大切なんだろう?
不思議に思いつつも、女性に案内されたのは、町の集会場らしき石造の立派な建物。
入り口の扉を抜けた先には広々とした空間が広がり、ランタンに照らされた大きなテーブルには数々の料理が並び、その周りは見渡す限りの人で埋め尽くされている。
どの人も、種々様々な青色をした髪と瞳を持ち、ひとり椅子に座っている私をどういうわけかじっと見つめてくる。
こういうわけで今、お誕生日の「おめでとう!」ではなく、「救世主さま!」と歓声をあげられ、崇められ、困り果てている少女というのが私なの。
「あの……すみません」
「はい、救世主さま」
この中で一番偉そうな、魔法で水を生み出した男性に話しかけてみる。
「私は救世主なんかではありませんよ。どちらかといえば皆さんこそ、私の救世主なんですから」
「そんな、もったいないお言葉。私どもといたしましても、再び救世主さまとお会いでき幸甚の至りです」
「再び? ですか?」
「はい。もう一人いらっしゃった救世主さまも、そちらのペンダントをお着けになられていたのです」
「このペンダントは両親からもらったものですので、きっと違うものですよ」
「いいえ。恐れながら、手に取って確認させていただきましたところ、形も、宝石の色までも、全てがピタリ一致しておりました」
「でも、私は救世主と呼ばれるような力なんて何もありませんよ」
「いいえ。あなたこそ、救世主さまなのです」
結局何を言っても「救世主さま」に着地するだけで埒が明かず、魔法の水のおかげか急にお腹が空いてきこともあり、おしゃべりは諦めて食べることだけに専念し、その集会は無事に?終わった。
集会後、目覚めた部屋に戻ってくるなり頭の中で悪態をついた。
(みんないい人みたいだけど、もうちょっと私の話を聞いてくれてもいいんじゃない?)
私の名前はルナリアですと言っても、その名で呼ぶことは恐れ多いと、結局返ってくる言葉は救世主さまの一点張り。
私は救世主なんかじゃありませんと言っても、あなたこそ私達の救世主さまなのですと言うばかり。
私の話なんて一向に聞いてくれやしなかった。
(いけない、いけない。助けてくれたことには変わりないんだから)
ヒートアップしそうな頭を冷やそうと窓を開けると、波の音とともに涼やかな風が入ってきた。
その風が何とも独特な匂いを運んでくる中、見上げた夜空。
その夜空はマリナウスで見ていたものとそっくりだった。
ただ一つ、決定的に違うのは月の形。
見慣れている月は半円状だけど、ここの月はまん丸くて大きくて、それでいてその中心には、見慣れた月で型をとったみたいに半円状の穴があいていた。