死者の川
ありふれた茶色の瞳で私を一心に見つめ、
ありふれた茶色の短髪を揺らしながら、
(ありふれた、といっても、銀色の髪と瞳を持っている私の方が変なんでしょうけど)
海辺の柵の近くを走ってきたのは、幼馴染のアルス。
アルスは私より1つ年上で、私より身長も高いけど、私より子供っぽい。
何かと「物を持ってあげるよ!」だとか、「危ないから僕も一緒に行くよ!」だとか言って、私に引っ付いてくる。
そんな彼はというと、今日は木の剣を腰に差していた。
町といっても森に近く、野生動物や通称【闇物】と呼ばれる怪物が時々出たりすることもあるから、町には自衛団がいるし、冒険者に退治を依頼することだってある。
だから、男の子は小さい頃から剣の修行が必須になっていて、その時に使うのが彼が腰に差している木の剣。
なのにここにいるっていうことは、つまりそういうこと。
その方面では不真面目な彼だけど、農作業は積極的に手伝ったりしていて、根は真面目なのは知っているし、手先が器用なのも彼のいいところ。
木彫り細工を作ってもらったこともあって、今でも大切にベッド脇に置かせてもらってる。
「アルスが柵の修繕をしたの?」
「そうだよ。ある一帯なんて、全部僕に任せてもらったんだ」
「アルスには、任せられるだけの腕があるっていうことさ」
おやじさんに別れを告げ、半ば強引にアルスにバスケットを取られ、二人並んで町のメイン通りをずっと進んでいく。
「またサボって。叱られたらもっと大変になるんじゃない?」
「大丈夫だって。ちゃんと見つからないように出てきたから、こっそり戻れば問題ないよ」
「でもきっと、それは無理だと思うけど」
「なんでさ?」
アルスは私が指差している方向にいる人物を見て、
その人物に見られ、
バスケットを急いで私に押し付けると、尻尾を巻いて逃げていった。
「ああ。やっちゃった」
「そうだな。私が見てしまったからには、修行を抜け出したことを見過ごすわけにはいかないな」
バスケットの目的地である川沿いの管理所にはお父さんがいた。
今日はお父さんがここで仕事をしているから、お母さんがその差し入れに軽食を作ったというわけね。
「これ、お母さんからの差し入れ」
「みんな! 差し入れだぞ! 一旦休憩にするか!」
お父さんが声をかけたのは川の管理所で働く仲間達。
この海辺の町で一二を争う重要な役職についている人達。
海辺の町といっても、もちろんここマリナウス以外にも複数あるわけだけど、それぞれお上から課せられている同一の役割というのが、【死者の川】の河口付近の管理。
死者の川というのはその名の通り、死者を乗せた小舟を流すための川。
人は亡くなったら小舟に乗せて川に流し、弔うもの。
だから、こういった川があるのね。
国は広いから、こうした死者の川は複数あるけど、生活用の川とはちゃんと区分けされている。
透明な壁みたいなものに覆われているのが死者の川。
それ以外は生活用の川。
上流から河口までずっと続いているらしいこの透明な壁は、人も獣もどんな物でも入ることができない。
だからなのか、川は雨が降っても増水することもなく、逆に雨が少なくても減ることもなく、川を流れる死者は安心して海まで流れ着き、沖まで流れていける。
この壁がどうやって作られているのかは知らないけど、川の上流にあるという中心都市のお偉いさん方が作ったんだと思う。
まあ、庶民には行く機会もないだろうし、関係ないことだけどね。
なんにせよ、川の河口付近ではこの壁はなくなる。
死者を乗せた小舟がここで詰まったら大変だから、海辺の町では河口付近の掃除や、環境整備、死者がちゃんと流れているかの確認業務などが課せられているの。
海辺以外にも川の管理を任されている町は複数あるみたいだけど、話で聞いた程度で実際に見たことはない。
その場所では、死者を流し入れるための専用の口?を管理しているらしくて、葬儀場と呼ばれているみたい。
というのも、海辺の町での葬儀は簡単で、河口から小舟を流すだけのことなんだけど、透明な壁に覆われている上流から河口までの人達はどうするの?となるわけ。
そのために、川の途中からも死者を流せるような施設が複数あるみたい。
その施設から川に死者を流せるっていうことは、透明な壁に穴があいてるのか、あけられるのか、そのどちらかなんだろうけど、間違っても生きている人が穴に入らないように、管理を任されている町があるんだと思う。
「ほら、ルナリアも一緒に食べないか?」
「いいの! じゃあ、私も食べる!」
皆が揃うと、管理小屋近くにテーブル出して、差し入れのパンとチーズを広げる。
お腹もちょうど空いてきた頃だし、私はすぐにでも食べ始めたいけど、お父さんの前でそんなことをしたら絶対に叱られる。
「光よ、その燦爛たる奇跡によって生を受けし我ら一同、あなたの愛に感謝してこの食事をいただきます。光よ永遠なれ」
ここにいる私以外の人は、首から下げている聖リベリー教のペンダントを包むようにして手を組み、食前の祈りを捧げている。
そのペンダントは聖リベリー教の熱心な信者がつけているもので、トグロを巻いた楔のようなものから両翼が生えた形をしている。
でも、お父さんがしているからといって、私はこのペンダントを身につけてはいない。
私は私のペンダントで祈りを捧げている。
それは銀細工のペンダント。
弓状に弧を描く二つのパーツが向かい合い、重なりあってできたレンズ型の隙間では黒い宝石が輝き、それらを円環が支える、という形をしたペンダント。
これはいつかの誕生日に両親からもらったものらしくて、いつも肌身離さず首から下げているもの。
どうしても離したくない、っていった方が正しいかも。
きっと、その気持ちをお父さんもわかってくれているのね。
だって、聖リベリー教のペンダントをつけなさい、と強制してきたことは一度もないんだもの。
「このチーズとパンも、もちろんうまいが、明日のご馳走が楽しみだな」
「だな。教会からの施しには、頭が上がらないよ」
差し入れを食べながら、管理所の仲間達が楽しそうに話しているのは明日のこと。
私も、聖リベリー教教会からの施しを贅沢に食べられる明日は楽しみ。
だって、教会から定期的にもらえる食べ物だったり飲み物だったりは、
『一度口にしたら忘れられない味』
っていうくらいおいしいんだもの。
「お前達、食べ物のことばかり言ってないで、明日の主役がここにいることを忘れるなよ」
「すみませんでした、ルナリアお嬢様」
そういって、わざとらしく丁寧にお辞儀をする。
町長としてのお父さんに注意されても、萎縮するどころかおどけて笑い合う。
この気取らない関係性が私は好き。
「さあ、休憩が終わったらまた再開だ」
「よし! 張り切っていこうか!」
明日はみんなが待ちに待った日。
【死者を弔う日】であり、私の誕生日でもある、年に一度のお祭りの日。