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02.走馬灯は見えない 1/2



 ――暗闇に包まれていた。

 どこか安心できる空間に身を委ね、深い眠りに落ちていた。

 気持ちの良い夢の中で、優しい声が私を呼んでいるような……そんな気がした。


 永遠にそこにいられるのなら、それもよかった。

 けれどそこに永遠はなかった。 徐々に意識を取り戻していく感覚が分かる。


 ……温かさと、微かな振動を感じる。これは何かしら?


 どこか懐かしい香りに目を開けると、目の前に見慣れた革張りのセダンチェアがあった。私が小さい頃から使ってきた、私専用の馬車の座席が。


「……馬車の、中?」


 床に敷かれた厚みのある絨毯には車窓から差し込む光が宝石のように散らばる。座面には柔らかなクッションが敷かれ、背もたれには柔らかく繊細な模様を描くレース。

 そっと手を伸ばし、懐かしい座席の革を触ると懐かしさが込み上げてくる。

 懐かしい香水の香りが漂い、空気は清々しく、とても心地が良い。馬車が揺れるたびに絨毯の上を歩いているような錯覚さえ覚える。

 まぶたを照らした明るさも、体を包む温かさも、窓から差し込む柔らかな陽の光の賜らしい。


 ……なぜ、ここに……?

 まさか処刑に失敗し、実家に返されている最中――いえ、そんなことあるはずがないわ。そのための『神の裁き』なのだから。


 体のどこを触ってみても痛みはなく、包帯などで治療された形跡もない。

 上半身を起こしてみても体に違和感はない。むしろ軽い。

 回復術を使ったのなら、治療の跡がなく体が軽い今の状態も説明はつく。

 けれど、処刑した人間をそこまでする理由なんて……もしかして私の無実が証明され――


『その国賊、憎き売女の首を焼き尽くせ!』


 ――そんなはず、ない。




 そんなことを考えていたら、馬車がやや急な坂を上っていくのに気づいた。

 屋敷や一般的な町並みは坂の上にない。


 屋敷へ向かっているわけではないの? ――……まさか!


 はしたなくはあるけれど、レースで飾られた窓に貼りついて外の光景を確かめる。

 緑豊かな庭園や古い建物が横切り、遠くに見覚えのある雄大な塔がそびえ立っているのが見えた。

 間違いない。屋敷へ戻るものと思っていたのに、馬車が向かっているのは追い出されたばかりの王宮だ。


「……王宮へ向かっているの?! なぜ――」


 自分で血の気が引いていくのがわかる。


「『薔薇のお茶会』に参加されるためと伺っておりますが」


 私の呟きに答える声があった。

 振り返った先、私の斜向かいの位置に一人の少女が座っていた。


 膝丈のプリーツスカート。ウエストの細いリボン。袖口と襟元に上品なフリルのあしらわれた白いブラウスと黒いベスト。

 黒い髪を隠すためか、頭には白いアーチ型のヘアバンドがついた薄茶色の厚手のベール。

 清潔感がありながらもエレガントな印象を与えるメイド服を来た少女。


 彼女の名は――

「リリィ?!」

「はい。何か御用でしょうか」


 彼女は物心ついたところから側にいた年の近い私の専属メイドだ。

 名字はない。

 問いかけるその顔は無表情ではないのに、感情が一切込められていない。


 王宮には連れて行かなかったから、顔を合わせるのは数年ぶりになる。

 嫁ぎ先で処刑されたはずの私がここにいるというのに、彼女が驚いている様子はない。

 常日頃から、感情を表に出さない彼女ではあるけれど、限度というものがあるのでは?

 これがメイドとしての有るべき姿というの?


「『薔薇のお茶会』……ですって?」

 ロベルト殿下の婚約者はもう必要ない。……第四王子殿下のご婚約者かしら? けれど――

「……御年十二の第四王子殿下には早すぎるのではないかしら?」

「恐れ入りますが、第四王子殿下は御年十になったばかりと記憶しております。重ねて申し上げますと、本日の薔薇のお茶会は第三王子殿下のお相手を選ばれるものかと」


 これは何の冗談なの?

 ロベルト殿下の婚約者選定……? 私が? また?!


「行けるはずがないでしょう! 誰がそんなことを……!」

「お嬢様、お気をお鎮めください」

 思わずここが馬車内だということを忘れ、厚い絨毯の上に立ち上がりかけ、リリィに制された。

「お嬢様が仰せになったことです」

「……え?」

「ご友人のお歴々に招待状をご用意いただきお喜びになっていたのはお嬢様です」


 それは、1年以上も前の話よ。……まさか。


「……第三……王子殿下のお茶会は一年以上も前に終わっているでしょう?」


 家にいないはずの私がいても驚きもしないメイド。

 夫となったはずの婚約者。

 切り落とされたはずの首。


「それは、私の知らないお茶会があったということでしょうか?」

 リリィの知らない茶会などないわ!

 あの屋敷で私に付けられている使用人はリリィだけ。彼女なしに舞踏会の仕度などできるはずがないもの。


 ではあれはただの白昼夢? いいえ、そんなものではない。

 私が一番よく分かってる。あれがただの夢であって溜まるものか。


 ――時間が……戻ったとでも言うの?


 突拍子もない考えだわ。

 白昼夢を見たと考える方がまだ現実的よ。


 処刑されたはずの私を生き返らせ、時間を巻き戻すとは神をも恐れぬ所業。

 そんな奇跡を仮に起こせるのだとしたらそれは、女神ダルセンディに愛された教皇聖下や聖女か聖人くらいのものだわ。


 この国において聖女や聖人とは、神に愛されているが故に聖なる魔力を持って生まれ、神の親愛を受ける王家へ忠誠を誓い国の為に働く存在として知られている。

 防衛、侵攻、豊穣、繁栄……それら全てを授けてくれる奇跡の体現者。その実績において、彼らの右に出る者はいない。

 聖なる魔力の発現条件は不明で、血筋も風土も時期も関係なく、ある日いきなり発現する。


 十数年前、この国唯一の聖女が現陛下へ輿入れする直前に儚くなって以来、この国に聖女はいない。

 聖女の死後、元々陛下の婚約者だった当時公爵家の嫡女だった現王妃が王家に輿入れしたのは有名な話だわ。



 私の胸中など知る由もなく、馬車は迷うことなく王宮へ向かっていく。


「……よ」

「お嬢様?」

「駄目よ! 参加はしないわ! 屋敷へ引き返して!」

「もう遅いようです」


 リリィは横目で窓の外を見ていた。

 彼女に倣い窓から外を見ると私たちの馬車以外にも、同じように王宮へ向かう参加者の馬車で大混雑している様子が見えた。

 馬車同士の距離が近い。無理に向きを変えれば、馬を動揺させ大事故につながりかねない。

 王宮の目と鼻の先でそんな真似は避けたい。

 ……そうよ……王宮へ入っても参加しなければいいのよ。

 迷子にでもなった振りをして素知らぬ顔をして帰ればいい!


 ――とは思うものの、門が近づくにつれ恐怖はますます増していく。


 そして、ついに王城の門が目の前に現れた。瞬間、心臓が止まるかと思うような恐怖が全身を覆う。


 高い石壁に覆われた外敵を押しつぶしそうな威圧感のある門扉。

 扉の上には、彫刻された王家の紋章が権威を知らしめるように掲げられており、周囲には剛健な警備員が立ち並ぶ。


 彼らは常に周囲の喉元へ、殺意に満ちた切っ先を突きつけようと待ち構えている……思わずそんなことを考えてしまう。

 馬車がゆっくりと門をくぐり抜けていく間、身が竦むのを抑えられない。


 衛兵がこちらへちらりと視線を寄越す。

 あの日の罵声と殺意が身につき刺さる幻覚に襲われる――が、それは一瞬のこと。直ぐに視線はそらされた。


 逸らされた。

 視線は、逸らされた。

 彼らは私のことなど歯牙にもかけていない。

 取るに足らない存在のように。


 彼らにとって、私はただの娘……? 責め立てる……必要のない存在?


 馬車が停まったことに気づき窓から恐る恐る外を見ると、回廊に横づける形で一列に整然と馬車が並んで停まっているのが見えた。

 近くでは馭者が、馬車係と思しき男たちと何やら手続きをしている様子が窺える。

 その横で、華やかな衣装をまとった女性たちが、回廊を優雅に歩いていた。


 この場所には覚えがある。

 ああ、そうだわ。以前もここに馬車を停め、リリィと共に会場へ向かったのよ。


「お嬢様、参りましょう」

「え、ええ……」


 リリィはいとも簡単に馬車の扉を開け、回廊備え付けのスロープに立ち、私が姿を現すのを待っている。

 ……馬車から出なければ。こんなところで止まってはいられないのだから。


 心臓の鼓動が激しい。恐怖で体が固まる。無理にでも力を入れて、立たなくてはいけない。真実を確かめなければならない。

 出れば分かる。馬車を出て、この身を周囲にさらせば――何もかもはっきりする。


 刺すような太陽の光に体をさらす。

 周囲の喧騒が耳に入る――あの日の怒号とは別物だと分かっているけれど、緊張から視界が白く染まりしばらく立ちすくんでいた。


 己を取り戻すため深呼吸をし、心を落ち着け目を開き、周りを見回す。

 やがて、景色が少しずつ見えてきた。


「……お嬢様?」

「え? え、ええ、大丈――」


 大丈夫だと伝えるため振り向いて、リリィの手の中にある木箱に気づいた。

 木箱には『献上品』の制作者である国宝職人の焼き印が押されている。

 記憶が正しければ、中には王妃への『献上品』が治められているはずだ。既に献上し終えているはずの、ここにあるはずのない『献上品』が。


 制作者はかなりの高齢で、私が処刑される前に寿命で天に召された。

 職人の焼き印は工房ではなく個人へ授与されるもの……なのに。




 ◇◆◇


 日差しがまぶしい。

 足元に敷き詰められているのは美しい石畳。

 表面には美しい彫刻が施され、足音がよく響く。

 左右には大きな柱が並び、その上には彫刻が施されたアーチが架かっていた。

 支柱やアーチの隙間からは柔らかな日差しが降り注ぎ、回廊全体を照らす。

 風が通り抜けるたびに、回廊には品のある花々の香りが行き渡り、贅沢な雰囲気が漂う。

 カスティ領内にある本邸も豪華絢爛な造りではあるけれど、やはり王宮とは比べようもない。


 すれ違う人々が一礼して通り過ぎる。見知らぬ赤の他人を相手にしているような態度で。

 刑場の貴賓席で私を嘲り、侮蔑に満ちた瞳を向けてきた彼らの姿が、今はどこにもない。


 気持ちを切り換えても、本当に大丈夫なのかしら? ――と王宮の回廊へと目を向けると、視界の端を白と赤の制服を着た近衛兵がかすめた。

 白と……赤?

 私が嫁いでしばらくして、近衛兵の制服が黒に変わったのではなかったか。

 しかし今、目の前にいる近衛兵たちは白と赤の昔ながらのもの。


 状況は何一つ理解できていない。

 こうしていても、私が経験したあの日々が夢だったとは欠片も思えないというのに。


 ……あれは何かしら?

 回廊の先に大きな光を放つ物体があり、近づいてみると一つの大きな水晶片と分かった。

 太陽光を反射していたようだ。

 磨き上げられ周囲には額縁のような装飾まである。これは鏡と言っていいのかしら?


 何の気なしに思い立ち、今の自分の姿を映してみる。

 薄紫なのか白銀なのか見る角度によって曖昧になるパッとしないストレートの髪に赤い瞳。……それと淡いピンクと灰色のグラデーションドレスは、はっきり言って合わない。


 ――あの人が愛したのは、淡桃色が似合う可愛いあの子。


 ああ全く、笑い話にもならない。




 動線の問題なのか、行きと帰りは別の場所で馬車に乗らなければならない。帰りの足である馬車の出迎え場は、回廊の奥にある。

 少々面倒ではあるけれど、お茶会の会場である『王妃の庭』とは正反対の場所にあるのだから、悪いことばかりではない。

 ここまでくれば、もう大丈夫だろう。


「お嬢様、これ以上進まれては時間に間に合わなくなるかと」

「いいのよ。もう帰るのだから」


 視界の外から運ばれてくる華やかな香りに顔を上げると、私の横を美しく華やかなドレスを身に纏った令嬢たちが、近衛兵にエスコートされながら通り過ぎていくのに気づいた。


「次回の催しについては推し量りかねますが、本当によろしいのですか?」

 私の心の何かを知っているのかいないのか、今日のリリィはやけにしつこく念を押してくる。

「問題ないわ」

「かしこまりました」


 あの頃のはやる気持ちを、沸き起こった甘い期待を、忘れることはできないけれど――これ以上、先に進むつもりはない。



 回廊を右や左へ曲がった先に目的地である出迎え場が見えた。

 色鮮やかな花に飾られた白い石柱、それに支えられた細かい金の装飾付きの黒い屋根。

 そこには見覚えのある我が家の馬車がすでに待機していた。


 このまま何事もなく下城すれば、あの悪夢はここで終わるわ……!

 そう思うと自然と足が速くなる。


 あと少し。あと少し――!

 出迎え場が視界に入り安堵しかけていた私の耳に、金属音のような何かが壊れたような音が届いた。

 続いて女性同士で何やら口論をしているような声も聞こえてきた。

「――……っ!」

 反射的に足を止めてしまったけれど、面倒ごとになりそうな気配は濃厚。

 さっさとこの場を去――


「ベアトリス様?!」

「――え?」

 ここで名前を呼ばれるとは思っておらず、何も考えずに振り返ってしまった。

「お前は……!」

 目の前にいたのは、いずれ私を見捨てるユウジンたちの一人。

 見事な光沢を放つ高そうな緑色のドレスだけを見れば、優雅なお茶会タイムを待つだけの、どこにでもいるご令嬢にしか見えない。

 しかし、彼女の表情や仕草には焦りが滲み出ている。


 あと少しのところだというのに……まさかこの事態が、私の足下をすくうことになりはしないでしょうね。


「ずいぶんと慌てたご様子ね? このような場所で何をなさっているのかしら?」

 彼女たちは『薔薇のお茶会』に参加してはいなかったはず。

 だから今日この日、この場所にいるはずがない。

 だというのに今、目の前にいて焦りと怯えが垣間見える……怪しい。


「……何か、したのね?」


 恐らくはとても面倒なことを。

 思わずため息をつくと、目の前の彼女がさらに焦りを募らせている。

 疑うなという方が無理よ。


「リリィ、行くわよ」

 振り返ることなくリリィを従え、破壊音がした方向へ踵を返す。


「あ、お、お待ちになって、ベアトリス様! これからお茶会に参加されるのでしたわよね、王妃様のお庭はこちらではありませんわ! 間に合わなくなってしまいましてよ?」


 行く手を阻もうと、手を伸ばしてくる彼女の横をすり抜けて先へ進むと、先程は気づかなかった扉のない小部屋の存在に気づいた。

 位置的に考えると馬車の待合室かしら?


「身の程を弁えなさい! お前如きと()()()()()()とは比較にもならないのよ!」


 ……最悪だわ。


 出入り口付近には目隠しのつもりか背を向けて壁のように並んで立っている友人達の後ろ姿があった。

 こちらに気づいている様子はない。




「これは何の騒ぎかしら? 私の名が聞こえたのだけれど?」


 想像以上に低い声が出てしまった。

 驚きと怯えと焦燥が混ざった顔でこちらを振り返る友人達。少々貴族令嬢としての佇まいに問題があるのでは?


「べ……ベアトリス様……!」

「道を空けてくださる?」

「いえ、しかし――」

「私に二度も同じことを言わせる気?」


 笑うつもりはなかったけれど、なぜか問いかけながら広角が上がる。

 怒りが顔の筋肉を引きつらせるとは知らなかった。

 彼女達が固まったような表情を浮かべつつ数歩ずつ後退ると、ようやく小部屋の中が見えるようになってきたのだけれど――最悪だ。


 小部屋の中央には、うつむき跪くように座り込み、床に散らばった陶器の欠片を必死に集めている――薄桃色の髪を持つ少女がいた。


 ――ルシア……サマコイス……?! いえ、待って――


 彼女の手には小さな傷があり、血がにじんでいるが、それを気にすることなく欠片を手に取っていた。

 床に散らばっているのは陶器の欠片だけではない。

 包装材と思しき物も散乱している。

 破れた紙や破損した箱があり、明らかに壊された何かが包まれていた形跡があった。


 あの女がたった一人でこんなところにいるわけがない。

 だって彼女はいつだって信奉者に囲まれて、私を惨めにさせてきた。

 なのに、この少女は。


 色あせた辛うじて薄桃系と判別できる程度の色あせたドレス。布地は薄く、張りもなく伸ばしきれない皺まである。


 別人……よね。それにしてもあの陶器は何? まさか献上品? 相応しい品を用意できない程度の家柄の者をあの王妃が呼ぶかしら?

 そう言えば、私が処刑される時、王妃はあの場にいたかしら?


 ……いえ、今はどうでもいいことよね。この子を連れてさっさとこの場を後にしましょう。


「あなた大丈夫?」


 気まぐれで差し出した手に少女が気づき顔を上げ――心臓が止まりそうになった。


 ――ルシア……サマコイス……?!

 いえ、ありえない!

 こんな所に、こんな無様に転がっているはずがない!

 あの女が……


 私から全てを奪ったあの女が――――――…………!!!







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