10.神の奇跡は地に砕けて闇へ堕ちる 2/3
学院の授業は、午前中にしか行われない。
昼からは各々自由に過ごすことができる。
昨日のフローラたちのように。
学院の敷地内であの蛮行を、と考えると頭が痛い。
……昨日のあの子は、もう大丈夫だろうか。
気にはなるけれど、私にはやらなければならないことがある。
――資質検査。
入学後、早々に済ませているべき、この検査は、学徒たちへ魔力を付与するのに必要な検査らしい。
当人たちの資質によって、付与できる魔力の属性は異なるそうだ。
魔力を後天的に付与できるなんて知らなかった。
王都ではそんなこと誰も教えてくれなかった。
いつも、いつもそうだった……。
そういった理由で今、私とリリィは制服を着たまま食堂にいる。
周囲の皆が着ているのは、色とりどりの動きやすそうな服。
私も自分とリリィの服を用意しないと。
元々、兄から預かっている資金で揃える予定ではあったけれど――。
「必要ならば、購入すればよろしいのではありませんか?」
思考を遮る形で、唐突にリリィが提案してきた。考えが顔に出ていたのかもしれない。
「そうね……考えておくわ。貴女はどうするの?」
「私はこのままで構いません」
リリィにそう言われてしまうと、何となく自分が無駄遣いをしようとしているような気がしてくる。
さて、どうしたものかしら――
「やだ! あなた達、なんでこんなとこで制服なんか着てるのよ?! 貧乏くさい!」
フローラ?
ユウジンを引き連れ、愉悦に満ち勝ち誇った顔をした彼女に、思考を邪魔された。
「まさか制服以外に着るものがないのぉ?」
私を下から上までじろじろ見て、小馬鹿にしたような視線を送ってくるフローラのユウジンたち。
「そんなにお金がないの? なら、フローラのお家に雇ってもらいなさいよ! ねえ? フローラ」
「そうよ、頭はそれなりに働くらしいし?」
「気品や教養がなくても、心優しいフローラなら喜んで雇ってくれるわよ? お金ないんでしょう?」
このユウジンたちは、どのような心づもりでフローラに加勢しているのかしら?
こうして敵対勢力に囲まれていると、あの頃を思い出してしまう。
あれを教訓に、何かよい格言でも思いつければよいのだけれど……思いつかない。
私の頭なんてこんなものだ。
「ご心配なく。おかげさまで今のところ不自由しておりませんので」
笑顔で返してみたものの、彼女達はお気に召さなかったらしい。
「何よその言い方! ちょっと顔が良いと思って生意気じゃない!?」
「私達、親切心で言ってるのよ?!」
親切心には見えないけれど。
「やせ我慢はよしなさいよ。お前、どうせ元々使用人だったのでしょう?」
「…………」
わ、私が……公爵家である娘が……『使用人』………………まあ、いいわ。
今はそう見られていなければならないのだし。
「そうよ、見栄を張るだけ無駄なことよ? フローラ様の遠い親戚には、伯爵家の血筋の方もいらっしゃるのよ!」
伯爵? 公爵家ではなかったの?
まさか伯爵と公爵の区別もついていない……?
本当に縁戚なのかしら?
「格の違いに言葉もないのね! 当然だわ!」
ショックを受けている間に、緩徐たちの間でそう結論付けられたらしい。
これ以上は、話をしていても無駄のようね。
「もう終わりにしてもいいかしら? 時間の無駄だわ」
聞き取りやすさを意識して告げれば、取り巻き達は顔を赤くして騒ぎ立てた。
「言わせておけば――」
フローラの顔は怒りに染まり、取り巻き達は口々に罵ってくる。
これはもう完全に「お友達になりましょう」の流れは絶たれた……。
まあ、そちらへ誘導してはいなかったけれど。
「ごめんなさい、フローラ。言いすぎたわね。でも、私達も暇じゃないの。これで失礼するわ」
リリィを連れて歩き出すけれど、
「ここは平民向けの施設とは言え、入学費用だって月々の生活費だってバカにならないでしょう? あなたのお家、大丈夫なのかしら?」
フローラは諦めない。
その顔に傲慢と焦りと怒りを見せ、喧嘩の売買を続ける。
「ご心配ありがとう。大丈夫よ。あなたはそんなことを気にしなくても」
「あんた……フローラ様になんて口の利き方をするのよ?!」
「信じられないわ! あなたのような人がこの由緒正しい学院に入学を許されるなんて!」
「そうよ、見るからに卑しいわ! どんな卑怯な手を使って学院に潜り込んだのよ!」
――はぁ……どうしてそうなるのかしら……?
とりあえず、笑顔で受け答えしてこの場を収めよう。
「あなた達には分からないかもしれないけど、世の中いろいろな方法があるのよ」
「なんですって?!」
……しくじったわ。
「よくもそんな生意気なことをっ……」
取り巻きの1人が掴みかかって来ようとしたけれど、予想外に武闘派と判明したリリィが見過ごすはずもなく、素早く割り込み、その手をつかむ。
「その行動はお勧めしません」
言うが早いか掴んだ腕をいなす。
「きゃあっ!」
痛いらしく、取り巻き達が苦悶の声を上げる。
――そんな悲鳴を上げるほどかしら?
リリィがしたのは、私に向けて伸ばされた手の向きをほんの少し変えただけ。
力任せに払ったり、父のように殴る蹴るの暴行をしたりした訳でもない。
そもそも人に暴力を振るおうとしておいて、反撃どころか阻止された程度で悲鳴をあげるなんて、なめているの?
「ひどいわっ! なんてことをするのよ!」
「信じられない!」
「院長先生に言って退学にしてもらいましょうよ!」
「そうね。フローラは院長先生のお気に入りだものね! あんた終わったわね!」
フローラとあの学院長ね……面倒になる気しかしないわ。
この学院を退学になったら屋敷に戻るしかなくなる?
そうなったらもう――逃げられない。
これ以上、トラブルを長引かせるわけにはいかない。
たとえ泥水をすする結果になるとしても――――
「何の騒ぎですか、これは!」
私が意を決して口を開くよりも早く、中年女性のヒステリックな声が辺りに響き渡った。
どうやら騒ぎを聞きつけた学院長が、駆けつけてきたらしい。
「まあ、フローラさん! 一体どうしたというのですか?」
彼女はフローラに優しく微笑みかけ、その肩に手を置いて慰めるような言葉をかけはじめた。
「聞いて下さい院長先生!」
それをいいことに、フローラ達は嬉々として私を弾劾しはじめる。
「そこの女がいきなり暴言を吐いてきたんです! 酷いと思いません!?」
「しかもあろうことか、暴力まで振るったんですよ?! 最低だわ!」
「フローラを侮辱したのよ! 信じられない!」
「きっと貧乏すぎて常識を知らないんだわ!」
即興で、これだけの出鱈目を並べ立てるとは恐れ入る。
他人とは思えなさすぎて、感慨を覚えるわ。
今はそんな場合ではないけれど。
「まあ、それは大変でしたねフローラさん」
神経質そうな面差しを隠し、慈愛に満ち溢れた笑みをたたえて、学院長はフローラを慰める。
フローラが贔屓されているのか、私が必要以上に敵視されているのか……半々かしら。
「編入早々面倒な騒ぎを起こしてくれたものですね。ベアトリス・カース、リリィ・ガーデン」
この人は全てを私のせいにするつもり?
「ここは学びの場所ですよ。少々勉強ができるからといって優れた人間とは言えないのです。その卑しい性質を改めなさい」
今のやり取りのどこをどう見たら、そのような結論が出るのか分からない。
反論すれば、更にややこしいことになりそうだから聞き流す。
フローラは勝ち誇り笑みを浮かべているし、彼女の後ろに控えている取り巻き達も同じような表情を浮かべているけど。
「……申し訳ございません」
「本当に反省していますか?」
「勿論です」
「ならば、今後はこのような事がないように気をつけなさい」
「かしこまりました」
学院長は私の謝罪を冷ややかに一瞥し、フローラ軍団へ向き直る。
その後に繰り広げられる暖かな会話には、既視感がある。
そうだ。母と姉妹だ。
私が理解できない理論を展開され、気づいたら全てを取り上げられ罰を与えられた。
――あの頃と、同じだわ。
◇
『資質検査』が行われるのは、黒い大理石で作られたかのように黒く艶やかな塔の最上階。
塔は学び舎と大聖堂のちょうど中間にあり、自動昇降機に乗って最上階にある部屋へ向かう。
昇降機の音が止まり、同時に扉が開かれ中央広間へ入ると――壁沿いに等間隔に設置された無数の窓以外には何も無い、白い空間へ辿り着いた。
天井が高く見える。
全面真っ白だから、天井の境界を曖昧に感じているだけ?
「よく来たな、二人共。迷わずこの空間へ来ることができたのは僥倖だ」
白い空間の中央に一人の男が立っていた。
聖職者然とした光沢のある白いローブ姿。
白髪で顔に皺があるが、姿勢が良く背筋が伸びているため老いを感じさせない。
どことなく柔和な雰囲気を纏う男。
祭服を見る限り、彼が立会人を務める大司教なのだろう。
この場にいるのは他に、マルティーヌと……学院長。
――……あの揉め事がなければ、まだ気が楽だったわ。
「ベアトリス・カースとリリィ・ガーデンだな」
大司教に名前を呼ばれた順に数歩前へ進み出て、その場に留まり一礼する。
「儀式の説明は受けているかね?」
確か、『水晶球』を使って何かを測定し、付与可能な魔術系統を調べるというものだったはず。
「はい」
私が頷くと大司教は頷き返してから、学院長へ視線を向けた。
彼の視線を追って学院長を振り返ると、彼女は相変わらず神経質そうな面差しで立っていた。
微かな悪意まで感じるけれど……まあ大丈夫よね。
仮にも学院長ともあろう者が、フローラのような真似はしないだろう。
――と考えていると、足元が一瞬ゆらぎ、そこから小ぶりの台座のようなものがせり上がってきた!
――何?!
反射的に半歩下がると同時に、カツンと床を蹴る誰かの靴音に気づいた。
学院長だ。ローブの裾をはためかせながら、足早に台座へと近づいてきている。
その手には丸い透明な水晶球があり、ゆっくりと台座へ運ばれていった。
水晶を置くと、仕事は終わったと言わんばかりにツンと顎を上げ、元いた位置へと戻って行った。
去り際に、
「お前にどれほどの期待もしてはおりません。理解できようはずもないのです。余計なことなど考えず、さっさとすませてしまいなさい。時間の無駄です」
きっちり嫌味を付け加えるあたり、生真面目なのか性格がねじ曲がっているのか、評価の分かれるところだと思う。
特に返事をする必要はなさそうね。
マルティーヌも一連のやり取りに気づいたのか、心配そうにこちらを見ている。
目が合うと、何か言いたげにする……困ったわ。
学院長に睨まれ渋々といった様子ではあったけれど、飲み込んでくれたようで一安心。
「よろしい。では、はじめる。まずは、ベアトリス・カース、その円の中に立ちたまえ」
大司教の視線を追えば、何もなかったはずの空間に、何時の間にか見慣れない図形が出現していた。
例の水晶が作り出している影だ。
大きさは私の身長と同じくらいで、円の中に五芒星が描かれている図形。
それが立体的に浮かび上がり、且つ微妙に動いている。
――これが聖なる魔法……!
「お嬢様、お待ち下さい。この魔法陣は――」
……リリィ?
彼女の声が届く前に、私は促されるまま愚直に示された場所に立っている。
「――ん? いや待て、違う! この陣は――!」
……大司教? ――異常事態?!
大司教の焦ったような声に、危機を回避しようと動くより早く――白い魔法陣の中から、欠片も見えなかった影がわき立つ。
まるで生き物のように伸び上がり、そのまま私の視界を奪い去る。
――この影まさか……!
考えを巡らせるまもなく、五感の全てが奪われた。
◆◆◆
――見えない。何も見えない。
目の飴に広がるのは真っ黒な空間。
何? 何がどうなっているの……?!
周囲を振り返ろうと体を動かそうとして動かないことに気づく。
――違う。四肢に……鎖。
この感覚を、私は知っている。
遠く、熱気を帯びた狂乱の声が聞こえてくる。
『殺せ! 殺せ! 殺せ!』
腕力任せに掴み上げられ、引きずられていく。
『地獄に堕ちろ! この売女め!』
熱狂渦巻く狂気の園――処刑場の、あの禍々しい魔法陣の中へ。
――ああ、やっぱり夢だった。
時間が戻るなんてことあるはずがなかった。
人生をやり直すこと何て、できるはずがない。
意識が混沌へ落ちていく。
絶望が込み上げてくる。
「その国賊、憎き売女の首を焼き尽くせ!」
……この声を、覚えている。
物覚えの悪い私が、忘れたいのに忘れられない声。
愛はもうどこにもないのに、愛が入っていた穴を埋めるように痛みだけが溜まり続ける。
命を与えておきながら、耐え難い苦痛と共に取り上げる傲慢な神の御業が襲いかかる。
体も魂も焼き尽くされて、もう何も感じないはずなのに、大勢から向けられる暴力が、体を苛み続ける。
痛い。苦しい。
なぜ? なぜなの?
なぜ……死んだ後まで、こんナ苦シみヲ受けなければならなイノ?
私ダけガ悪いト言ウノ?
ここマでさレナければならなイホド、私は罪を犯シタト言ウノ?
歓喜の声ヲ上げテ、残虐な行為ニ耽ルコイつらヨリ、私ノ何ガ罪深イトイウノ?
ツミ ブカイ
ツミブカイ ツミブカイ
ツミブカイ ツミブカイ ツミブカイ ツミブカイ オコナイ ニ バツ ヲ バツ ヲ オモイ バツ ヲ ハゲシイ バツ ヲ エイエン ノ バツヲ エイエン ノ イタミ ヲ トワ ノ クツウ ヲ ツミ ニ マミレタ イノチ ニ バツ ヲ ツミブカキ モノ ノ イノチ ニ バツ ヲ スベテ ノ イノチ ニ バツ ヲ タイラカ ニ バツ ヲ ――――――
目の前が真っ赤になり、全ての感覚がなくなったその瞬間――
「――やめろッ! 何してんだッ!」
青年の叫び声がしたと思った瞬間、視界に明るい光が戻ってきた。
それと同時に、全身に感じていた痛みが消え去るけれど、自分の心音がうるさく響く。
……誰?
力強い誰かの腕に抱きかかえられている。
見上げれば、長い黒髪と金の瞳を持つ青年――ヴィリッグ・フェガロが、大司教と学院長を睨み付けているのが見えた。




