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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

将軍の娘

作者: 摩莉花

 嫁いできて四十年、京に住まう年月の方が長くなり、こちらの暮らしにもすっかりなじみました。とはいえ、母が亡くなった歳になったこの頃では、生まれ育った江戸での十四年がことさら懐かしく思い出されるのです。




     *




 綾錦。金糸銀糸が縫い取られた華やかな衣装、螺鈿紫檀のお道具類。

 梅の花が散ってもまだ寒さが残る中、木蓮が白い花を咲かせていた頃、江戸城本丸の部屋に次々と置かれていく花嫁道具を見て、輿入れに高鳴る気持ちと不安に揺れる心から、十四の私は京のことをよく知る伊予局いよのつぼねに、習い覚えた公家言葉で尋ねました。

「こなたの背の君となられるのは、どのような御方であろう。かんばせは。ご性格は、いかに」

「ご尊顔を拝し奉ったことはござりませぬが、近侍の者が申すには、りりしく賢く、何より主上おかみは日のもと一、尊き御方。姫さまがご生涯を託すにたる殿御であらしゃいます。天下一高貴な御方に嫁ぐは女の誉れ。これ以上ない幸せでございます」

 と、伊予局は笑ったのですけれど、私の不安は少しも消えることがありませんでした。




 私が生まれたのは慶長十二年(一六0七)、秋も終わりのことでございます。江戸城内にある紅葉山が華やかに色づいていたと、乳母から聞きました。

 父は征夷大将軍徳川秀忠、母は五十四歳で亡くなってからの院号は崇源院すうげんいん、奥向きではお江与えよの方と呼ばれていました。父は私の祖父、徳川家康よりも祖母の西郷局さいごうのつぼねに似た端整な面差しで、母は、かつて国色無双といわれた、私には母方の祖母にあたる織田家のお市御寮人によく似ていたということでございます。子どもの私から見ても、たいそう美しい人でありました。

 父と母の間には、二人の男子と四人の女子があり、私は最後に生まれた子どもなのでした。物心つく頃には一番めと二番め、四番めの姉は嫁いで傍にはいず、私の住む本丸御殿には、七つ年上の勝姉上、三つ年上の竹千代兄上と一つ上の国松兄上がいて、私たち同じ父母から生まれたきょうだいは、仲睦まじく日々を過ごしておりました。

 けれども、慶長十六年(一六一一)、私が四歳のとき、勝姉上は越前国の福井藩主で、いとこにあたる松平忠直さまに嫁いでいき、兄たちと私が残されました。姉がいなくなると、私は女の子の遊びもせず、男の子のように、兄たちと一緒に泥だらけになってお庭を駆け回っていたものです。

 やがて竹千代兄上が、次いで国松兄上が手習いを始める年頃となり、私も武家の娘としての教育が始まると、それまでのように気ままに遊んでいられなくなりました。そして慶長十九年(一六一四)、私が八歳のときに朝廷から入内の内旨が下されますと、京からやってきた伊予局から、公家言葉をはじめとする宮中の行儀作法や教養を学びはじめたのでした。

 私の和子という名は祖父がつけたものです。国内を統一し、天下殿と呼ばれた祖父は、私が生まれたときから天皇家へ将軍家の娘を嫁がせ、公武の融和を図ることを考えていたようです。その願いを「和」という私の名に込めたのでしょう。その祖父も私が十歳になった元和二年(一六一六)に亡くなりました。

 葬儀が終わったあと、駿府城の祖父のもとにいた阿茶局あちゃのつぼねが私に会うため、江戸へやってきました。

 阿茶局は父の生母西郷局が亡くなったあと、幼かった父と叔父を育てた方で、父にとっては母、私にとっても祖母のような女性にょしょうした。髪はすでに白かったのですが、福々しい顔の色つやは良く、つねに柔和な表情をしていました。のちに私が嫁ぐとき、病の身だった母のかわりに付き添ってくれた人です。

『大御所さまは、最後まで禁裏へ嫁ぐ姫さまのことを案じておられました。そして、これを姫さまに』

 と、阿茶局は手にしていた紫の袱紗から五寸ほどの小さなものを取り出し、左の掌へ広げた袱紗の上へ立て、右手でそれを支えて私に見せてくれました。

 それは三目六臂で赤い身体、忿怒の表情をした愛染明王の像で、かたわらにいた侍女が進み出てそれを受け取り、私に持たせてくれます。

『この明王さまは、愛によって悪を降伏される尊い仏さまです。怖いお顔をしておいでになりますが、愛する殿御の心をつなぎとめ、悪意ある者たちを蹴散らし、信心する女性をお守りくださいます。大御所さまは、禁裏と将軍家の絆となられる姫さまの幸せを何より願っておいででございました』

 そこで阿茶局は祖父のことを思い出したのか、声をつまらせました。

『おじいさまの御形見、大切にいたします』

 まだ幼かった私は男女の心の機微などつゆ知らず、阿茶局の言葉の深い意味がわからないまま、そのように応えました。

 あとで父がその仏像に合った大きさの厨子を作ってくれたので、私は朝起きたときに礼拝するのが今にいたる習慣となっております。

 その年は四月に祖父が亡くなった弔事、九月に一番上の千姉上の再嫁という慶事があり、悲しみと喜びが交互にやってきたのでした。

 私より十歳年長の千姉上の行く末は、亡くなった祖父が最も気にかけていたことだと聞いています。この姉の二度の縁談は、祖父がお膳立てしたものです。

 千姉上は七歳でいとこの豊臣秀頼さまへ嫁ぎ、十九歳になった昨年、豊臣家が滅ぶと江戸の父母のもとへ戻ってきたのでした。夫が敵となり、戦で死別という苦労を経た姉は憔悴していました。けれども父母や私たち弟妹と共にいるうちに、しだいに元気を取り戻して、遠縁にあたる本多忠刻さまの許へ嫁いでいったのでした。

 それからしばらく私の周囲は平穏に過ぎていきました。

 和歌やお習字、お香、お琴、舞踊などのお稽古の他に、祖父が繰り返し読んだという『吾妻鏡』の講読を聞いて武家のありようを知り、『源氏物語』や『伊勢物語』の絵巻物を見て、公家の生活や男女の心を学んだりいたしました。

 京からやってきた学者から后妃となるよう教育を受け、私の周囲は伊予局をはじめ公家の出の者ばかり奥女中をそろえて、江戸者までも私について京へ上る者は御所言葉を話すよう決められ、まるで江戸城内でここだけが宮中のような風情でありました。




 私が十三歳のときの年の暮、幼い頃一緒に過ごした勝姉上が三人の子を連れて、ひっそりと江戸へ戻ってきました。

 私の侍女たちの話では、姉の夫となった忠直さまは大坂冬の陣、夏の陣の際の恩賞に不満を持ち、酒色に溺れ、諌めた老臣一族を誅殺し、さらには将軍の娘である正室の勝姉上を憎んで、切り殺そうとまでされたとか。侍女が身代わりとなって、姉は逃れてきたということでございます。

 なんという、恐ろしいことでしょう。

 私は目の前が真っ暗になるような心持ちがいたしました。私が姉の立場であったら、そのような夫に仕えることができたでしょうか。子どもを連れて逃げることもできず、きっと殺されてしまったと思います。姉のなんと気丈なことか。

 加賀の前田家へ三歳で嫁いだ二番めの姉、珠姫は子宝に恵まれ、幸せにお暮しだと聞いております。

 この姉以外では、最初の夫を戦で亡くした一番めの姉、千姫。そして、夫に憎まれて戻ってきた三番めの姉、勝姫。生まれてすぐに京極家の伯母に引き取られた四番めの姉、初姫は子もなく、夫とも不仲であると聞きます。

 徳川の家のため、嫁いでいった姉たちは一人を除いて皆、不幸になっていました。では、私は……。

 先のことを考えると不安ばかりが湧いてくるため、私は祖父から頂いた愛染明王さまを毎日、伏し拝み、良くないことは考えないようにいたしました。

 つとめて明るく振舞い、勝姉上の御心が少しでも晴れるようにと願いながら、本丸の別の部屋にいる姉の許へ通って、双六や囲碁の相手をし、昔を思い出して親しく語らったのでございます。




 正月の諸行事で慌ただしく日々が過ぎ、陽射しが暖かくなってくると、勝姉上の心も少しずつ和らぎ、表情も越前から逃げてきた当初の暗さが薄らいでいくようでした。

 そして弥生に入って、しばらくした日のことです。

 私と勝姉上が碁を打っていましたら、廊下を駆けてくる足音がいたします。

 からり、と廊下側の障子が開けられ、幼い男の子が飛び込んで来ました。

「かかさま。さくらっ」

 碁盤を蹴り、姉の胸元へ、振り分け髪のその子は飛び込みました。

「まあ、仙千代。お行儀の悪い」

 たしなめながらも、姉は微笑んでいます。そして、ぎゅっと抱きしめてから、身体を離して尋ねました。

「それは、なに」

「さくらのえだに、はながさいていたので、もってまいりました」

 と、仙千代君が早咲きの花が一輪ついている枝を差し出しました。

「きれいね。でもまさか、木に登って取ったのでは」

 枝を受け取りながら、姉は若君の後ろに控えている侍女を見やります。

「いいえ、若様がお取り遊ばしたのではありませぬ。わたくしがお指図に従って、いたしたものでございます」

 侍女はそう答えて、平伏いたしました。

 姉はうなずき、仙千代君に向かいました。

「私に見せたくて持ってきたのですね。ありがとう、仙千代。これは生けておきます。でも今度、見せてくれるのなら、枝を折らないで場所を教えてください。花が咲いているさまを、母と一緒にみましょうね。花は生けるのも良いですが、自然のままの方がもっと美しいものですよ」

「はいっ、かかさま」

「では、ゆきと遊んでおいでなさい。母は和子叔母さまと少しお話があります」

「はい」と、元気なお返事をもう一度して、仙千代君は姉の膝から降り、来たときのように廊下へ走り出ていきました。一礼して、そのあとを侍女が追っていきます。

「なんと、かわいらしい。三歳になられましたか」

「ええ。夫は最後まで心を開いてくれませんでしたが、あの子と上の二人の姫は私の宝です。子どもたちがいたからこそ、私は強くなれました」

 と、姉は越前での暮らしを思い出したのか、視線を宙にさまよわせました。けれども、すぐに私の方に向き直りました。

「碁石が散らばってしまいましたね。でも、私が覚えておりますので……」

 仙千代君が蹴散らしてしまった碁盤を元通りに直そうと石を拾っていますと、姉はそれを押しとどめました。

「囲碁は、これでお終いにいたしましょう。片づけは、後から私がいたします。それよりも和子、あなたにお知らせしたものか迷ったのですが、父も母も、誰もあなたに話さないし、よそから無責任なことを聞かされても、あなたが傷つくだけと思い、姉のわたくしから話すことにいたします。あなたの夫となられる方のことです」

 私は、はっとして姉の顔を真正面から見ました。勝姉上は、母よりは父に似て端整な顔立ちをしていました。母親となった今では、そこに愛情深いさまが加わりましたが、このときは父が政務を執っているときのような厳しい表情をしていました。

「あなたが四歳のおりにわたくしが嫁ぎ、十年の歳月を経て再会したおりには、母上に似て、ほんに美しゅうなられ、また賢くご気性もまっすぐで、禁裏に嫁いでも恥ずかしくない女性にお育ちあそばし、目をみはったものです。あなたの持つ、まわりを暖かくするような雰囲気は、嫁ぎ先から逃げてきたわたくしの心をどれほど慰めてくれたことか。感謝しております。けれども、あなたはたいへん無邪気でいらっしゃるので、宮中という女の戦場いくさばで無事でいられるか、心配なのです。あなたの夫となられる今上帝は……近侍の公家の姫に手をつけ、すでに親王と内親王、ふたりのお子までなしておいでです」

「子を……」

 私は、ぼんやりと姉の言葉を繰り返しました。

 父には側室がおらず、私は父と母が同じ生まれのきょうだいばかりで育ちましたので、つい他もそうであるような感覚でおりました。殿方は側室を持つものだと頭でわかっていても、自分が他の女性と夫の寵を争う立場になってみて初めて、結婚というものが理解できたように思ったのでした。

「しっかりなさい、和子」

 姉の叱咤の声で我に返り、私は姉に目を向けました。

「帝には後継をもうけねばならぬ義務があります。けれども、あなたが嫁ぐのがわかっていながらこの所業、男女のことに潔癖な母上はたいそう怒り、父上も問題視されて、本来なら八歳で禁裏へ嫁ぐ予定のところ、十四歳のこの年まで婚儀が引き延ばされたのです。禁裏と公儀の話し合いの結果、皇子には継承権はなく、二人の御子は母親と離され、隠すように育てられているとか。しかし、同情などしてはなりませぬ」

 ふだんは優しい姉の冷たいとも思えるこの言葉に、私は驚きました。けれども口をはさむすきも与えず、勝姉上は続けます。

「わたくしのときは、婚礼の前夜まで夫が多くの側女を置いていることを知りませんでした。それでも子があれば、それが女子おなごでも正嫡の母として重んぜられます。たとえ子がなくとも、側室は正室に自らの子を養い子としてもらわねば、跡継ぎとして認められません。正室は、身分の上ではその女たちより上です。夫にとって、わたくしは大勢の女の一人にすぎませんでした。けれども世継ぎの母として、将軍家から嫁いだ娘として、わたくしをないがしろにはできませんでした。和子、あなたも負けてはなりませぬ」




 夫となるべき人の行状と姉の諭しを聞いたあと、私は自らの動揺を収めて姉に礼を述べ、「心配ありませぬ」と答えて微笑み、自分の部屋へ戻ってきました。そして侍女たちを下がらせて一人になると、しばらく呆然とその場に座り込んでいました。頬に涙がつたいます。

 伊予局に夫となる人について尋ねても、詳しいことを話してくれないのは道理でした。皆が私に不都合なことを知らせないようにしてきたのですから。しかし、いずれ真実を知るのです。そのとき、私がどれほど傷つくか、誰も考えてはくれませんでした。

「どうすればいいのでしょうか。おじいさま……。夫になるひとは、すでに他の女性を愛しんでおります。子までなして……嫁いでも、私の居場所などありませぬ」

 私は涙を袖で拭き、立ち上がって棚のところへ行きました。そこに置いてあった厨子の扉を開けてから前に座り、祖父家康からもらった愛染明王の像を伏し拝みます。誰にも言えない心の内を、せめて仏様には聞いてもらいたかったのです。

 そのとき、廊下で侍女の叫び声がいたしました。

「若君さま、おやめください。姫さまは今、人払いをされておられます」

「わしは、おまえたちと違う。和子、入るぞ」

 からりと障子を開けて、そこに仁王立ちになったのは、世継ぎとして現在は西の丸に住んでいる竹千代兄上でした。今年、十七歳になっていますが、まだ元服のお許しが出ず、前髪立ちの姿です。

「おう、それがおじいさまから頂いた仏像か。わしも拝ませてもらおう」

 と、兄は私の横へやってくると端座し、手を合わせました。

 侍女が背後で障子を閉め、私たち兄妹だけになれるよう配慮し、去ってゆきます。

「和子はいいな。おじいさまから、このようなものをもらって。和子は父上が将軍になってから生まれた末子おとごだから、特別なのだ」

 神妙な顔で仏様を拝んだのち、兄は私に笑いかけました。

「そんな……私など。竹千代兄上こそ、おじいさまから、とてもかわいがられていたと、以前、国松兄上がおっしゃっていました」

「国松か」

 二番めの兄の名を口にしたとき、竹千代兄上の表情が曇りました。

「幼い頃はよかったな。何も考えずにいられた」

 そのつぶやきで、私は二人の兄の間にある事態の複雑さを察しました。長ずるにつれ、世継ぎの竹千代兄上と、そうでない国松兄上の立場の違いは鮮明となり、それぞれの御付きの者たちの思惑も重なって、昔のような仲の良い兄弟の間柄ではなくなっていました。それを竹千代兄上も、寂しく思っているのだと、私は感じたのです。

「泣いていたのか」

 兄は口元を引き結び、私の顔をのぞき込みました。

「いえ……」と、私は袖で目元を隠したのですが、兄は何かを察したようです。

 次の瞬間、私の身体が浮き上がり、くるりと天地がひっくり返りました。

「こんなよい天気に部屋に籠っているから、気鬱になるのだ。馬に乗って遠乗りにでも連れて行きたいが、今はそれも出来ぬ。わしを馬だと思え」

 竹千代兄上は私を抱き上げたまま、廊下に出ました。侍女たちの悲鳴も気にかけず、階を降り、小姓が差し出した草履をはくと、庭を駆けて行きます。

 風は冷たかったのですが、木蓮の花が咲き、木々も芽吹いて、それを目にするだけで気が晴れるようです。

 兄はしばらくしてから息を切らせ、私を大きな庭石の上へ下ろしました。

「空は、広いな。江戸も京も、この空の下だ」

 兄は見上げて言いました。

「わしもそなたも、将軍家に生まれた。わしはいずれ征夷大将軍となり、そなたは皇后となる。生まれ落ちた場所は選べなかったが、そこでおのれに恥じぬよう生きることはできる。のう、和子。我らは誠を尽くそう。さすれば、わかってくれる者もいる。きっと帝もな。この兄は常にそなたの味方だ。忘れぬな」

 と、兄は微笑みました。




   *




 あの日の情景を、私は片時も忘れませんでした。元服して家光と名乗った兄は将軍となり、一方で帝の寵愛を受けた私は今、国母・東福門院として崇敬されているのでございます。





                   


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