閑話 ヴォルカーノの日記2
レンにはどうやらこの齢にして意中の人が居るらしい
その人物は…この国の第二王子、ナオ・ベスティード殿下。しかも相手もレンに夢中だという
貴族令嬢でも、殿下を中々お目に掛かることなど無いのに、あの子達は何故かお互いを知っていた。……突然やって来たときは何事かと思ったが…ただ、あのレンが、初めて会った筈の殿下に微笑んだとき……心を許してるのを確信し、深く追求するのは止めた
あの子が私以外に笑い掛けることはあまりない。…愛想笑いはよくするが
だから、このモヤモヤとした気分は……娘を取られた父親の気分とでも言うべきか
「しかし……殿下も殿下だけど、レンも中々に賢い子だな」
「なんだ急に」
書斎から庭先で戯れる子供らを眺めていれば、横で本を物色していたレーヴェディアが呟いた。この馬鹿弟子は殿下の護衛として来てるらしい…まぁ、確かにこの事はあまり知られる訳にはいかないからな
窓枠に頬杖をつくなり向こうを眺めたまま視線だけを此方に寄越すものだから、私も手を止めずに本の整理を続ける
「先日、表に人が溜まっててな。あの子が裏道からのルートを教えてくれたんだ」
「あぁ……あの子はここら周囲をよく散策してるからな」
「それだけなら分かる。殿下が教会に来てるのなんて大事になるからな。……だけどあの子…見られてる可能性は0じゃないからって、迷子のフリをしたんだぞ?しかも泣いて。……殿下もすぐ理解して話を合わせてたし……」
この間やたら目元が赤かったのはそういうことか。……泣き真似をすることなぞ無かったが……そもそも滅多に泣かぬ子だしな……虫が出たときは逃げ回るが
「5歳だっけか。……言葉遣いも、アンタの教育って訳でもないだろ?ちょっと賢すぎやしないか?」
「戯け。知恵があるのに越したことはない。……あの子はあの子なりに本を読み、文字を学び…一人で学んでいる。…声を掛ければ良いのにお前さんと違って辞書まで引っ張ってきてな」
「そりゃアンタが入れ込む訳で……ん?」
鼻で笑ってやればげっそりと溜め息を溢された。怠け者と自己を高めようとするものをどちらを気に入るかなぞ、圧倒的に後者に決まってる
……そんなとき、殿下が慌てて此方へ駆け寄ってきた
「レーベ!レンが…!」
「どうかなさいました?……ありゃ、また何で木の上に」
「僕のハンカチが飛んじゃって…レーベに取って貰うって言ったのに登っちゃった。……多分降りれないから手を貸して!」
「了解」
「やれやれ、あの子は…」
だが幼子らしく突発的に何かを行動するところは儘ある。稀にしか起きないが……本人は全くこちらを困らせようと意図してないから怒るに怒れない
寧ろ此方を困らせないようにとやってる節がある。……結果的にはよくないが、あの子なりの心遣いを無下にはできない
兎も角、降ろしてやらねばと三人で外へ出ると……枝に座っていたレンが此方を向いた
次の瞬間
「レンっ!!」
「?……どうかしました?神父様」
ふわりと、レンのワンピースの裾が舞った。隠れていた脚が垣間見え……本人は何事もありませんでしたって顔で此方を見てきた
これだ。どこで恥じらいを置いてきたのか……よくこの子は飛び降りる。階段を飛び降りるのはわりと多く、窓枠を飛び越えて部屋に入ってくるときもある。…私に見られると怒られるのを分かっているからか、バレないようにやってる辺りがずる賢い
額を抑え、深く息を吐いた。獣人の子は活発と聞いては居たがレンもそれに漏れなかったか……
「……レン。幼くとも女性は木から飛び降りたりはせん」
「でもハンカチ取れましたし……神父様やレーヴェティアの手を借りずとも、このくらいなら大丈夫ですよ?ちゃんと下着も見えぬように抑えて降りました」
反省どころかキリッとした表情をされてしまった
中々な高さはあった。……怪我をしたらどうするのかとこの子は考えてるのだろうか。……考えてなさそうだ。とんだお転婆娘を預かったものだ
再び溜め息を吐けば、きょとりと大きな瞳が瞬いた。…馬鹿弟子は笑っているが、殿下も同じ様に溜め息を溢す
「……レン、神父様も僕もね、君が心配だったんだ。ハンカチなんてレーヴェディアに取らせればいいし、君が取りに行ってくれてたのは嬉しかった。……でも飛び降りて怪我でもしたら悲しい。君が痛い思いをするのは嫌なんだ」
「殿下の言う通りだ。……元気なのはいい。子供とはそういうものだからな。…だが危ないのは止してくれ。…老いた心臓には中々応えるからな」
「……ごめんなさい」
垂れ下がった耳も尾も、申し訳無さを全面に出している。危なくなければ、自由に駆け回るこの子をずっと見ていたいが……もし、大きな怪我をしたらと思うとゾッとする。
突然帰って来なくなったこの子の両親のように……そんな不安を感じるときがある
もしかしたら自分を疎かにするような考えがこの子の根底にはあるのかもしれない
今日はきちんと己を大事にするよう少し説教をしよう。……そう思ったが、縮こまるように立っているレンを見て、今はいいかと頭を撫でた
ゆっくりと、直していけばいい。……いつの間にか頭の大部分がこの子で埋まってきたのを再確認しつつ、不安そうなレンを撫で続けた
…………だが数ヶ月経ってもやはり意識改善は難しく、お転婆娘は今日も元気だ。都度都度注意している殿下を見掛ける度においたわしくて仕方ない。…多分あれは年単位でも治るかどうかだろう
私も注意はしているのだが……今は別件で気になることがある
────最近、元老院の者から頻繁に手紙が届くことがあった
元々私は冒険者だったのもあり…それに貴族に知り合いも居る。…そして本来教会というものは国の所有物である
そこにいる神父もシスターも、殆どの国では国が派遣し管理しているのが当たり前だ
だが、この国では獣人特有の完全実力主義が根付いていて……神に縋る者など多くない
だからこそ、わざわざ国が管理するまででもなく……建築財産として補修する費用等は出すが、そこに住むものの生活の安定までは加味されない。故に、元老院から手紙がくるなど異常な事だった
しかも届いたのは、元老院の中でも特に黒い噂の絶えぬ男からで……内容は、何処で耳にしたのか、うちのレンを寄越せと云うものだった
一枚目はそれは出来ないという旨を返書し、早々に燃やした
「最近お手紙多いねぇ……もしかして恋仲でも出来たの?」
「戯け。…ただちょっと、健康診断に来いとしつこくてなぁ…」
「あ、いけないんだ。健康診断いかなきゃ駄目だよ?長生きしてほしいもん」
毎朝手紙を届けてくれるレンは絶対差出人を見ないで持ってきてくれる。元老院で使われる封筒は見れば一発で分かるほど無駄に豪勢で、元老院の紋様が入っているんだが……殿下も教えて居ない様で安心した
元老院に関わらない方がこの子の為なのだから
だが向こうは中々そうはいかず……仕えさせられないならせめて会わせろ、なんて図々しいことこの上ない手紙ばかりが届いている
曰く、稀有な瞳を見てみたいだとか
レンの瞳はそれはそれは美しい。特に夕陽を見詰めると、琥珀の様に煌めきを帯びるのが一層美しいと思う
子供特有の大きな瞳であるからか、礼拝者からも時折そんな話を聞く
ご年配の婦人達ばかりだが、レンの子供らしくも礼儀正しい部分は大層母性を刺激するらしく……邪魔にならないようにと外で遊んでいる時は私が、たまに掃除をしにレンが居るときには本人に様々な物をくれる
手編みのぬいぐるみ、花飾り、握り飯などの料理。ごく稀に菓子類や宝石類まで
レンはレンで嬉しそうに貰ったものを飾ったり食べたりするから止めてない。…宝石類は受け取るのを渋ってたが、そこはご年配の婦人の世話焼きに負けて握らされてた。ちゃんと私が預かっている
「その辺りから洩れたか……」
婦人達の話の広まりは早いしな。それは仕方ない
書斎で額を抑えて返書を綴る。……無視すれば適当な罪をでっち上げて来そうで面倒だった。何とかならなくは無いのだが…どうやら差出人は私の事をよく分かっていないらしい。揉めに揉め、レンが社交界に引き摺り出されることになるのは私としては避けたい
最近王族とも繋がりを再び深めたし……いっそ国王陛下に相談するか?…いや、あの人は暇そうに見えて忙しい人だからな……
とりあえず再度、レンはやれないという旨を書いて、送った
暫く返事が来ないうちに、殿下達が此方で修行するのが決まった。…うちにも新しく家族が増え……それでも頭の片隅に元老院の事を置いておいた
そして此方に居た場合に遭遇した時のことを考え、王妃様には一応話をしておいた。元老院が殆ど今国内に居ないとはいえ…やはり注意しなくてはならない
「そうね……今日戻ったらブランに話してみるわ。…私達にとってはもうあの子は娘ですもの」
「迷惑を掛けて申し訳ない」
「いいのよ。貴方ももっと肩の力を抜いて。…堅苦しいのは貴族達だけで充分。友達じゃない、たまの休暇ぐらい気を抜かせて頂戴よ」
ぷくぅ、と両頬を膨らました王妃様は何処と無くレンに似ていて笑ってしまった
身分の差は出たものの、王妃様……フィオルナもブランシュナもかつて私の弟子で、友人だった
フィオルナに関しては、見学だったので弟子というには曖昧だったが……それでも王位につく前は共にばか騒ぎしてた。主にもう一人の弟子であるレーヴェディアと共に
いつかレンに話してやろう。きっと楽しそうに聞いてくれる
深い溜め息を溢して、背凭れに身体を預けたタイミングで、殿下とレンが降りてきた。フロウも殿下の周りでちょこちょこと歩いている。……術者に似たのか、何にでも興味を示している姿は愛らしい
昨日買った寝間着にさっそく袖を通したのか…小さな鮫が運搬されてきた。フィオルナはそれはそれは嬉しそうに見ている
「母上、神父様、起こしてきましたよ」
「あら、聞いていた通り可愛い。そういうのが好きなの?」
「はい、何だかこう……包まれてる感じ、好きなんです。可愛いし」
初めて見たときはどうかと思ったが……レンが着ると愛らしい事この上ない。……親バカになった自覚はある
それを悟られないようにしつつ、レンへ声を掛ける
「……動きにくいか?」
「ん……言われてから自覚したけど、立てなくはないんだけど…なんかプルプルする。不思議」
「当たり前だ。寧ろ立てるだけいい方だろう。……今後は己の魔力の残りに気を付けるんだぞ。身体の回復も遅くなる」
「はぁい……」
昨夜初めて魔術を使ったとは思えぬ程レンは基礎が整っていた。元より賢い子であったからか、はたまた血筋からか、兎も角魔術を使えるようになった。……まぁ、今回は魔力が尽きてしまう程放出したのは反省点だが
それから今後について少し話し……殿下が近くに居ると知って喜色に染まる姿がまた可愛らしかったが、殿下の目が牽制してきたので撫でるのは自重しておいた。……自分はさりげなく尾を絡めてるあたり、相当な執着が見える。…保護者は私なんだがなぁ…
フィオルナ達を見送った後、レンも修行したいと言い出したのでギルドに人材を宛がうよう依頼状を書いた
私はあまり魔術が得意ではないし、殴る方が早い。冒険者時代に貯めた金は一生遊んで暮らせるレベルだが、そんな趣味もない
ならば可愛いうちの子に宛がおう。出来上がった書簡を渡しに外へ出れば……馬鹿弟子がうちの子らに刃を向けている所だった
「───うちの子らに何をしている馬鹿者っ!!!!」
「ぶっ!!!!!」
考えるまでもなく、手が出た
殴り飛ばした勢いのままレンを抱き上げ、カタカタと小さく震えている身体をあやす
此方を視認すると、滅多に泣かないレンが涙を溢した。ポロポロと止むことのない涙をレンの腕の中に居たフロウが舐めとる。…さしずめ、アースフォクスだからと殺そうとしたんだろう。先入観に囚われず臨機応変に動けと叩き込んだ筈なのだが、どうもこの馬鹿弟子は鈍っているようだ
「怖かったな、痛いところはないか?」
「だ、だいじょ…ぶ、…」
優しく揺すって、ぐずぐずと鼻を鳴らして目を擦ろうとするレンを止める。潤んだ瞳もまた光を反射する宝石の様で、泣いているというのに綺麗だった。だが擦り過ぎると腫れてしまう
「………それで?うちの子らに剣を向けるとは何事だ?」
「いってぇなクソジジイ……!……お嬢さんの腕の中に居るのはアースフォクスだ。民の命に関わる危険因子を排除するのも俺らの仕事だ。ジジイも分かってるだろ」
「このアースフォクスはレンの従魔だ。そう言われんかったか?」
「幼体だろうとアースフォクスを従えるにはお嬢さんの従魔術のレベルが足りてなさすぎる!」
「これだから馬鹿弟子は……レンよ、まだ回復しきってないところすまんがフロウに少し魔力を分けてやれ。フロウに向けて放出すればいい」
コクコクと頷き、フロウへ言われるがまま魔力を放出する。己の従魔と説明するのに尤も簡単な方法だ。…街へいくならばと、説明しようとしたところにやってきた馬鹿弟子が悪い
「見えたか」
「なっ……まじだったのかよ…………あー……お嬢さん?そのちっこいのに剣を向けて悪かった」
思いっきり目を見開き、それでも謝罪するレーヴェディアにレンが涙ながらに目を吊り上げた
珍しいレンの表情に呆気を取られる間もなく
「……レーヴェディアなんか、嫌い!」
涙声で、そう叫んだレンに馬鹿弟子が膝から崩れ落ちた。未だ涙するレンをあやしつつ、膝を着いて絶望したような顔をしてる馬鹿を鼻で笑った
レンが嘘をつくなど早々ないというのに、信じてやらなかった自業自得というやつだ