第一章 第一話
ざわざわと森の木々揺れる音。それから鳥の軽やかな囀り。…階下から美味しそうな匂いがして今日が始まる。降り注ぐ陽射しに目を開けて…上体を起こして、目を擦った
寝起きに少し頭がぐわんぐわんと揺れるのは相変わらずで…収まれば勝手に欠伸が漏れる。仕方ないね、子供はよく寝るのが仕事だし
背をぐ〜っと伸ばすと、それに合わせて尻尾も伸びる……スラッと伸びた尾は、私が人間では無い証
猫人族、それも黒猫族が今世の私
名前はどうやら変わってないようだけど見た目は全然違うし…うん、こっちの私はそれなりに可愛い部類だ。グッチョブ、女神様
因みに先日5歳を迎えた。…そこまでの話?いやいや、乙女の恥をひん剥こうとするものじゃないよ。あと私自身も結構曖昧だし
なんで、と問われると……彼ならば、対となる白猫族を選ぶと信じていたからだ。…人間より身体は強く、長生きなのだから、そりゃあ人間じゃなく、かつ分かりやすい種族を選ぶだろう。エルフが最も長寿だが、もし片方が異なる選択をした場合の孤独さは目も当てられないので選択肢にそもそも存在しなかった
また、猫人族のように、獣と人間の血が混じったものは、普通の人間よりも身体能力やらなにやらは優れているが…総じて魔力保有量が少ないのが弱点だ
だが勿論例外は何にでもある訳で。…黒猫族と白猫族は、それぞれ魔力保有量は人間よりも多いが…逆に身体能力は人間並み。それぞれ攻撃と護りに特化しているだけあって、わりと珍しい存在なのだとか
珍しいが、特段騒ぐ程でも無い。世界に数人〜とかいう訳では無い。あくまで他の種と比べて数が少ないというだけで
数が少ない理由として、人間の遺伝子の方が強いから、なんて理由が生まれる。混ざれば混ざるほど、強くはなるが…元々待っていた種としてのアドバンテージが薄れてしまうんだとか
この辺りは本で読んだだけなので正直よくわからない。メカニズムがどうとかはしらない…何時かゆっくり探る日が来そうだが
そんなことより、だ
「ん、………んん、…もう起きちゃうの?」
「うん、起きないと……ほら、神父様来ちゃうよ、ナオ」
こんなに再会って早くていいんだっけ、と思うほど爆速で私達はまた巡り会えた。序章と幕引きが同レベル程の速さかつ昔と変わらず相愛で……ふわっふわの毛並みをぱやぱやと癖付けたまま目を擦る彼が愛らしくて堪らない。すり、すり、と頬同士をくっつけて朝のご挨拶。幾つか大きい彼の方にそのまま抱き締められて寝起きで暖かい体温を分け合う
「起きたくないなぁ……帰りたくもないし…」
「んん、駄目だよ、本当は一緒に寝るのすら怒られちゃうんだから……これ以上側近さんや神父様を困らせられないよ」
「むぅ……」
不機嫌そうに尾を揺らす彼
それすら愛おしくて、大好きで、感情がすぐ表に出ちゃう私は引っ付いて愛情をアピールする
本当ならば、というか、普通に考えて私と彼の今の立場じゃ寝所を共にする所か会うことすら本来ならばありえない
ここは《メーヌリ大陸》と呼ばれる数ある大陸の一つ、その南方。《べスティード王国》……獣国とも呼ばれる、人と獣が入り交じる活気ある王国。その王都の少し外れ、豊かな森を護るよう位置する教会が私の今の居場所
人と獣の混じりの王が君臨している。……というか、純血の獣達はこういった統治とかは興味無いし、何も人の血が混じったからと言って私達が下位の存在という訳でもない
まぁ、その辺はおいおい語るとして……なんで教会に居るのかを語ろう
理由は単純明快。私の両親は私が生まれて間もなく息絶え、ここの神父様が親代わりだから、以上
いやぁ、親というものにはとことん恵まれないな、とは思う……が、前世はまた違った意味で恵まれなかっただけで、今世の両親に落ち度は何も無い
何でも、竜種の討伐に名のある冒険者は呼ばれて………集った八割は、命をそこで散らしたのだという
つまり、孤児はそこまで珍しくなく……けれどもまぁ、この教会に居るのは私とその神父様くらいなのだ、他の子はどうなのかは知らない
この神父様がこう、……なんというか凄い人なのだ。ナオとはまた別ベクトルで好き。優しくて厳かで、とても好き。因みにナオに言ったらものすごく拗ねられたのは記憶にまだ新しい
「んむ。……ふふ、お寝惚けさん?」
「このまま二度寝しちゃいたいなぁ……駄目?」
ぽすん、と彼の腕の中に捕まって、そのまま一緒に寝台に逆戻り
おっきいベッドは柔らかく受け止めてくれて、スッキリ目覚めたはずなのに瞼がとろりと落ちてくる
───コンコン、
それを阻害するように響くノック音。ピッ、と二人で耳を立てて、それからドアの方を見る
「やっと気付きました?おはようございます、殿下、それからお嬢さん。さっきから声掛けてるのに無視するなんて寂しいですよ」
「……許可を出す前に入ってくるお前も大概だろ…」
「そりゃあ!何せ!可愛い子猫たちがすぴすぴしてるなんてそんな可愛いもの見逃すわけないじゃないですか!!!!」
カッ!と目を見開いて宣言する騎士から隠すように毛布を引き寄せられ、不機嫌そうにふわふわの尾がしなる
でれでれの顔を見せるのはナオの護衛、レーヴェディア
レーヴェディア・エトレーゼ
元市民階級現貴族の変な従者
というのも、“エトレーゼ”というのは冒険者が一定以上の戦果、戦績を上げ、それを国王が承認したことで与えられる貴族名だ
冒険者から貴族への道は恐ろしく遠いが……貴族としての権利を手に入れ、名誉も金も手にしてるのに何故か第二王子の護衛という神経と命がすり減りそうな事をしているのだ。普通ならば名を手にした時点で冒険者を止めてる人は多いのに……ドMなのかもしれない。考えるのは止めておこう
そんな彼は生粋の猫派。…いや、この世界猫派とか犬派とか、そういったか弱い生き物は滅多に居ないんだけど…まぁ、似たような魔物は居るのでどうやら猫派犬派論争はこちらでもあるらしい
淡い栗色の髪がさらさらと短く流れていく様は大変綺麗で、蒼い瞳も顔立ちも宜しいが……自分達を見てはぁはぁしてた人に近寄りたくはない。かつての世界だったら問答無用で刑務所案件だ
毛布を引き寄せ、ナオの後ろに隠れながら数回目のドン引きを露にしていれば、レーヴェディアの頭に拳骨が降った
ごつん!と音が聞こえそうなほど強烈なそれに二人して身体をびくつかせて寄り添う。痛い音は怖い。私は経験したことないけどね、今の拳骨
「馬鹿者、何度も何度も殿下とうちの子を怯えさせるなと言っておるだろう。」
「ぃ”っ~~~てぇ!!殿下は怯えて無かったし、今はアンタに怯えてる!!!殴ることねぇだろ!!」
蹲ったレーヴェディアの後ろに居る人物…厳かな雰囲気を携えたロマンスグレーに尻尾が反応してしまった
レーヴェディアに鉄槌を下した人物こそ、私の育ての親と呼んでも過言では無い神父様
名前をヴォルカーノ。渋い声で読まれる童話は五分も耐えきれない。下手したらおやすみ三秒である
ヴォルカーノ神父様は、色々と凄い。見た目は威厳のあるおじ様なのに、すっごい器用に髪を色々編んでくれたり、可愛いご飯を作ってくれたりする。一番はケーキだ、ケーキ。この森で取れる蜂蜜は、それはもう前世あまり蜂蜜好きじゃなかった私でさえほっぺたがゆるゆるだし蕩け落ちそうな程に甘くて美味しいのだ。…まぁ、その分何か蜂大きいらしいんだけどね………異世界ってそういうとこある
因みに、赤子が食べても大丈夫なものらしく、なんなら栄養満点で母子共に摂取が勧められてるのだとか
…まぁ、デカイ蜂とエンカウント必須だから…あんまり誰も取りに行かないらしいけどね…身の丈ぐらいの蜂とか、普通に死ぬから。色んな意味で
「あの二人、仲良し?」
「仲良しっていうか……レーベにとっては師匠みたいな人って言ってた。神父様の前職はそれはそれは今でも名を残す冒険者だからね。……知らなかったでしょ?」
「あー…………でも何となくわかるかも。神父様むきむき。肩にぶら下がっても全然平気だった」
「いや君何してるの……」
「……………………えへっ!」
可愛こぶって誤魔化した。ため息と共に頭を撫でられたので恐らく許された。彼は私に甘い
神父様は教会の力仕事は全部やってくれるし、背筋はピシッとしてるしで…歳をとるどころか、年々若返ってる気がするのは錯覚だろうか?
暫く2人の言い争いを眺めていれば、暖かい日差しと穏やかな風に眠気が誘われる。こく、こく、と揺れてしまってるのを隠せずにいたら、ナオにぽふぽふと布団を示された
これはもう、二度寝したって仕方ないだろう。だってほら、2人言い争ってるし
ぽて、と2人で毛布に倒れて、暖かい手に撫でられるまま瞳を伏せた。…子供は寝るのが仕事だからね!仕方ないね!
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ゆっくり、ゆっくり。雲の上で揺らぐような優しい微睡み。風が花の匂いを運んで、甘く嫋やかな香の匂いと混ざって幸せな匂いがする
この匂いは好き。例えば焼きたてのパンとか、プール後の教室の匂いとかと同じ。ふとした時に思い出して、懐かしくて、愛おしい匂い。…プール後の塩素と制汗剤の匂いが満ちた教室で、ゆったりとしたテンポで聞かされる古文とか…懐かしいなぁ。大きな窓から覗く雲も、机の端をとんとんってされて起こされるのも…数年だけの、貴重な思い出
匂いで記憶が刺激されるのは珍しくないらしい。そして起きなきゃ、って気分にさせられるのもきっと珍しくない
じゅーじゅーって音を立てる焼きたてのウインナーの匂いとか、甘酸っぱいオレンジジュースの匂いとか。ああ、朝ごはんだ、って目が覚めるの
「レン、レン。…おきて、ほら」
「ん゛〜〜……」
でも今のこの匂いは違う。優しくて、甘くて、切なくて。離れたくないなぁって気分にさせる匂い
駄々をこねるように近くの熱に抱きついて…上から降ってくる優しい声にほんの少しだけ意識を起こす
「ほら、駄々っ子しないの。…神父様が朝ごはん作ってくれるって。オムレツだよ?いいの?僕食べちゃうよ」
「やだぁ……おきる、おきるからぁ…」
「ふふ、じゃあほら、目を開けて。身体も起こして。じゃないと君、また寝ちゃうんだから」
きゅむ、と抱きついてイヤイヤしてみたが優しい温もりは窘めるように抱き寄せられて、座らされて……そこで漸く、瞳が開く
「んわ、……おはぁよ、…ナオ…」
「おはよう。二度寝すると絶対寝ぼけちゃうんだから…ふふ」
記憶より小さな手が髪を撫でて、それから輪郭を滑る。頬の手へと擦り寄ればころころと喉が勝手になってしまうのだから少しばかり恥ずかしい
「起きたならご飯を食べに行こう。きっと二人が待ってるよ」
「ん、ん、……ねぇ、次はいつ来てくれる?」
「んー……どうなるかなぁ…なるべく早く会いたいんだけど、最近ちょっと内部がね…」
「そっかあ」
手を繋いで階段を降りる。本来であれば王族がほいほいこんな場所に来るなどあってはならないのだが…レーヴェディア曰く、誤魔化しに誤魔化してるから問題はないのだとか
…王子が一人王宮から一夜丸々居ないの、どうやって誤魔化してるか気になるけど…まぁ、問題ないというなら本当に問題ないのだろう
…それに、しょっちゅう来てるという訳では無い。月に一度か二度。…もっと会いたいとは思いつつも、ナオだって忙しいのだろう。不定期でも、来てくれるだけ幸せものだ
「次は……どうなるかな。父上も母上も、好きに生きなさい。って感じだし、政略結婚させる気はないって兄妹たちにも言ってるからなぁ。……ただ、最近元老院のジジイ共がなぁ……」
「へぇ……珍しいね。…あんまり王国の事知らないけど………国王陛下や女王陛下より元老院ってところが力を持っているの?」
ゆっくり階段を降りながら問い掛ければ、ゆるゆると首を降り、心底面倒臭そうに深い溜め息を溢すとぽつぽつと教えてくれた。…そんなに元老院のこと嫌いなのか…
曰く、元老院の長達は国を良くしようという大義名分を振りかざし、さも英雄とばかりに抱え込んだ貴族達が奉るものだから……民衆の支持も少なくはないのだという
ナオは特に、女王陛下の血筋が濃く現れたらしく……幼いのをいいことに、傀儡の国王に仕上げようとしているらしい。…どこの世界も謀ってあるんだなぁ…
「陰謀とか、策略とか…ファンタジーとして見る側だから楽しめるけど、当事者になると堪ったもんじゃない
分からないだろうと思って色々吹き込もうとする貴族に、玉の輿を狙ってか目をギラギラさせて媚びてくる令嬢達………心が荒む………」
「いつか、のんびり二人で暮らせたらいいのにね……偉いね。いいこだね。よしよし」
へにょ、と垂れ下がった耳も尻尾も可愛らしいことこの上ないが、触れたいのを我慢して抱き締める。自分はわりと自由気ままに暮らせては居るが……やはり王族となると違うのだろう
行動を制限されていたり、それこそ婚約者を決められたり………平民同士なら良かったのに。なんて。ないものねだり
というか、王族に産まれるなんて…ナオってば前世徳積み過ぎなんじゃない?流石ダーリン
慰めながら階段をゆったりと降りていけば……何やら話し声。一つは神父様ので、一つはレーヴェディアので…………あと二つは誰だろう?ころころと柔らかい声と豪胆な声がする。聞き覚えのないそれに首を傾げていれば…ナオの耳がぴんっ!と立った
「まさか……!!!」
「あ、待ってよぅ!」
とてて、とナオの後を追って走り、さほど遠くない部屋の前で立ちすくんだナオの後に続いて中を覗き込もうとして……神父様が手招いてることに気付いた
神父様が呼ぶなんて珍しい。ナオの横を通って神父様の脚元へてけてけ向かい……熱心な視線に顔を横へ向けた
途端、視界の暴力に身体が固まってしまう
「ほう、この子が…」
「あらあら……これはまた珍しい…ふふ、でも愛らしいわ」
後ろに居るレーヴェディア含め、視界がきらきらする。えっ。美しさって過ぎたら暴力になるの…??
ちかちか眩む視界に神父様の脚に顔を押し付けていやいやすれば、脇の下に手を入れられ無事膝上に確保された
逃げ場がない!距離が空いてるとはいえ目の前の人達が美しすぎる!!目潰れちゃうよ、神父様!
「っ…父上っ!母上も…!!なぜっ……?!」
「おはよう、ナオ。……すっきりした顔をしてるわね。よく眠れたかしら?」
「それは勿論……いえ、そうでは無くてですね?」
ナオの言葉に更に身体が固まった
父上、母上。つまり国王陛下と王妃様。国のツートップ。森の中の教会に足を運んだら大騒ぎになるような人達である
思考が止まった。……うん、仕方ないよね。諦めも時には肝心。窓の外に視線を放り投げて神父様に身体を預けた
雲ひとつない空だなぁ…………