四の四 夜討ち
夜空から星が消えていた。無数の龍が星空を覆い尽くしている。割れた空の欠片が落ちてくるかのようにして、龍が次々と水城目がけて突進してきていた。まるで夜討ちをしかけてきた軍のようである。闇雲に人を襲っているようにみえていて妙に編成が取れている上に計画的だ。
龍の奴ら、知恵をつけてきやがった。
弾かれるようにして伊佐那は天守を目指した。空へ、天へ、龍の近くへ。
パーン、パパーン……
天守に近づくにつれ、銃声が明瞭になり出した。何者かが鉄砲で龍を迎え撃っている。
天守にたどりつくと、天守の外縁にはりめぐらせた廻縁へと出る扉が開いていた。廻縁には鉄砲を構えた清基が立ち、襲いかかってくる龍を次々と撃ち落としていた。消えた星の瞬きのかわりに火花が夜空に舞う。
「見たか、伊佐那。これが鉄砲の威力よ」
これ見よがしに清基は伊佐那を見やった。伊佐那を振り返った清基の背後に龍が迫る。あっと声をかける間もなく清基は向き直り、すかさず鉄砲を構えて引き金を引いた。眉間を撃ち抜かれた龍は水面へと真っ逆さまに落ちていった。
次々と襲い来る龍を清基は簡単に撃ち落としていく。弾込めに手間がかかるのが鉄砲の弱点だったはずだが、間をおかずして弾を発射できるのであれば向かうところ敵なしの武器である。
清基が手にしているのは伊佐那の知っている鉄砲ではなかった。銃身が長い分、重みがあるはずだというのに清基は軽々と操る。鉄砲というよりは火の威力をもった吹き矢のような軽やかさだ。
あらためて鉄砲の威力を目の当たりにし、伊佐那は言葉がなかった。
とんでもねえ飛び道具を作りやがった。
刀一本で戦っていたら、とっくに死んでいた。夥しい数の龍の襲来だ。
刀の時代の終焉を伊佐那はまざまざと見せつけられていた。
何度も切りつけなければ肉に届かない龍の鱗を鉄砲の弾はいとも簡単に打ち砕く。
刀が打ち砕かれているような思いで、湖へと落ちていく龍を伊佐那は呆然と眺めていた。
意気地なしの武器だと? 冗談じゃねえ。見境なく殺戮を繰り返すだけの恐ろしい道具じゃないか。
狂っていやがる――
狂っているおのれにそう思われるのだから相当な狂いようだ。
清基は喜々として引き金を引き続けている。舞い落ちる木の葉を打ち払うかのように龍を撃ち落としている。恐れから龍を一撃で倒す由良とは違って、清基は龍を殺すのが楽しくて仕方ないといった風だ。
下層の狭間からもいくつもの鉄砲の筒が突きだされ、容赦なく弾を龍に浴びせかけている。ふりかかる鉄砲の弾に阻まれ、龍たちはなかなか城へと近づけないでいた。にもかかわらず、突撃は止まなかった。撃ち殺されるとわかっていながら何故龍たちは水城めがけて体当たりをしてくるのか。
愚かな行動に伊佐那は苛立ちを禁じ得なかった。龍を殺すのにためらいを感じないおかみとの身だが、強い龍を相手にしてこそ鼻を高くしていられるのだから龍には強くあってほしい。その龍が一方的に鉄砲にやられている。
どこかで見たことのある光景だ。湖面には撃ち殺された龍の死体が累々と浮かぶ。体の小さな龍の姿も目立つ。子どもの龍なのだろう。大人と折り重なるようにして死んでいた妹や仲間の子どもたちの姿と重なった。一つ目に蹂躙されて崩壊した村……当時の光景が足元の湖の上に鮮やかによみがえる。
思い出したくもないが、忘れられもせず、胸糞の悪くなる光景だ。
何を見せられている――
落ちぬよう勾欄を掴んでいた手にぐっと力が入る。
いやだねえ――
膝ほどの高さの勾欄を伊佐那はひらりと飛び越えた。向こう側は宙、伊佐那の体は真っ直ぐに湖面に向かって落ちていく。
目指すは龍の背である。小柄で身軽な分、弾を交わして城近くまで寄ってきていた龍がいた。その龍の背に伊佐那は落ちた。
突如、頭上から降り落ちてきた伊佐那に驚き、龍は叫び声を上げた。龍がその身を崩した瞬間、狙いを付けられて撃ちこまれた弾が伊佐那の頬をかすめていった。
背にかじりつく伊佐那を振り落とそうと龍は激しく身じろぎした。伊佐那に気を取られ、龍は鉄砲の弾を避けることが疎かになっていた。狭間からはひっきりなしに弾が飛んでくる。龍が撃たれてしまえば伊佐那の命もない。
「お前に死なれると困るんでな」
伊佐那は龍のたてがみを強くつかみ、首をもぐかのごとく力ずくで龍を制した。龍の目となり、鉄砲の弾道を見据え、たてがみを引く。
右、左、左……
弾を避けているうちに龍の扱いに慣れてきた。
らちがあかないとでも思ったのか、龍は凄まじい速さで城を離れた。風の力をつかって伊佐那をはぐつもりでいるらしい。吹き飛ばされないよう伊佐那は首にしがみついていた。
速さを落とさず龍は高度を徐々に落としていた。川面が迫ると思った次の瞬間には伊佐那の体は川底に沈んでいた。龍が体を反転させて川に突っ込み、川底に背をこすりつけていた。伊佐那をこそぎ落とすつもりらしい。
もう一生飲まなくてもいいと思った水をしこたま飲むはめになった。
ようやくのことで水面へと上がっていき、浅瀬まで行くと、龍もまた水を吐いていた。
「おい、お前、俺はお前の命の恩人なんだぞ。俺がお前に乗っていなかったら、鉄砲の弾に蜂の巣にされていたぜ」
伊佐那もまた水を吐きながら、龍にむかってわかるはずもない文句を垂れた。大人ほどの背丈ほどしかない子どもの龍は、伊佐那にむかって威嚇するかのように牙を向いた。
「お前を傷つけようだとか、そういうつもりはないんだ、こっちは。って言ってもわかんねえだろうけどよ。あの城を脱け出すのに手っ取り早かったのと、お前に連れていってもらいたい場所があるんだよ。龍のお前でないと行けない場所でさあ――」
言い終えないうちにどこからともなく短刀が飛んできた。すんでのところで交わすも、その隙をついて龍は夜空高くへと逃げ去っていってしまった。
「くそ、なんだよ」
悪態をついている間もなく、次は薙刀の刃がふりかかってきた。風牙を抜いて受け止める。
「伊佐那?」
薙刀をふりかぶってきた者の正体は姜夏だった。伊佐那を龍を傷つけようとしている者と勘違いしたのだろう。
「谷からいなくなったと思ったら、こんな所で何をしている?」
「それはこっちの言い草だ。お前こそ、こんなところで――」
と言いかけて伊佐那は口をつぐんだ。水城には今夜、龍が終結している。姜夏もそこへ向かうところなのだろう。龍を守るためにだろうが、あの鉄砲の威力の前では龍も龍守も無力でしかない。
「姜夏、お前にここで会ったのは天祐だ。今すぐ八牙谷に戻り、龍たちを連れて逃げろ。じきに鉄砲隊が八牙谷の方へ向かう。清基の殿さんは龍を一網打尽にするつもりでいる。あの鉄砲隊の使う鉄砲はこれまでのものとは威力が段違いだ。とてもじゃねえが太刀打ちできねえよ。逃げるしかねえ」
「龍を連れて逃げろだと? お前は龍を滅してしまいのではなかったか?」
姜夏は怪訝な表情を浮かべてみせた。
理屈ではない。湖面に累々と浮かぶ龍の死骸を目にし、胃の腑の底がざわめいたのだ。思い出すだけでも胃の腑が落ち着かなくなり、伊佐那は腹を掻いた。命を奪う者と奪われる者とが入れ替わっただけで、やっていることは龍も人も同じではないか。
いや、同じではない。人の方が業が深い。人一人、生きていくために山一つ切り崩し、殿様一人住む城のために森の木を千本切り倒す。水城の豪奢な装飾が思い出された。水城以外にも清基は多くの城を持つ。その城もまた水城同様、瀟洒なのであろう。その城のためにいくつの森が消えたのか。消えた森は龍の住処ではなかったか。村を襲われた人は龍を憎む。ならば住処を奪われた龍が人を憎むのは物の道理ではないか。
龍に同情しなくもないが、伊佐那はどこまでいっても人でしかない。龍が人を襲うのを無理もないと思いはしても、手助けも守ることも出来はしない。伊佐那に出来ることはただひとつ、押し寄せる龍たちを押し戻すことだけだ。
「龍が憎いことに変わりはねえよ。でも、白仙――龍には借りがあるからな。命を助けてもらった。勘違いするなよ。俺はおかみととして村を襲う龍がいたら狩る。だが、人に危害を加えねえってんならこちらも手は出さねえ。根絶やしにするってのはちげぇんだよ」
パーン……
銃声が鳴り響いた。音が近い。鉄砲を使うものが近くにいる。八牙谷にむけて出発したという鉄砲隊だろう。思いの外、進行が速い。翼を借りた子龍は無事でいるだろうか。
「急げ。あまり猶予がない」
急かすと、姜夏は控えていた白仙を呼び寄せた。
「伊佐那、お前が八牙谷まで行って春日に鉄砲隊について知らせてくれ。白仙、伊佐那を八牙谷まで連れていっておくれ」
背に乗れとばかりに白仙がかがんだ。伊佐那は戸惑った。必要にかられて子龍の背には乗ったものの、龍の背に乗るのはいまだ躊躇われる。龍の体の温かみを知ってしまったら――特にそれがおのれの命を救ってくれた白仙のぬくもりを知ってしまったら、二度と龍を狩ることができなくなると危ぶんでいるのだ。
「姜夏、お前が行け」
「私にはやらなければならないことがある」
姜夏は銃声の聞こえてきた方を見据えた。白仙が不安げに顔を寄せ、姜夏はその頬を優しく撫でていた。姜夏の見据えた先に人と共にいる龍たちの姿があった。
「水城へ向かう龍を止めるつもりか。やめておけ。龍はもう止められない。水城の鉄砲は桁違いで、撃ち殺されるのがおちだ。悪いことはいわねえから、逃げろ」「逃げる? どこへ逃げるというのだ?」
強い口調だが、姜夏の表情は泣き出しそうである。
「龍に逃げる場所など、もうない。人がみな奪っていった」
「どこかにあるだろう。九頭岳はどうだ?」
「九頭岳……」
姜夏は考え込んでいた。
パーン……パパーン……
銃声がさらに近づいてきた。
「さあ、早く。時がないのだろう?」
はっと我にかえった姜夏が今度は伊佐那を急かした。今宵が龍の背に乗る最初で最後だ。意を決し、伊佐那は白仙の背に飛び乗った。
「いいか、逃げろよ!」
白仙の背から、小さくなっていく姜夏にむかって伊佐那は叫んだ。




