三の五 山狩り
「あたいも山狩りに参加する」
「だめだ」
伊佐那はいい顔をしなかった。沙智は食い下がった。
「なんでよ。あたい、山のことなら隅々まで知り尽くしているんだ。龍が隠れていそうな場所だってわかる。みんなを案内してやれる」
「女子どもは家でおとなしくしていろ」
「ばかにするな。ものすごく稽古つけて、今じゃ、刀だって上手く扱えるんだ」
という沙智の言葉が終わるか終わらないかのうちに何かが沙智の頭上に振り落とされた。風牙を収めた鞘だ。沙智は素早く身をかわし、鞘を避けた。
「何すんだよ」
「ふん。確かに身のこなしは軽くはなっているがな」
ふざけているのではない。伊佐那はいたって真面目な顔つきである。
「お前、血の道が通って女になっただろ」
恥ずかしさのあまり沙智は顔を赤らめた。春海楼で働き始めた頃からだったか、沙智は月のものをみるようになった。怪我をしているわけでもないのに血が出る。怖くなって姉さんに相談したら、女になってしまったのだねえと悲し気に言われたのだった。
「血の臭いにひかれて龍が寄ってくる。お前は撒き餌のようなものなんだよ」
「龍を探しているんだろ? なら、撒き餌のあたいがいた方が都合がいいんじゃないの? むこうから出てくるっていうんだからさあ」
これには伊佐那も返す言葉がなかった。
沙智は先頭だって山狩りの一隊を導いた。山を知り尽くしている沙智は、一隊を白仙が身を隠している洞窟から離れた場所へと案内した。そうしておいて自分はそっと一隊を脱け出し、獣道を走り抜けて白仙たちのいる洞窟へと向かった。
何も知らない姜夏は洞窟の入り口で火を焚いていた。夕餉の仕度をしていたようだ。遠目に炎を認め、沙智は駆け寄っていって火を踏み消した。
「何するんだ、沙智」
沙智の乱暴な振る舞いに姜夏は困惑していた。
「火が人目につくとまずいんだ」
「人目につくって? どういうことだ?」
「山狩りで人が山に入ってきている」
「山狩り?」
「龍が山に隠れているようだから山狩りであぶり出そうという話になったんだ」
「白仙のことか?」
「前にあたいを襲った龍だろうって。白仙を探しているわけではないみたいだ。でも、山狩りで見つかったら、まずい。あたいがこことは反対の場所に連れていって時間を稼いでおいたから、今のうちに早く逃げて」
早口でまくしたてる沙智に急かされ、姜夏は洞窟の奥へと入り、白仙を連れて出てきた。狭い洞窟から這い出てきた白仙は広い空間を満喫するかのように長い首を夕空にむかってさらに長く伸ばし、翼を思い切り広げた。痕は残ってしまったものの傷口はすっかりふさがっている。飛行には問題なさそうだ。
「沙智には何度も助けられているな。礼を言う」
「あたいも白仙には助けられたよ」
沙智は手を伸ばし、白仙の眉間の毛を撫でた。その時だった。木々の間に松明の明かりが揺れて見えた。山狩りの一隊だ。置きざりにしてきたはずの一隊がすでに山のあちこちに散らばっている。別れを惜しんでいる余裕はない。
「さあ、もう行って」
沙智は姜夏の背を押した。
「さよなら、白仙。元気で」
顔を寄せてきた白仙の毛を撫でてやり、沙智は別れを告げた。
翼を二度、三度、羽ばたかせ、白仙は空へと飛びあがっていった。茜色に染まりつつある夕空を姜夏を背に乗せた白仙がぐんぐんと駆けのぼっていく。白仙の白い体は瞬く間に白い点となり、やがて空の高みに消えていってしまった。
白仙たちが逃げ去ったのを確認し、沙智は森を振り返った。近づいてくるはずの木々の間の松明の明かりはしかし、遠ざかっていった。白仙の存在に気づいて洞窟に向かってきていたのではなかったのか。一隊はどこへむかっているのだろう。不思議に思い、沙智は遠ざかっていく松明の明かりを追って森へと入っていった。
森の奥へと足を踏み入れていく沙智と入れ替わるようにして、森からは鳥や獣の群れが駆けだしてきた。まるで何かに追われているかのように彼らは沙智の脇を全速力で駆け抜けていった。
押し寄せる獣の群れをかき分け、沙智は駆け出した。風が叫び声や悲鳴を運んできた。同時に沙智の周りに火の粉が舞い始めた。むっとする熱気に先を急ぐ足が止められた。
森が燃えていた。人々が森の木々に火をつけてまわっている。松明の明かりなどなくとも、燃え上がる森そのものが松明となって、そこにいる龍の姿をはっきりと映し出していた。
一匹や二匹ではない。無数の龍が燃え盛る木々の間を歩き回り、次々と人間たちをその鋭い牙にかけていた。
人間の方もやられっぱなしではない。あるものは鉄砲を使い、あるものは刀を振り回して龍に応戦していた。しかし、龍の数は減らない。減らないどころか増える一方だった。炎で赤く照らされた夜空の奥から龍が次々と舞いおりてくるのだ。
地面には龍の死体が累々と横たわる。地上に降りたならば鉄砲か刀の餌食になるとわかっていながら、龍たちは降下をやめない。燃え上がる火も恐れず、狂ったように人を殺しまわっている。
狂っているのは人も同じだった。襲いくる龍目がけてむやみやたらに鉄砲を撃ち続ける。すでに息絶えている龍の体に何度も刀を振り下ろし続ける。
地獄絵図だった。だが、沙智は目を離せないでいた。三匹の龍が沙智の目をとらえていた。一匹は地面に横たわり、もう二匹は地面の龍を守るように側を離れない。そして、襲い掛かって来る人間を翼で払いのけている。その翼には鉄砲で空いた無数の穴があるのだった。
地面に横たわる龍に沙智は見覚えがあった。鈎づめの欠けた龍――沙智を襲った子龍だ。小さかった龍の体は切り刻まれ、肉の塊のようだ。生きてはいないのかもしれない。それでも二匹の龍は襲い来る鉄砲や刀から子龍を守っている。その姿が父さんと母さんに重なった。命を賭して父さんと母さんは沙智を守った。龍も同じだ。おそらくは父と母であろう二匹の龍は子の龍を守ろうとしているだけだ。
これでは、襲っているのは人間の方ではないか。
「沙智、お前もやれ!」
ふいに肩をつかまれ、沙智の手に抜き身の刀が握らされた。
「おかみとになろうってんだろ? 習うより慣れろだ。死にたくなかったら龍を斬って、斬って、斬りまくれ」
流れ落ちてくる龍の血をぬぐい、伊佐那は地獄へと跳ね戻っていった。
斬りまくれという言葉の通り、伊佐那は龍を斬り続けていた。龍の死体は地上に積み重なっていく。地上では鉄砲や伊佐那の刀が待ち受けているというのに、龍たちは空からひっきりなしに降りてくる。
沙智は気づいた。龍は人間を襲っているのではない。親子の龍の近くに舞い降りては彼らを守って襲い掛かる人間をなぎはらっている。
伊佐那に渡された刀を投げ捨て、沙智は親子の龍に銃口をむける人々に飛びかかっていった。沙智の邪魔をうけ、鉄砲は空を撃った。狙いの定まらない弾を避け、龍は地上に降り立った。沙智にふいをつかれた格好の人間の方は地面に転がった。すかさず龍の爪が男を襲い、沙智の目の前で男の首が刎ね飛ばされていった。
「たわけが!」
沙智は伊佐那に突き飛ばされた。
「龍を斬れと言ったんだ! 龍を斬るどころか龍退治の邪魔をしやがって! 何考えていやがる?!」
「伊佐那、違うんだ」
「何が違うんだ」
「龍は人を襲っているのじゃない。あの親子の龍を守っているだけだ。今すぐ手を引いて! あたいたちは山を降りよう! そうすれば――」
「龍は人間を襲わないってか? どこからそんな考えが出てくる? あの白い龍に助けてもらったと今も思っているのか?」
「伊佐那! あたいたちは龍について何も知らなさすぎる!」
「俺は知りたくないね! おい、沙智!」
伊佐那の手を振り切り、沙智は二匹の龍の前へと飛び出していった。人と龍の死体とが築き上げた山に這いあがり、その頂きに立ち上がった。とたんに無数の弾が沙智めがけてふってきた。とっさに頭をかかえて身をかがめる。弾は沙智の背後にいる龍の体に命中した。龍は断末魔の悲鳴をあげ、地面に倒れ込んだ。死骸の山がまた高くなる。
舞い上がる土煙と火の粉を払いながら、沙智は再び立ち上がった。弾が太腿をかすめていった。するどい痛みに立っていられず、膝をつく。太腿に手をやると肉が裂け、血が流れ出ていた。
気をとり直し、三度立ち上がった。三度、弾をその身に受ける。痛みを感じるのは初めのうちだけだ。未知に対する恐怖が痛みを強くする。経験は感覚を麻痺させていった。
沙智は両手を大きく広げた。沙智の背後にはぼろぼろになった翼を大きく広げて我が子を守る龍がいる。
「気でも触れたか? 死にたいのか?!」
龍の死体をよじのぼってきた伊佐那によって沙智は地上へと引きずり落とされた。
「気が触れているのはどっちだよ?! 人間のあたいにむかって平気で鉄砲を撃つ方だろ? 自分が撃った弾で龍じゃなくて人間のあたいが死んだら正気に戻るのか? それで正気に戻るっていうなら、あたいは何度でも龍の前に立つ」
伊佐那を置き去りにし、沙智は龍の死骸の山を登り始めた。くず物の山を昇り降りして鍛えた足腰で跳ぶようにして頂上に戻る。頂上にたどりついた沙智を待っていたのは龍の大きく開かれた口だった。
はっとして身を引いた次の瞬間、龍がのけぞり、ゆっくりと後ろへと倒れていった。倒れていく龍の眉間には穴が空いていた。振り返ると、鉄砲を構えた伊佐那が立っていた。
「礼ならいらねえぞ」
というなり、伊佐那は二発目の弾を放った。弾は一発目同様、迫りくる龍の眉間を撃ち抜いた。
「お前は守っているつもりだろうが、龍の方はそうは思っていないぜ。俺が撃たなかったら、お前は死んでいた。お前が守ろうとした龍に襲われてな! 何度も言ったろ? 襲われる前にやれと。どちらかが生きるか死ぬか、龍と人間の関係はそういうものだ」
その時だった。空から巨大な岩の塊のようなものが降ってきた。他の龍より一回りも体の大きな龍だ。その龍には左目がなかった。
左目のつぶれた龍を目にするなり、伊佐那はにやりと笑った。




