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はなむけに婚約破棄したら五年後に爆弾が降ってきた件

作者: 山納言


「私ね、冒険者になるのが夢なんだ」


 昔、そう言った僕の婚約者の名前はリリー・グランディア侯爵令嬢。

 お互いに十一歳のころの話だ。

 戯れに出かけた先、見晴らしのいい小高い丘で、彼女は目を輝かせて地平線の先を眺めながら夢を語ってくれた。

 その横顔は希望に満ち溢れていてまるで太陽のように眩しかったことを覚えている。


「冒険者になりたいの?」

「うん。だってこの先にはずうっと向こうまで、私たちの見たことのない世界がどこまでも続いているんだよ? そんなのこの目で確かめてみずにいられないじゃない。だから私は冒険者になって色んな場所を旅してみたいの」


 リリーは綺麗というよりかは可愛らしい、やや童顔な丸顔の少女だった。

 ほんの少し眉尻の下がった、少し短めな眉毛。

 くりっとした形で二重の幅がぱっちりと大きな目もまた目尻が少し下がっており、瞳の色は明るい薄水色。

 瞳と同色の髪は令嬢らしからぬ短髪で、肩にかかる程度の長さでこざっぱりと切りそろえられている髪形。

 いつもにこにこ笑っている、そんな顔立ちは元気な性格がもろに表れたかのような、見るものすべてに活発な印象を与えるものだった。


 リリーと僕――ポポロ・キャスター公爵令息の婚約が結ばれたのは十歳のときのこと。

 貴族制を敷くここパルティア王国において、両家が貴族らしく国内の権力争いに躍起になっている中、利害関係の一致から協力するべく結ばれたものだ。

 早い話が政略結婚である。

 まぁありがちな話というか、貴族の子女にしてみれば至極当然なものであり、そこにはやはり当時の僕たちの恋愛感情云々といったものは一切反映されていなかった。


 そして「冒険者になりたい」だなんて宣言するリリーはもちろん変わり者でしかなかった。

 冒険ごっこをして野山を走り回るのが大好きで、化粧や洋服といったおよそ女性が興味を示しそうなものには見向きもしない。

 そんな令嬢は彼女以外ほかに一人として存在しない。

 やがて同い年の令嬢たちが将来のため淑女の道を歩み始めていこうとも、彼女はそれをよそに冒険者になる夢を諦めずに追い続けようとしていたのだから、やはり変わり者と言うよりほかないだろう。

 ダンスより木剣の素振りをすることを優先し、マナーより魔法を覚えることを優先し、淑女になるより冒険者になるための努力を尽くしていた彼女は紛うことなき変わり者だ。


 それでも僕はリリーに恋をした。

 そのひたすらにまっすぐな姿に惹かれ、いつしか好きになっていた。


「見てポポロ。また血豆が潰れちゃった」

「うわぁ痛そう……大丈夫?」

「大丈夫、全然平気だよ」


 木剣の素振りでできた剣ダコを自慢するリリーを好きだった。


「火の精霊よ、我に力を貸し――えぇと、真なる炎の火種を与えてください!」

「え、それ合ってる? 間違ってない?」

「大丈夫、きっと大丈夫なはず……出たっ! ほらポポロ、見て見て! 指先から火が出たよ!」


 難しい顔で必死に呪文を唱えて宙に生みだした、ほんの小さな火を見るや、飛び跳ねて喜びを露わにした彼女を好きだった。


「先も見えない真っ暗な迷宮の中、私は松明を片手に慎重に進んでいくの。すると突然、ぱっと視界が開けて――」

「開けて?」

「そこには目も眩むような金銀財宝のお宝の山が! その迷宮は滅びた魔族の国の宝物庫だったの!」


 二人並んで座った丘の上、途方もない夢物語を熱心に語ってくれた横顔を、ひたむきに夢を追い続ける彼女を、僕は誰よりも愛おしいと思ったんだ。

 ずっとそばにいて、夢を追う彼女を隣で見守り続け、いつか夢を叶えた彼女を祝ってあげたい。

 そんなことを心から思い、夢として願うほど僕はリリーのことを好きだった。


 だが間もなく、僕たちの夢は現実によって押しつぶされてしまった。

 十五歳を迎え、王立学園に入学してからリリーは変わった。

 いや、変わらざるをえなかった。

 現実を直視させられ、卒業後の身の振り方を考えさせられれば、冒険者になるなんて馬鹿げた夢は諦めるしかなかったのだ。


 僕もリリーも所詮は貴族の子女の身に過ぎず、もとより自分勝手な夢を追うことなど許されていない。

 学園に入学し、現実的な将来のために日々を費やす同級生たちに囲まれてしまえば、やはり己を省みずにはいられなくて、非現実的な夢を口にすることなどできやしなかった。

 冒険者になるための修行といったふざけた真似事を許されていたのは、幼少期の間は自由に過ごさせてあげようという両親の恩情あっての話であることを嫌でも理解させられ、また変わることを受けいれるしかなかった。

 

 そうしてリリーは日に日に変わっていた。


「お友達に借りた小説を読んでみたんだけどすごく面白かったよ」


 木剣を握ることはなくなった。

 素振りの代わりに読書に勤しみ、夢物語ではなく恋愛小説の感想を聞かせてくれた。


「あまりうまくできなかったけど……もらってくれると嬉しいな」


 魔法を披露することはなくなった。

 新しい魔法の代わりに裁縫の成果を見せてくれ、刺繍の入ったハンカチをくれた。


「今度のパーティーが楽しみですわ。ねぇポポロ様?」


 歯を見せて笑うことはなくなった。

 満面の笑みではなく、ほかの令嬢たちがするようないかにも貴族の令嬢らしい淑やかな笑みを僕に向けるようになった。

 僕のことを「ポポロ」と呼び捨てにせず、「ポポロ様」と呼ぶようになった。


 貴族の令嬢という枠に当てはめて見れば、リリーの変化は喜ばしいものでしかないだろう。

 なにせもとは冒険者ごっこに興じていた少女だ。

 それが一端の令嬢と呼べるまでに成長を遂げたというのだから、もはや目覚ましい変化と言うよりほかなく、彼女の努力は称賛に値するべきものに違いない。


 でも僕にはリリーが緩やかに死んでいくように見えてならなかった。


 一歩、あるべき令嬢の姿に近づくたびリリーの夢は崩れていく。

 抱いていた希望と引き換えにして向かう先は望んでもいない世界。

 あるべき令嬢になろうと努力すればするほど、求めていた理想の己からは遠ざかっていく。

 行く末に待ち受けているのはかつて彼女が夢見て憧れた広く明るい世界ではなく、狭く暗い社交界。

 やがて学園を卒業して本当の意味で淑女になったとき、彼女の夢は完全に潰えてしまい、僕の好きだった彼女はきっと跡形もなく消えてしまう。

 僕はそんな風に思い悩み、淑女として成長していく彼女を複雑な気持ちで見守っていた。




 ところがある日、予期せぬ事件が起こった。

 リリーも楽しみにしていたパーティーの最中、第一王子が己の婚約者であるマーガレット・バスノット侯爵令嬢に婚約破棄を言い渡したのだ。


 ただおかげで僕は思い至ることができた。

 リリーとの婚約を破棄すれば彼女を自由にしてやれるのではないか、ということに。

 彼女を縛るものの一つに僕との婚約があり、その根本にはグランディア侯爵令嬢という貴族の身分がある。

 でも逆に考えれば、その二つを取っ払ってさえしまえば彼女を自由にしてあげられるのだと、思いがけず気づくことができたのだ。


 繰り広げられている婚約破棄劇場をさておき、僕は思いついたことを即実行に移すべく、会場の片隅で騒動をぼうっと眺めている第二王子に声をかけた。

 彼は「協力してもいいけど……普通このタイミングで相談してくる?」と面食らっていた。

 当時、我がキャスター公爵家は第二王子派なんて派閥に属していたけど、そのときの僕にはリリーを自由にしてあげることしか頭になかったのだから、僕の能無し具合をうかがえると思う。

 政争なんてものには目もくれず、ただ好きな子のために必死になっていたのだから、次期公爵家当主の行動としてありえないにもほどがある。


 それでも計画を推し進め、学園生活も二学年半ばに差しかかったある日、十数人の護衛を連れて馬車で出かけた先。

 景色のいい山間へと出かけた道中、ちょっとした山道で僕はリリーの死を偽装した。


 その偽装方法を簡単に一言で説明すれば、馬車の滑落による事故死である。


 まず、リリーを連れて馬車から降り、客車部分のみを崖の下に突き落とす。

 次いで、スライムを寄せ集める効果のある匂い袋をいくつも投げ落とし、彼女の死体を含めたすべてがスライムによって残らず食い尽くされてしまったという事故現場を残す。

 最後に、護衛の半数が第二王子の手引きによって集められた他国の冒険者であり、彼らが母国へ――冒険者が権勢を振るう都市国家ローダスへと彼女を連れて旅立っていく。

 僕やほかの護衛はなぜか無傷で生き残っているという、そんなかなり無理やりな計画でもって彼女の死は偽装された。


 ただそこで大事なのはリリーの意思。

 要するに彼女が自らの意思でもって国を出るという点が重要なのだ。

 方法云々や不自然な結果はさして問題にはならない。

 誰が手引きしようと最終的に決定をくだすのは彼女であり、仮に事実が露呈したとしてもその責任は最終的にはグランディア侯爵家に及ぶ。

 まぁ侯爵家にしてみればたまった話ではないのだが、そこは親の情やら何やらで無理やり納得してもらうという寸法だった。


 ともあれ僕はその場でリリーに婚約破棄を言い渡した。


「冒険者になるなんて野蛮な夢を見るような令嬢は僕の婚約者に相応しくない。よってリリー・グランディア侯爵令嬢、僕は君との婚約を破棄し、君を国外追放の刑に処す」

「ポポロ……」

「心配しないで、リリー。あとのことは全部僕に任せてくれればいい。君はただ、冒険者になるという夢を、僕たち二人の夢を追いかけて。ね?」

「……うん、わかった。ありがとう、ポポロ。私、夢を叶えに行くね」


 馬に乗り、遠ざかっていくリリーの背中を僕は見送った。

 何度も振り返り、元気いっぱいに手を振ってくる彼女に僕は負けじと元気よく手を振り返した。

 はなむけの婚約破棄、なんてくだらない言葉を思いつきながら――




「坊ちゃま、そろそろトイレからお出になられては?」

「話しかけてくるんじゃないよセバス! おかげで気が散っちゃったでしょうが!」


 狭いトイレの中、老執事の呼びかけで不意に現実へと引き戻されてしまう。

 扉で隔たれた向こう側から、「はぁ……」と聞こえよがしな深いため息が聞こえてくるが、僕はトイレから出るつもりは毛頭ない。

 蓋をした洋式便座に腰掛け、ない頭を必死に巡らせる。


 あの青臭い婚約破棄から五年後。

 学園を卒業して二十二歳となったいま、僕はキャスター公爵として王都で暮らしていた。

 父が起こしたいくつかの会社の経営を引き継ぎ、不出来なりに精一杯に頑張りつつ、二十歳のときにめとった妻と日々を過ごしている。


 また早すぎる家督の相続は父が「私のやる気は青臭い風に吹き消されてしまった」と、僕とリリーの婚約破棄をきっかけに早々に領地に引っ込んでしまったがゆえだ。

 置き土産に新たな婚約者を僕に見繕ったあと、父は母を連れて王都から離れ、いまは領地の経営を取り仕切ってくれている。


 では、なぜ僕はいまトイレにこもっているのか。

 もちろん便意が理由ではない。

 いや、トイレにこもる理由が便意でないというのもおかしな話ではあるけれども、とにかく便意が理由でトイレにこもっているわけではない。

 これは単純に、僕は考え事をするときトイレにこもる癖があるというだけの話だ。


 少し話が逸れてしまったがとにかく。

 現状を簡単に説明すれば、元婚約者の結婚式への出席を妻の前で求められて返事に困ったのでトイレに逃げ込んだ、となる。


 遡ること少し前。

 庭先で妻のマーガレットとお茶をしている最中、空から一人の竜騎士が降ってきたのが事の始まりだ。


 ワイバーンに乗って舞い降りてきた竜騎士は僕の元婚約者――リリーに仕える侍従だと名乗り、名前をソフィアと言った。

 細い目つきが特徴的な、落ち着いた雰囲気の若い女性だ。

 そして彼女は先触れのない訪問の非礼を詫びつつも、次に「リリーお姉様の結婚式にサプライズゲストとして出席してくれませんか?」と言ってきたのである。

 なお挙式は半年後で、相手は隣国のドメイン帝国の皇太子であるとも付け加えられた。


 心臓がとまるかと思った。

 次に僕は内心で激しく動揺した。

 それから「ちょっとお腹が痛いのでトイレに行ってきます」と言って席をあとにした。


 以上、僕がトイレに引きこもるまでの一連の流れである。

 そして現在、どう返事をするべきかいまだ答えは出ていない。

 現状は「詰み」の一言に尽きると思われる。


「それより坊ちゃま。お返事を悩まれているようですが、リリー様の結婚式にご出席なされないのですか?」

「なに馬鹿なことを言ってるのセバス。出席、その選択は最悪だって。縁を切ったはずの元婚約者の結婚式だよ? それをお前、妻の手前で『はい、喜んで出席します』なんて言えるわけないでしょうが……!」


 一つ、「出席します」と答えたらどうなるか。

 「元婚約者の結婚式に出席するだなんて……」と妻に愛想を尽かされてしまうこと間違いなしである。

 リリーが生きていることを聞かされてもまったく動じなかった様子から、妻もリリーの生存を悟っていたのだろうが、だからといって僕が会うことを不快に思わないはずはない。

 僕がリリーの結婚式に出席している光景など、妻にしてみれば嫌悪ものでしかないに決まっている。

 だから出席するだなんてのは愚の骨頂のような選択だろう。


「ではご欠席する旨をお伝えするのですね?」

「ありえないよセバス。欠席、その選択はない。そんなの外交的に考えてありえない。相手はドメイン帝国の皇太子で、僕はこれでもパルティア王国の公爵なんだぞ……!」


 一つ、「出席しません」と答えたらどうなるか。

 妻に「ドメイン帝国の皇太子の結婚式に出席しないだなんて……」と見限られてしまうこと間違いなしである。

 なにせ同国と我がパルティア王国は敵対関係にあり、一応は休戦協定が結ばれているものの、それもまだ締結から十年と経っていない。

 欠席という選択が火種となり、また再び戦火を交えることになるという最悪の展開も考えられる。

 よって外交面を考慮すれば出席しないという選択はありえない。


「ではとりあえず保留にして、後日正式にお返事をするというのはいかがでしょうか?」

「甘いなセバス。保留、それがもう駄目。大体にして即断ってしかるべき話なんだから、ぐだぐだ悩むような情けない姿を妻に晒すわけにはいかない……!」


 一つ、「後日、正式なお返事をしますね」と答えたらどうなるか。

 妻に「なにを悩む必要があるのかしら? まさか……」とリリーへの未練を疑われてしまうこと間違いなしである。 

 だからここでは恋愛感情があることを疑問視させるような言動はけっして許されない。

 すなわちここは、リリーとの縁は完全に切れていること、未練はほんの少しもないことを証明しなければならない場面なのだ。

 

「すでに晒していると思いますが……それではどうなさるのですか?」

「わからないやつだな。それがわからないからこうしてトイレに引きこもってるの!」

「左様ですか。ではもういっそのこと奥様ご本人にお伺いを立てればよろしいのでは?」

「マーガレットに、か……」


 僕がこの件を特に問題視せずにはいられない理由。

 それは妻があのマーガレットであるからだ。


 あの婚約破棄からしばらくして。

 事故で婚約者を失ったという体で形ばかりの悲観に暮れていた僕に父が見繕ってくれたのは、第一王子から婚約を破棄されたマーガレット・バスノット侯爵令嬢だった。

 我が公爵家はもとより第二王子派であり、バスノット侯爵家はマーガレットの婚約破棄をきっかけに第二王子派に鞍替えしたことから成り立った政略結婚だ。


 そしてマーガレットという女性は、まさしく淑女の鑑のような美しい令嬢であった。

 ほんの少し眉尻の上がっている、きれいに整えられた眉毛。

 二重の切れ長の目はこちらも目尻が少し上がっており、瞳の色は深い紅色。

 瞳と同色の髪は令嬢らしい長髪で、胸より下程度の長さまでまっすぐに伸びている髪形。

 いつも薄っすらと微笑んでいる、そんな顔立ちは傍目には慎ましくもどこか内面の冷たさをうかがわせてならない、綺麗でありながらも非情な印象を与えるものだった。


 またマーガレットは非常に優秀でもある。

 彼女の学園での成績は常に一番だったし、うら若い女性の身にして侯爵家では当主である父をあらゆる面で支えていたとも聞き及んでいるくらいだ。

 第一王子に婚約を破棄されたのも「ほかに好きな女ができたから」というおよそ理不尽な心変わりが理由であり、彼女自身に瑕疵があったからではない。


 さらに僕はマーガレットとの距離を少しも縮められていない。

 結婚してから二年が経ち、夫婦としても肌を触れ合わせてきた一方、彼女からの愛を得ている実感はほんの少しもないのだ。

 もはや仮面夫婦とでも言うべきだろうか。

 僕が「愛してる」と言えば、彼女も「私もですわ」と答えてくれるものの、気持ちはまったくこめられていないように感じられてならない。

 一見すれば幸せそうな夫婦生活は、些細なことをきっかけにあっさり崩れてしまいそうな、そんな薄氷のうえに成り立っているように思えてならなかった。


 つまるところ早い話、僕はこれを離婚の危機だと考えている。

 この爆弾を上手く処理できず、もし返事を誤って爆発させてしまえば、まず間違いなく僕は家庭的に死ぬ。

 すなわちマーガレットから離婚を切り出されてしまうと、本気でそう悩んでいるのだ。


「なぁセバス、こんな話を聞いたことがあるか?」

「多分ございません」

「ある青年が恋人に贈り物をしようと考え、なにを贈るべきか、恋人の親友である女性に相談した。そして彼女のアドバイスどおり恋人への贈り物を見繕い、いざ贈ってみたところ、恋人からどんな反応を返されたと思う?」

「存じあげません」

「それはな、『どうしてあなたが自分で選んでくれなかったの?』だ。なぁおい信じられるか? 誰かに相談するというその行為自体がすでに間違っていたんだよぉ……!」

「はぁ」


 だから今回の件について、僕も自分自身の言葉で返事をしなければならない。

 セバスのアドバイスを鵜呑みにし、のこのことマーガレットに相談するなんて真似はありえない。

 もしアドバイスそのままに行動したという事実が発覚してしまえば、自分ではなにも決められないボンクラだと判断されて終わりだ。

 大体そもそもにして彼女に相談すること自体、「はぁ、そんなこともご自分でお考えになられないのですか?」と呆れられること間違いなしなのでありえない。

 さらに言えば彼女を理由にして出席・欠席を決めることも許されてはいない。

 決めるのはあくまでも僕自身であり、ほかの何ものにも左右されてはならないのだ。


 では一度、ここで現状を整理しなおしてみよう。

 出席は不可。

 欠席も不可。

 保留も不可。

 相談も不可。


 もうね、全部不可。

 爆発不可避の離婚待ったなし。

 完全に詰んでて笑える。

 もはやできることはトイレに引きこもって延命処置に励むことのみ。

 僕はこの爆弾を処理できず、もうすぐ爆発させてしまうんだ……。


「もう終わりですな、坊ちゃまもキャスター家も」

「――は?」

「このセバス、旦那様と知略を巡らせたあの日々が懐かしくてなりません。こんなとき旦那様がいらしたならと、そう嘆かずにもいられません。一体全体、なぜ坊ちゃまは毎度毎度トイレになど引きこもりになられるのか、もはやすべてが不憫に思えてならないのです」

「ちょっとやめてよ。なんでそういうこと言うの? そういうことは言わない約束でしょうが……」

「ですが坊ちゃま、やはりそろそろトイレからお出になってください。キャロルが得意のトランプショーでなんとか場を持たせておりますが、それももう限界が近いです」

「なに、キャロルがか? あいつめ、気が利くな」


 キャロルとは僕が雇った新米メイドのことだ。

 二本の前歯が特徴的なネズミみたいな顔立ちをした子で、町中で「雇ってほしいでやんす」と泣きながら僕の足にすがりついてきたので仕方なく雇ったという経緯がある。

 また仕事をサボってトランプのマジックの練習に精を出すどうしようもない駄メイドでもある。


「いえ、実際のところ場を持たせようなどという殊勝な考えはないと思われます。『あっしのマジックを見破れるかな?』と言って楽しそうに躍り出てきたことから察するに、ただ純粋にあの冒険者の方を相手にトランプマジックの勝負を仕掛けたかっただけかと」

「くそっ、褒めて損した。あの駄メイドが……!」


 ……いや、待てよ。

 そうだ、「ただ純粋に」、それでいいのではないだろうか。

 いっそのこと開き直って素直な気持ちを口にすれば、上手いこと話が転がってくれるかもしれない。

 また八方塞の現状、もはやそれしか道はないだろう。

 それに命運を賭けるしかない。

 よし、そうと決まれば――


「出るぞセバス」

「は? ああ、トイレからお出になるという意味でしたか……」

「当たり前でしょ。なにおかしなこと言ってるの? 変なやつだな」


 トイレから出ると、なぜかセバスがほっとした風に胸を撫で下ろしていた。

 彼を引きつれ、廊下を歩いていき庭へと出る。

 すると、マジックショーはちょうど終わったみたいで、マーガレットたちが座っているテーブルの前からキャロルが一礼して離れてくるところだった。

 恐らく勝負には負けたのだろう、涙目になっているキャロルとすれ違い、自分の席に座る。


「遅くなって申し訳ない」

「いえ。それでポポロ様、リリーお姉様の結婚式にはご出席いただけるのでしょうか?」

「それなのですが」


 ソフィアから目線を外し、隣に座るマーガレットの顔をちらりと見る。

 彼女は至って平静な風であり、いつもと同じ薄っすらと微笑んでいる表情をしていた。


「出席することはできません」

「――えっ? ……そのポポロ様、これは私個人の独断ではなく関係者各位も賛同している話なのです。それでもご出席していただくわけにはいきませんでしょうか?」

「申し訳ない」

「そんな……あの、これはお姉様が酔った際にふとこぼした言葉なのですが、『私が冒険者になることができたのはポポロのおかげ。彼は私の恩人なの』と、お姉様はポポロ様に本当に心から感謝しておりました。ですから、そんな恩人であるポポロ様にこそ、ぜひともお姉様の結婚を祝っていただきたく――」

「申し訳ない!」


 僕はソフィアの話を遮って頭を下げた。


「たしかに僕は昔、リリー様が冒険者になる手助けをしました。そして彼女が無事に夢であった冒険者になることができ、また良き伴侶に巡り合えたことを心から祝福したいと思っています」

「でしたら――」

「ですが僕にとって彼女は過去の人に過ぎないのです」

「はい?」

「そしていま、僕には愛する妻がいます。心から愛する、この愛を疑ってほしくないと切に願ってならない大事な妻がいるのです」


 この言葉に嘘はない。


 僕にとってマーガレットは過ぎた女性だ。

 綺麗で聡明で、家格こそ僕のほうが上ではあったけれども、それこそ高嶺の花のような手の届かない存在だった。

 第一王子に婚約を破棄された経歴なんて意味をなさないほど、僕と彼女では釣り合いが取れていないと本気で思っているくらいだ。


 上辺だけの婚約者、上辺だけの夫婦生活、上辺だけの情事。

 僕がマーガレットと過ごしてきた時間に、彼女の気持ちはなかったと思う。

 彼女にしてみれば僕は政略結婚の相手に過ぎず、それでいてなお容姿や能力で遥かに劣る凡愚であったのだから、僕に対する恋愛感情など芽生えるはずもないだろう。


 それでも僕はマーガレットに恋をした。

 現金なものだと自嘲せずにはいられないが、彼女と一緒に過ごす中ですぐに好きになってしまったのだ。


 でも、それは仕方のないことというか、当然のことだとも思えてならない。

 だって普通に考えてそうだろう?

 目を見張るような美人が自分の婚約者になるだなんて聞かされたら、きっと誰だって胸を高鳴らせずにはいられない。

 上辺の笑みを向けられただけで、相手を異性として意識せずにはいられないに決まっている。

 遠目に見たときの美しい立ち姿も、隣を歩いているときに香ってくる良い匂いも、恐る恐る肌に触れてみたときのあの温もりも。

 それらすべてに夢中になってしまうのは、言い訳かもしれないけれど、僕にはごく自然の成り行きだと思えてならないんだ。


 そして、自分を好きになってもらいたいと欲張ってしまうのも、ごく自然なことだと思うんだ。


「ですからリリー様の結婚式に出席することはできません。それよりも僕はその時間を妻と過ごす時間に充てたいのです。僕の頑張る姿を妻に見てもらいたい。こんな僕だけどいまより少しでも好きになってもらえるよう努力して――」

「あ、すみません。もう大丈夫です。ポポロ様のお考えは十分にわかりましたので」

「そうですか? お力になれず本当に申し訳ないかぎりです」

「いえ、こちらこそ突然押しかけて無理を申し上げてしまい申し訳ありませんでした。では失礼いたしますね……なにあいつ、いきなり愛を語り出してキモッ!」


 そう言って頭を下げるや否や、ソフィアは席を立ってワイバーンに飛び乗り、あっという間に遠くへと飛び去ってしまった。

 飛び立つ直前、彼女は何事か呟いていたようだが、ワイバーンが両翼を羽ばたかせる音のせいで聞こえなかった。


「ぷっ。くくっ」

「マーガレット?」


 ふいに聞こえた吹き出し笑いに横を向けば、マーガレットが扇で顔を覆い隠した状態で肩を震わせていた。


「ごめんなさい、なんでもありませんわ」


 ただそれもほんの少しのことで、マーガレットはすぐに平静を取り戻したようだ。

 扇を下げたとき、露わになったのはいつもの見慣れた彼女の顔だった。


「ねぇマーガレット。もしかしてだけど笑ってたのって僕のこと?」

「いいえ違います。あぁキャロル、旦那様にも先ほどのマジックを見せて差し上げて」

「えぇ〜?」


 マーガレットが呼びかけると、少し離れた場所で待機していたキャロルがいかにも億劫そうに歩み寄ってくる。


「でも奥様、私の高尚なマジックを理解できる頭は坊ちゃまにはないと思い――」

「いいから見せて差し上げなさい」

「はひっ! でで、ではこれより不肖キャロルによるマママ、マジックショーをお披露目いたしますぅ!」


 キャロルは泡を食ったように取り乱し、トランプを慌てて手の中で切り始める。

 でも焦ってしまったせいか、途中で数枚のトランプを地面にぱらぱらと落としてしまい、「あわわ……!」と声を発しながら急いで拾う。

 その様子を見てマーガレットは「ふふっ」と小さく笑い、僕の後ろに控えていたセバスは「これでキャスター家も安泰ですな」と満足気に頷いていた。


 でもよかった。

 隣で笑っているマーガレットを横目に見ながら安堵する。

 悩んだ甲斐あってか、僕の出した答えはどうやら間違っていなかったようだ。


「それより旦那様、先の結婚式の件ですけれども」

「うん?」

「ソフィア様にはお詫びの手紙をしたためるとして、リリー様の結婚式には一緒に出席しましょうね?」

「えっ!? なんで!?」

「なんでもなにもありませんわ。ドメイン帝国の皇太子の結婚式にお呼ばれしたのに出席しないだなんて、そんなの常識で考えてありえないでしょう?」

「あ、やっぱり? まぁそりゃそうだよねぇ」

「は?」

「いやごめんなさい。本当すみませんでした……」


 はい爆発。

 終わったわ。


 はなむけに婚約破棄したら五年後に爆弾が降ってきた件。

 その処理を誤った僕はもう間もなく家庭的に死ぬと思う。


読了感謝です!

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[一言] 主人公が無駄に心配性というか自信が無いだけでそもそも爆弾なんて無かったんじゃないかな
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