お嬢様メイドになる
私の手を握り、今にも泣きだしそうなダヴィトに、けっこう楽しんでたわよ、とは口が裂けても言えない。こう見えてアラサーなんだけど、お母さん執事には私がよちよちの幼女に見えてるみたい。
「旦那様は薄情だ。ザーラ姫の言いなりになって、恩人であるあなたを屋敷から追い出すなんて」
「でも、子どもたちのことは引き受けてくれたわ。ゾンバルト男爵は気が弱いだけで、悪い方じゃないのよ」
「お嬢様は人が良すぎます。俺は許せません」
「お互い様よ。私だって男爵を利用してたんだから」
それに、屋敷もずいぶんめちゃくちゃにしちゃったし。ザーラ姫、自慢のバラ園をぶち壊されてめちゃくちゃ怒ってたっけ。ざまみそ。
「そういえば、ダヴィトは聞かないのね。気にならないの?私がどこからきた、どういう人間か」
私がたずねると、ダヴィトはふいと視線をそらした。「べつに……」
「誰だってかまいません。前にも言った通り、お嬢様は俺が見つけた、俺のお嬢様です。それだけです。……お嬢様こそ気にならないんですか?俺がどこの誰か」
「んー……うん。私もべつに、誰だっていいわ」
この5年あまり、お互いのことを何ひとつ知らないままそばにいた私たちにとっては、なにもかも今更だ。
「ねぇ、ところでその服どうしたの?すんごいキラキラしてるんだけど」
しかも、なんか妙に着慣れてる感じだ。イケメンってなんでも似合って得ねー。
「知り合いの屋敷で借りてきたんですよ。理由を話したらおもしろがって、上から下までコーディネートしてくれました」
「ふぅん?前から思ってたけどあなた、顔が広いわね。さすが我が社の営業部長ね」
なーんて、軽口をたたく私は知らなかった。
「おほめに預かり光栄です、社長」
彼が行方不明になった私をいとも簡単に見つけ出せた理由も
高価な衣装や大金をすぐに借りられた理由も
貴族の屋敷で警備の仕事に就けた理由も
子どもたちの里親をあっさり見つけてこられた理由も……
「この服、似合います?お貴族様に見えますか?」
「中野あたりのアニソンバーにいるコスプレの人みたい。それかルネッサーンスの人みたい」
「……とりあえず褒められてないことだけは分かりました……」
この国の公爵様の名前が、アルタウスだということも。
◆
私は結局ダヴィトが警備することになった貴族のお屋敷で、一緒に働かせてもらうことになった。
「無理して働かなくてもいいんですよ。家で食事でも作って俺の帰りを待っててくれれば」
なんて言うダヴィトに、それってお嫁さんじゃなーい?と心の中だけで突っ込む。
「いいの!毎日閉じこもってたら退屈で死んじゃうわよ。それにこーいうメイド服、一度着てみたかったのよねー。どう、似合う?」
くるりとまわって見せた私にダヴィトは苦笑して、はい、はい、とうなずいた。
「前から言っているでしょう?身だしなみさえ整えれば、あなたの美しさに敵うご令嬢はいません。どこにも、ひとりも」
ダヴィトは練乳たっぷり詰めたシュークリームをはちみつとグラニュー糖で煮詰めたみたいな、甘やかな笑顔で微笑んだ。先日のお尻ぺんぺんはすっかりなかったことになっているようだ。美しいご令嬢に、する?普通、する?
「いよっ、世界一」
「褒められてる気がしないなー」
いかにも七五三な私と違い、ダヴィトのコスチュームは悔しいくらいに似合ってる。詰襟の赤い制服に、黒の官帽、腰に吊った大剣も様になってるし、どこの王子様?って感じだ。
「?……お嬢様、また顔が赤いですよ。本当に大丈夫ですか?やっぱり帰って休んだ方が……」
ひたいに手を当て私の熱を測るダヴィトに、どきどきするからあんまり近寄んないで!とは言えない。
「だいじょうぶ。ちょっと熱いだけ」
「たしかに今日は暖かいですけど……やっぱり上着を借りてきましょう。談話室で待っててください」
「いいってば!……出勤初日から堂々とさぼり宣言しないでよ。今のあなたのご主人様はベルセリウス伯爵様でしょ」
噂をすれば、広い庭の向こうからベルセリウス伯爵……の、4人の娘たちがやってきた。
「ダヴィト様、こんなところにいらっしゃいましたの?」
「これはセルマ姫、ヴィヴィアン姫、オルガ姫、テレサ姫。皆様におかれましてはご機嫌麗しく」
ダヴィトはひざまずいて、彼女たちの指先に軽くキスした。わあ、美男美女って眼福。
「これからお友達とみんなでゲームをしますの、ダヴィト様もご一緒にいかが?」
「いえ私は……仕事がありますので」
「いいじゃない、少しだけ。漫遊中のお話も聞きたいわ。あなたがいなくなってからというもの、王宮は……」
「セルマ姫!」
ダヴィトが突然鋭く吠えて、長女のセルマ姫はぎくりとした。私もびっくりした。
「……ゲームでしたね、お付き合いします。行きましょうか」
ダヴィトはとまどうセルマ姫の背を押して歩き出した。3人の妹たちが、きゃいきゃい言いながら付いていく。
「ダヴィト様はカードとチェス、どちらがお好き?」
「どちらでも。……私は強いですよ。勝てたらなんでもひとつお願いを聞いて差し上げます」
「まあ、なんでも?それはなんとしても勝たなきゃ!」
ダヴィトは私を振り返り、身振りで仕事に戻れ!と指図する。わかってるわよー。っていうかダヴィト、もてもてだなぁ。
調理場に戻って下働きのおばさんたちと夕食の準備に勤しんでいると、ベルセリウス伯爵家の年老いた家令が呼びに来た。仕立て屋から新しい衣装が届いたから、荷運びを手伝うようにということだった。
「わあ、すっごい数……」
幌馬車2台分のドレスや靴、アクセサリーなどを、手分けしてクロゼットに運ぶ。金銀プラチナ、真珠にサンゴ、翡翠にルビーにターコイズ……売れば2年は遊んで暮らせそうだ。上流階級のレディたちはみんなこんなに着飾るものなのか。ダヴィトが(私に)あきれるはずだわ……
「姫君たちは4人とも美しい黒髪だから、旦那様は王宮からお呼びがかかるのを心待ちにしているんだよ」
圧倒される私に事情通の古株、ナリカ・クベチュカがあきれた様子で解説した。なるほど、これも新国王陛下の花嫁探しの影響か。
「王様が捜しているのはお知り合いの女性なんだろう?バカだよねぇ、ごてごて着飾れば見初められると思ってるんだよ。いくら美人でも、新王陛下があんなバカ娘たちを妃に選ぶはずないのにねぇ」
「でも三女のオルガ様は分からないよ。あの方は性格はともかく、たいへん優秀でいらせられるから。有名な女子大学を出られて、神学博士の学位をお持ちなんだ」
「ま、そのせいで婚期を逃しているのも事実だがね」
いつも姫君たちの我がままに振り回されているおばさまたちは、ぷっと失笑した。「言えてる」
「そういえばシャラ、あんたも黒髪だね。どうだい?名乗りを上げてみちゃあ。玉の輿に乗るチャンスかもよ」
「そうねぇ……でも、王宮へ行くにはドレスが必要でしょう?」
そう言う私を、先輩メイドたちは不憫そうに見た。
「あんただって着飾れば十分良家の子女に見えるのに、世の中ってのはつくづく不公平だよね」
ひたいを寄せて噂していると、さっきの家令が私を呼びに来た。「新入り、一緒にきなさい」
「テレサ姫がお前をご指名だ」
家令に連れていかれたのは、豪華絢爛な子供部屋だ。
私は歳が近いという理由で(うそだ。本当は他になり手がいなかっただけだ)、末娘のテレサ姫のお世話係に任命された。
「テレサ様、こちら新人メイドのシャラです」
「例のダヴィト様の紹介で入ったという?……なんだかブニャヌニャみたいな顔ねぇ?」
だからそのブニャヌニャってなんなの?気になるわー。
「お前はダヴィト様とどういう関係?」
「父の兄の友人の従弟の娘の婚約者の家庭教師のはとこの弟の義理の姉がダヴィト……様のご友人の奥様のお友達なんです」
「そ、そう……まあ、なんでもいいわ。さっそく仕事にとりかかってちょうだい」
1時間後……
「なんなのよ、この貧乏くさい髪型は!」
癇癪もちのテレサ姫は、金属鏡に映ったおのれの姿に向かってブラシを投げつけ喚いた。どうやら私のヘアメイクが気に入らなかったようだ。
「ぶきっちょ!こんな頭じゃダヴィト様に気に入ってもらえないじゃない!」
「そうですか?ナチュラルで綺麗にまとまってると思うけどな」
すっとぼけて見せると、テレサ姫はお人形さんみたいにかわいい顔をますます歪めて怒り狂った。
「ダメよもっとゴージャスな感じにしなきゃ!ただでさえ童顔なんだから!」
ダヴィトは髪型なんて気にしないと思うけど……(そうでもないのか?)いっそダヴィト本人にやってもらったらいいよ、あの人めちゃくちゃ器用だから。とは思っても言わない。
「テレサ様はダヴィト……様のことがお好きなんですか?」
「好きかですって?そんなありきたりな表現は止めてちょうだい。私はダヴィト様を愛してるのよ!」
「はー、愛ですか!」
「はぁ……シャラ、お前は子どもね。その様子じゃまだ恋もしたことないんじゃない?」
って二八の花盛りに言われても……経験豊富なわけじゃないけど、初恋くらいは……ごにょごにょ。