お嬢様の執事
貧民窟は王都のはずれ、その名の通り中流社会からも締め出された貧しい人々が、肩を寄せ合い、爪に火を点すように暮らしている。放火、強盗、殺人、凶悪犯罪が横行する、ちょっと……いやかなり危険な地域だ。そんな場所にあるので、私が経営する安アパートには、ワケアリさんばかりが住んでいる。
「おはようサラ、今日も寒いねーっ」
朝7時、私が玄関を掃除していると、204号室のエルヴィンさんが両手をこすり合わせながらおりてきた。
「おはようございます、エルヴィンさん。お湯沸いてるから、使ってくださいね」
「わ、たすかるーっ」
エルヴィンさんは同性愛者だ。
日本では「好きにすれば?」って感じの同性愛だけど、シュヴァルステン王国ではれっきとした違法。見つかれば逮捕されて投獄、もしくは矯正治療施設に収容されてしまうんだとか。現代地球でも宗教上の理由から同性愛を禁止する国はなんと77か国もあり、中には同性同士でほにゃららすると死刑になる国もあるのだそうな。うーん、さっぱり分からん。
「おはようサラ」
「おはようございます、フィデルさん。今日も早いですね」
202号室のフィデルさんは異教徒。一神教でナントカって神様を崇拝しているシュヴァルステン王国では、異教徒は殺人犯と同じくらいひどい扱いを受ける。信心なんて人の勝手だと思うけど、ダメなんだって。フィデルさん、イイ人なのに。
「おはよサラ。今日は酒場はお休みかい?」
「サラちゃんおはよう」
「今日もかわいいね」
「……どうも」
比較的早起きなメンツがぞろぞろと下りてきて、早朝の下通りはたちまちにぎやかになった。
不法移民仲間のイサークさん、301号室。過激派活動家のキリルさん、203号室。義賊で結婚詐欺師のマリオさん、302号室。自称哲学者で官能小説を書くかたわら怪しい啓蒙書を執筆しているノルベルトさん、304号室。みんな漏れなく当局に目をつけられている。
「おはようございます、みなさん。こっちにきて火にあたってくださいな」
ごみ処理もかねた焚火を囲む。出がらしの薄いお茶で喉を湿らせながら雑談するのは、アパートの住人たちの大切な日課だ。みんなで情報を持ち寄ることで、うまい話にありつけたり、大きな危険を回避したりできる。
「そういえばイサークきみ、仕事見つかったんだって?」
「へぇ、どんな仕事だい?」
「どうせ例の黒髪狩りだろ」
「黒髪狩りって?」
「新国王陛下の花嫁探し。見つけて通報した人に賞金が出るんだ」
結婚詐欺師のマリオさんは聞くまでもないという風に、ぴしゃりと言い当てた。
「止めとけよ、そんな腰かけ仕事。分かってるのは黒髪黒目ってことだけなんだろ?人相書きも当てにならないし……どうせ見つかりっこない」
「でも、俺んとこはちゃんと日当が出るんだ」
「じゃー、悪いこと言わないから先払いにしてもらえ。踏み倒されるにきまってる」
みんなが仕事に出かけ、すっかり日が高くなったころ。このアパートを購入するきっかけを作ってくれたフッカーでSM女王様のマルスリーヌさん(201号室)が仕事から帰ってきた。
「ただいまサラーっ、ああー疲れたー」
「おかえりなさい、マルスリーヌさん」
マルスリーヌさんはこのアパート唯一の、女性の賃借人だ。コケットな美人さんでスタイルばつぐん。年齢不詳、特技は緊縛。
「疲れる客にあたっちゃってさー。尻500発は打ったね、もー肩ぱんぱん」
「おつかれさま。はい、お茶」
「ありがとー。……そういえば、さっきそこでやぶを見かけたわよ。なーんか忙しそうだったわ」
噂をすれば、303号室の無免許だけど腕は確かな外科医のリップス医師が帰ってきた。「いやー、まいった」
「おかえりなさいリップス医師。朝帰りなんてめずらしいですね、急患があったんですか?」
「まあね。大した病気じゃないんだけど、数が多くてね」
「やだ、食あたりとか?」
「いや、鉱物性のヘアカラー剤でかぶれる娘が続出してるんだ。例の王様の花嫁探しの副産物。親はヒステリーを起こすし娘は泣きわめくし、もうさんざんだよ」
マルスリーヌさんは疲れ果ててしぼんだリップス医師の背中をバン!と叩いた。「仕事が増えて結構じゃないの」
「でもロマンチックよねー、王様なんてより取り見取りでしょうに、たったひとりの女を国中から探し出そうなんて」
「結婚したくないだけかもよ。ほら、男っていつまでも遊んでいたい生き物だから」
「あんたと一緒にしないでよ。新国王陛下はそんな不誠実な方じゃないわよ。ねぇ、サラ?サラもそう思うわよね?」
「うん。思う、思う」
第一王子である王太子様が昨年の流行風邪で急死し、前国王陛下の指名により、第三王子のクリストハルト殿下が新国王になった。人権や労働や福祉に関する新しい法律がいくつも作られて、本格的な弱者救済がはじまった。これから奴隷を売ったり買ったりした人は、当局に捕らえられて厳しい罰を受ける。貴族なら爵位の剥奪、商人なら営業許可取消という具合に。
王国は平和に向かって一歩を踏み出した。活動家のキリルさんによれば、新国王派と第二王子をリーダーとする旧体制派の衝突は避けられないそうだけど、私は王様を応援したいと思っている。
「そういえばサラも黒髪黒目じゃない。一度詰所に行ってみたら?王宮に入れるチャンスなんてこれを逃したら一生ないわよ。王様は無理でも、素敵な独身のお貴族様に見初められるかも」
「あはは、まっさかぁ」
なーんて、マルスリーヌさんと冗談を言い合ったその日の午後。食料を手に入れるために行列に並んでいると、2人組の官憲が近づいてきた。
「ちょっと、そこの君」
「?……私ですか?」
「そうだ君だ。聞くが、その黒髪は天然か?」
例の黒髪狩りだ。
出し抜けにたずねられ、私はどきっとした。憧れのクリストハルト様には会ってみたいけど、身元を調べられたら不法入国者だということがばれてしまう。異世界トリップなんて奇抜な話が受け入れられるはずもなし、まかり間違えば国外追放、最悪しばり首だ。ここはなんとしても誤魔化すべき。
「いえ、染めてます」
しれっと嘘を吐く私に、官憲は疑いのまなざしを向けた。「本当かー?」
「名前は?出身は?住所は?」
「誰だっていいじゃない。どこだっていいじゃない」
「ちょっと頭見せてみなさい」
「やだ、触んないで」
髪を触られそうになって、思わずその手を払いのける。負けず嫌いの官憲(名前はアレック)は、意地になって手を出してきた。上下左右から鞭のように襲いかかる手刀を、ワニ●ニパニックのごとく高速で叩き落とす。
しつこく抵抗していると、見かねたもう1人の官憲、ホイスに羽交い絞めにされた。
「いやーっ、やめて!この痴漢!」
「ちょっと見るだけだから、大人しくして」
万事休すと思われたその時、アレックと私の間に、背の高い人影がずいと割って入った。
「失礼、私の妻がなにか?」
見覚えのある、プロの社交ダンサーみたいなスマートな後ろ姿。いるはずがない人物の登場にあぜんとする。ダヴィト、どうしてこんなところに……ってうか、妻?
「なんだ、男がいたのか」
未婚でないと分かると、ホイスはあっさり私を解放した。
「奥さんずいぶんびっくりしてるみたいだけど、おたくら本当に夫婦?まさか俺たちの手柄を横取りしようってんじゃ……」
アレックが疑うのも無理はない。ザ・物乞い!って感じの私に対して、ビロードのコートにアスコットタイを締めたダヴィドからは上流階級の香りがぷんぷんする。
どうする?と視線を投げると、なぜか激おこぷんぷん丸の元執事は、私の唇に熱いぶちゅーをかました。
「んんーっ!?」
エロいうえに長い!タップタップ!誰かタオル投げて!
「やっ……いやん」
精気を吸いつくされてへたり込みそうな私の腰を支えつつ、元執事が妙な説明口調で言う。「君が屋敷を出奔してひと月半、あちこち探したんだよ」
「私が悪かったから帰ってきておくれ愛し君。君の希望通り、子どもの名前は男の子ならシーオッター、女の子ならコンコンブルにしよう」
「…………」
「さあ、もう帰ろう。屋敷の執事が腐った黄金豆を準備して待ってるよ。君好きだろう?」
小芝居が済むとダヴィトは真っ白になった私をひょいと抱き上げ、颯爽と歩き出した。
行列に並んだ人々からぱらぱらと拍手が送られる。取り残された官憲2人組は、荷物のように運ばれる私にあわれみの視線を送った。「貧民窟に逃げ込むなんて、奥さんよっぽど帰りたくなかったんだなあ」
「放して!降ろして!」
意識を取り戻した私はダヴィトの腕の中からただちに脱出した。
「どうしてこんなとこにいるのよ!子どもたちは!?」
「ちゃんと全員始末してから来ましたよ。聞きたいのはこっちの方です。書置きだけ残してどこ行ったかと思えば、こんなところで何をやっているんですか」
ダヴィトは私の眉間をズビシ!と指ではじいた。いたっ!
「べ、べつに何もしてないわよ。……っていうかあなたに関係ないでしょ。私はもう男爵令嬢じゃないんだから」
「はあ……最初から変だと思っちゃいたが、まさかザーラ姫の偽物だったなんて……」