お嬢様の憧れ
全員が配置についていることを確認すると、私はその場をククルに任せ、クロウェルひとりを連れて牢獄の隣の部屋に入った。
「ここは……?」
「子喰い姫の秘密の人体実験場よ」
正確には、子喰い姫の秘密の人体実験場セットである。
部屋の中央には血の染みで汚れた手術台、壁には斧とかナタとかノコギリとか、なにか意味深な工具がかけられている。整理棚には得体のしれない薬品や標本がずらりと並び、けたたましく鳴く鳥や獣を押し込んだ檻や、ダヴィトがどこかから持ち込んだ暗黒魔術の書籍が、部屋のあちこちにうずたかく積まれている。そのほかにも、ご先祖様が使用していたと思われる拷問器具、トンネルの途中に倒れていたどなたかの人骨(ご冥福をお祈りします……)、床にチョークで書きなぐられた呪いの言葉や魔法陣……
「お風呂に入ったばかりで悪いけど、あなたにも協力してもらうわよ」
私は絶句しているクロウェルを手術台に寝かせると、腹の上に真っ赤な液体をぶっかけた。
「!?くっさ!……なんだこれ!?」
「今夜の歓迎会で食卓に上る予定のローストポークの血よ。ぜったい動いちゃだめだからね」
己の顔や両手にも豚の血を塗り込み、大きな出刃包丁を持って敵が到着するのを待つ。しばらくするとエミディオ閣下がダヴィトに連れられてやってきた。
「会いたかったぞ、ザーラ姫」
エミディオ閣下は室内に充満した死臭にうっと顔をしかめた後、無理に笑顔を作って言った。
「これはエミディオ様、お久しぶりでございます」
一方の私は血だらけの顔をにっこりと綻ばせて、優雅に彼を出迎える。隣の部屋からは子ども達の絹を裂くような悲鳴が絶え間なく響いてくる。毎晩の腹筋と発声練習の成果だ。みんなえらいぞ!
「ホテルから手紙を出したのに、ちっとも返事をくれないのだから」
「もうしわけありません、奴隷を使った新しい実験に忙しくて」
「へぇ、参考までに、どんな実験だい?」
「4体の子どもの肉体をバラバラにして、1体につなぎ合わせるんですの。頭はヨーゼフ、肩と両腕はサミー、下半身はブレンダ、胸と腹部はリウィアという具合に。……でもうまくいかなかったわ。1度は目を覚ましたけど、すぐに口から泡を吹いて壊れてしまいましたの」
舌打ちとともに、「男の子と女の子を混ぜたのが悪かったんだわ」などとうそぶいてみせると、エミディオ閣下は顔面をひきつらせた。抜群のタイミングで水路の水が真っ赤になり、奥の穴から豚や牛の内臓がちゃっぷんちゃっぷん流れてくる。腸詰にすればおいしいのに……もったいない。なんて考えていると、子供たちの楽し気な笑い声が聞こえてきた。ぎくっ。
「……奴隷の解体を手伝わせているんです。恐怖で頭がイカれてしまって、放っておくと大事な実験体まで襲ってしまうので、手が付けられないんですの」
「…………」
「面倒だから今夜あたり潰して、丸焼きにでもしてしまおうと思っていたんです。エミディオ様もぜひご一緒にいかが?一番おいしいお尻のお肉を切り分けて差し上げますわ」
いよいよエミディオ閣下の顔が青ざめる。しーめしめ。この男は高慢ちきで鼻持ちならないエゴイストだけど、べつに猟奇趣味じゃない。うんと怖がらせてさっさと帰ってもらわなきゃ!
「それで、エミディオ様。王宮はいかがでしたか?」
「あ、ああ……あいかわらず、くだらん連中ばかりさ。人権団体が集まってやれ囚人に特赦をだの、捕虜と身代金の交換だの。……ことに奴隷制度廃止の影響は深刻だな。ただで使える労働力を失って、王都に屋敷をかまえる連中は困り果ているよ。それもこれも、あの変わり者の第三王子のせいさ」
エミディオ閣下は憎々し気にうなった。
「慈善家だか人道主義者だか知らないが、世間知らずではた迷惑な王子様だ。いくら剣術に優れていても、正しく時流を読めないようではいけない。彼はもっと民の声を聴くべきだと思わないか?」
「御説ごもっともですわ。私も実験材料がなくなっては困ります」
「この辺りは王都から離れているから、大丈夫だろう。相手が王家の一員と言えど、私の地所で勝手な真似はさせん。誇り高きシュヴァルステン貴族の名にかけて、この土地に住まう市民の快適な暮らしは私が守って見せる。君は今まで通り、学問に励みたまえ」
「頼もしいですわ。さすがエミディオ様。すてき。かっこいい」
エミディオ閣下は私のおべっかを本気にして、上機嫌で帰って行った。なんて単純な人だ。
「今日も一段と子喰い姫の凄みが増したわね。あの時代遅れのおしゃべりオヤジ、さっそく町中に噂を広めるわよ」
「あんまりこき下ろしたらかわいそうですよ、あれでまあまあ役に立ってるんですから」
「?なんの役に立ってるって言うのよ」
「子喰い姫の実験材料が不足してるって言うと馴染みのブローカーに口利きしてくれるんです。奴隷がなんと相場の半額」
「ふむ……たしかにお金は大事よね。ダヴィト、よくやった」
手術台から起き上がったクロウェルは、顔面に飛んだ豚の血をぬぐいながら、私とダヴィトを交互に、きょときょとと見つめた。
「あらためまして、私が子喰い姫役のザーラ・ゾンバルトよ」
わけがわからない様子のクロウェルに、(半分)正しいプロフィールを公開する。
「役……?」
「子喰い姫はこの城を護るための架空のキャラクターなんだよ。本物のザーラ姫はこの通り、小賢しくて金持ってるだけの小娘だ」
「あなたの言い方にはいちいち悪意があるわよね。この毒舌執事」
「事実でしょー成金チビ娘が」
「半鐘どろぼう。うどの大木」
「山出し。ずんべらぼう。幼児体形」
ぎゃーぎゃーと口汚く罵り合う私たちの声を遮って、クロウェルが問う。「どうして?」
「どうしてそんなことをする?人材を流出させて、国家転覆でももくろんでいるのか?」
「ええーっ」
「だって……奴隷を亡命させたって、お前にはなんの得もないじゃないか」
私ははて?と首を傾げた。そういえばマジメに考えたことなかった。
「……まあ、あれよ。あいみたがいってやつよ」
「?お前も、もとは奴隷なのか?」
「くわしくは言えないけど、昼夜を問わず馬車馬のごとく働かされていたわ」
高校を卒業してすぐに就職した会社は、体育会系ばかりが集まる類なきブラック企業だった。社畜、過重労働、サービス残業、ワーキングプア……資本主義の奴隷だった日々を思い出し、遠い目をする。経済大国怖い。
「うちのお嬢様は変わり者なんだよ。この国の第三王子と同じくらいのね」
◆
その夜。
小さい子たちを寝かしつけた後、渡り廊下を歩いていると、水路のほとりの東屋でひとり物思いにふけるクロウェルを見つけた。売られたその日に豚の血をぶっかけられたんじゃ気が高ぶってもしょうがない。
「眠れないの?」
心配になった私が近づいて声をかけると、クロウェルはのろのろと顔を上げた。幼いながらにたくましい背中は、今は少ししょんぼりしてる。それにしても、見れば見るほどきれいな男の子だ。お人形さんみたい。
「……がっかりしているんだろうな」
ほっぽって帰るわけにもいかず、少し離れた場所に腰かけてじっとしていると、クロウェルがつぶやいた。
がっかりって、なにが?
「2年前の法改正さ。世間知らずではた迷惑な甘ちゃん王子が先走った結果、シュヴァルステン王家は有力な貴族や豪商の信頼をことごとく失った。結果規則は守られず、か弱き人々は今も変わらずけじめを食い続けている。奴隷制度の撤廃など、しょせんはただの絵空事だったんだ」
クロウェルは自嘲めいて吐き捨てた。
5年に1度王宮で開催される御前試合。全国各地の腕自慢が一堂に会し、国王陛下の御前にて王国一の武人を決するその戦いを、華やかな兄弟達の陰に隠れて下馬評にも上らなかったこの国の第三王子が制した。
優勝した者にはなんでも1つだけ、望みの褒美が与えられる。彼は領地でも、地位でも、財宝でもなく、この国で最も貧しき人々の救済を願った。
それが2年前の法改正……奴隷制度撤廃だ。
「変わり者の第三王子は今頃、おのれの浅はかさを呪っているだろう」
「そんな風に言わないで!」
私が思わず大きな声を出すと、クロウェルはぎくりとした。
「私の憧れの人を、悪く言わないで」
シュヴァルステン王国第三王子、クリストハルト殿下。名前しか知らないけど、彼は私のたったひとりの同志だ。
あいみたがいと言ったのは嘘じゃない。現代日本の常識が通じないこてこての封建社会で、親からも世間からも見捨てられた、寄る辺のない子どもたち。とつぜん知らない世界に迷い込んだ4年前、運よくゾンバルト男爵に拾われなければ、私も彼等と同じ境遇になっていただろう。彼等を助ける一番の理由は同情だ。けれど……
「変革には長い時間がかかるものよ。この国に私たちの味方が現れたことこそが、とても大きな前進なの」
もうひとつ、自己中心的な理由がある。こうやって善行に励んでいれば、使命を果たせば、いつか元の世界に帰れるんじゃないかという、かすかな期待が捨てられない。我ながら偽善的で嫌になる。
自己嫌悪に陥り、崩れ折れそうな心を救ってくれたのは、クリストハルト殿下だ。2年前、かのニュースを耳にした私の喜びはいかばかりだったか……
「せっかく芽吹いた希望を自らの手で潰すようなことをしてはダメ」
お前は間違ってないって、背中を押された気がした。味方ができた。神様はいると思った。
「……ごめん……」
乾いた謝罪が聞こえて、少し気まずい沈黙が流れる。月の光が東屋の屋根をさらさらと照らし、静寂に虫の声が響く。
「会ってみたいか?」
5分ほども置いて、クロウェルはやぶから棒にたずねた。「その、第三王子に……」
「そりゃね……でも、いいの。この空の下に志を同じくする人がいるってだけで、うれしいから」
「……案外つまらない男かもしれないぞ」
「心の綺麗な人に違いないわよ」
「…………」