子喰い姫現る
息抜きで書いてるなんてことないお話です、完全に趣味の世界です、生温かい目で見ていただければ幸いです。
あにはからんや、日本でおおむね平穏な生活を送っていた私が異世界トリップして、早4年が過ぎた。
とつぜんだけど現在の私、ザーラ・ゾンバルトの生活拠点、剣と魔法と忌まわしき因習が残るシュヴァルステン王国には、子喰い姫が住んでいる。
◆
「男前のお兄さん。見ない顔だけど、よそ者かい?」
とある夜、そぼ降る糸雨を逃れて、安酒場にひとりの旅人が現れた。濡れたマントを取り去ると、獣脂のろうそくの頼りない灯りがその美貌を照らし出す。
えり足でくくられ、広い背中を滝のように流れる白銀の長髪。知性と強い意志の力を感じさせる、物静かな薄灰色の瞳。
接客係の女性が目の色を変えるのもうなずける、田舎ではとんと見かけない美男子だ。
「仕事……って感じじゃないねぇ。この街へはどうして?観光?」
「まあ、そんなとこだ。あてどもなくふらふらとね。……ここへくる途中でちょっと耳にしたんだが、この街にはなにか、恐ろしい怪談があるんだってな」
旅人が何気なくたずねると、女性店員は慌てたようすで、肉感的なくちびるに「しっ!」と人差し指を当てた。「お客さん、うかつなことは口にするもんじゃないよ」
「あんたが聞いたそいつは、聞かん坊をこらしめるためのおとぎ話や、嘘か誠かわからない伝承の類なんかじゃない。……大きな声じゃ言えないけどね、あたしらは子喰い姫って呼んでるよ」
「子喰い姫?まさか、実在するっていうのか?」
「けだしその通り。……森の向こうに立派な城が見えただろ?あれはこの辺りの地所を治めている、ゾンバルト男爵様のお屋敷さ。ゾンバルト男爵様にはザーラ姫という、たいそう麗しいお嬢様がいらっしゃるのだが……彼女はそのたぐいまれな美貌を保つために、街で子どもを買っては城に連れ帰り、夜な夜なその血肉を貪っているそうな」
「しかし2年前の法改正で奴隷制は廃止されたはずだ」
「そんなもの!守られているのは都会だけさ。お役人の目が届かない化外の村では、いまだに牛や馬の横で子どもが売られているんだ。信じる信じないはあんたの勝手さ。だけど、ちゃあんと見たって子がいるんだ」
ザーラ姫は20歳にもなるのに、14歳のころと外見がまったく変わらないんだってさ!
◆
「……というヒドイうわさが流れていますよ、お嬢様」
ゾンバルト男爵家の執事兼料理長兼馬丁兼家庭教師兼マッチョなイケメンのダヴィト・アルタウスは、お行儀悪く床の上にあぐらをかく私に向かって、あきれ半分、あきらめ半分に告げた。
「一説によればお嬢様は禁断の暗黒魔術の使い手で、子どもの肉体を使って永遠の若さを研究しているのだとか」
クッキー生地みたいなクリーム色の短髪、真夏の陸上部員なみに日に焼けた肌、つゆ草のごとき薄藍色の瞳は、今は怒りで紫がかっている。
「ふむ……ある意味間違っちゃいないかもね。発酵食品は老化防止にいいってテレビが言ってたし、アンチエイジングはいつの時代も女性の一番の関心事よ」
そう。すでにお気づきの方もいらっしゃるかと思うが、市中の人々がまことしやかに噂している子喰い姫とは、なにを隠そう私のことだ。そしてこれは言うまでもないことだけど、はなはだ誤解だ。
「サラ様に暗黒魔術なんて無理だよー」
横から会話に割り込んだのは、2年前に町の奴隷市でダヴィトが買ってきた少年だ。年齢は打ち見には10歳前後。名前はククル。ピカピカした土色の肌に、燃える夕日を思わせるセミロングの金髪、きゃしゃで女の子みたいにかわゆい顔をしている。
きたばかりの頃は手負いの虎のようだった彼は今や、野生を忘れた家猫のごとく、私のひざの上でごろごろ甘えている。
「なによー、ククルだって最初は信じてたくせに。私がこわーい魔女だって」
「だって、サラ様がこんなにかわいい人だとは知らなかったんだもの」
「調子いいんだから、おだててもなにも出ないわよ」
私とククルが和やかに会話を楽しんでいると、執事のダヴィトがひたいに青筋を立てて、私の手から納豆モドキを奪った。
「少しは私の苦労も考えてください。お嬢様の悪癖のせいで、まともな使用人が雇えないんですよ。手当たり次第に奴隷なんか買い集めて!」
「いいじゃないのべつに。なにしろ我がゾンバルト男爵家には、うなるほどお金があるんだから。先祖が収賄や脱税でため込んだ薄汚い財産よ。私の代でぜんぶ使い果たすって決めてるの」
4年前、ゾンバルト男爵家ゆいいつの跡取りである本物のザーラ姫が病で亡くなり、まあまあ似ていた住所不定無職の異世界難民……つまり私がその身代わりに選ばれた。はじめ、21歳の年増に14歳の身代わりなんてとても無理だと断ったが、ゾンバルト男爵に泣きすがられ、私の決定に口出ししないことを条件に引き受けてやった。好き放題できる代わりに、私には近々従兄のエリクと結婚し、後継ぎを生むという使命が課せられている。
私は恋愛結婚派なんだけど……ま、いいや。エリクいいやつだし。
「それで、財産を使い果たした後、お嬢様はどうなさるおつもりなんです?」
「稼ぐに追いつく貧乏なし。ひたいに汗して働けばいいのよ。町のお菓子屋さんの看板娘になるの」
なーんて言うと、ダヴィトは興奮のあまりぶるぶる震えだした。「甘い!甘すぎる!」
「仕事とはお嬢様が考えておられるほど気安いものではないんです!だいたい、由緒正しいゾンバルト男爵家の後継者ともあろうお方が町で売り子のまねごとなど、国中の笑いものですよ!お嬢様がなんとおっしゃろうと、貴族は貴族、奴隷は奴隷です!」
「ダヴィトがなんと言おうと、人間はただのちょっと利口なサルよ。動物界、脊椎動物門、哺乳網、霊長目、ヒト科」
「!?……猿!猿ですって!?お嬢様はまさか、やんごとなき血筋の方々までケダモノ同様だとおっしゃられるのですか!」
「いかにもその通りよ。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずってね」
「お嬢様!当局に聞かれたら逮捕されますよ!」
「あなたこそアナクロなこと言ってると田舎者に思われるわよ。……ねぇ。ところでさっきから窓の外に立っている、あの子たちは?」
芝を剥がされ農場と化している中庭には、あわせて6人の少年少女が、手足を措くところなしという様子で立ちすくんでいた。ダヴィトは眉間をもみもみしながら、いまいましそうに答えた。「旦那様からお嬢様に、プレゼントだそうです」
「さすがお義父様、わかってるー!」
「はあ……またあちこちかけあって里親か奉公先を探さないと。わかっていると思いますが、他言無用ですよ。亡命幇助は重罪、当局に知られたら私もお嬢様も死刑ですからね」
「はい、はい、ダヴィトは心配性だなぁ」
「それから、子どもたちの世話はお嬢様がひ・と・り・で!してくださいね。私は忙しいので!」
「はあーい」
ダヴィトがぷりぷり怒って部屋を出ていくと、私は助手のククルを連れて外へ出た。
男の子が4人に、女の子が2人。背の高い順に並ばせて、前に立ってあいさつする。にっこり微笑んで見せると、子どもたちの緊張が少しとけたようだった。私を子喰い姫だと思う子はいない。……そりゃそうだ。なにしろ私の格好ときたら、そんじょそこらの町娘より質素(くたびれた羊毛ワンピースに白い頭巾をかぶっただけ)ときてる。
「はじめまして、私はサラって言うの。みんなのお世話係よ。この城で困ったことがあったら、なんでも私に言ってね」
まずは農婦の姿で子ども達と仲良くなり、警戒を解いた後でネタばらしする作戦だ。以前なんの準備もなく自己紹介したら、子供たちが集団ヒステリーを起こして大騒動になった。子喰い姫の悪名高いこと!
私は子どもたちを連れて医務室を訪れた。医務室なんて言っても、使っていないゲストルームを学校の保健室に似せて改装しただけで、大した設備はない。
「はい、ちょっと見せてねー」
順番に上着を脱がせ外傷の有無を確認した後、手作りの身長計と体重計で身体測定をする。……よかった、ひどい怪我や病気の子はいないようだ。ひとりは栄養失調気味だけど、ここでひと月も過ごせばまん丸子豚になるだろう。
「?……あら?」
野良猫ちゃんばっかりかと思えば、一匹だけ毛並みがいいのが交じっていた。年齢はククルより少し高いくらい。服はぼろで白い背中は古傷だらけだけど、変に痩せてないし、姿勢も軍人のように正しい。
男の子?……ううん女の子……いや、やっぱり男の子だ。
「あなたのお名前は?」
私は腰をかがめて、少年の目元にかかる前髪を分けてやった。あらわれた薄灰色の瞳は思った通り、鍛え抜かれた白刃ごとく鋭くきらめき、卑屈さの欠片も見当たらない。少年は敵意もあらわに私をにらみつけたまま、短く「クロウェル」と答えた。
「よろしくクロウェル。子喰い姫の館へようこそ」
視力検査を終えたあと医務室を出て、子供たちを洗う。これが一番重労働だ。水路から水を汲んできて、かまどで沸かしてバスタブに流し込む。みんな掘り起こしたばかりのジャガイモみたいに汚れているので、一回一回水を変えなければならない。
汗だくになって作業していると、見かねた灰色猫……クロウェルが手伝ってくれた。
「ありがとうクロウェル。さあ、ようやくあなたの番よ」
「!……俺は、いい」
「あらダメよ。子喰い姫の屋敷の中に蚤を持ち込まれたら困るの。ほら、ばんざーい」
「こ、こらっ……!」
逃げ腰のクロウェルを捕まえ、裸にむいてバスタブに放り込む。
「ばか!よせ!エッチ!」
「子どもがなに恥ずかしがってんの。ほら、大人しくして」
ククルと2人で暴れるクロウェルを押さえつけ、藁を編んで作ったタワシで垢や泥を擦り落とす。髪を振り乱して格闘する我々を、ツルピカになった子供たちが見て、きゃたきゃた笑う。
「?これはなんだ?……黒曜石か?」
しばらく抵抗していたクロウェルは、ふと大人しくなったかと思うと、とつぜん私の胸元に手を伸ばした。首に下がったネックレスを、穴が開くほどまじまじ見つめる。