22 幼馴染達と俺は他人の事しか心配しないらしい
心愛と佳晃が木製の遊具で追いかけっこをしているのを見ながら、七月とは思えない程爽やかな夏風を感じていた。
二人共子供の身体だ。ふと自分の手を見てみると、やはりやけに掌が大きかった。
運動神経皆無型人間の俺が彼らに混ざったところで日暮れまで永遠に鬼をやらされるのが目に見えているので、仕方なくベンチで観戦するしかない。
しかし目の前でニコニコ楽しそうにはしゃぎながら遊ばれると自分も混ぜて欲しくなるのが子供心であり、なんとも煮え切らない感情を胸の奥に抱えながら座って待つのが常であった。
「あはは! こっちこっち!」
「てめー!」
心愛が佳晃を煽りながら逃げる。単純な徒競走ならば彼に軍配が上がるのだが、高さが3mもある遊具を身軽な心愛が上手く障害物として使いこなしているようだ。
しばらく彼らを眺めていたが、依然として彼女は捕まりそうにない。佳晃の顔には疲れが浮かび出していた。
その顔を見た心愛もニヤッと口端を歪める。そしてまた扇動しようと思ったのか、進行方向に背を向け声を発しようとした。
「止まれ!!」
「心愛!!」
二つの叫び声が聞こえるのと、遊具の端から彼女が転落するのは同時だった。そこは下からロープを伝って上に登るための仕掛けで、落下防止用の手すりも取り付けられていない急斜面だった。
彼女は美しい程真っ逆さまに落ちた。頭から地面に衝突したら死んでしまうかもしれないと、やけにスローモーションに見える自由落下の着弾地点にダッシュながら考えた。
あと5m……3m……今だ!
残り50cmまで来ると、俺はヘッドスライディングをするように勢い良く前に跳んだ。その瞬間、視界がよく見慣れたピンク色の服で覆い尽くされた。俺はその服の持ち主を斜め上に吹っ飛ばすように思い切り抱き締めた。刹那、とてつもない重力が俺の身体を引っ張った。
彼女が頭から落下している以上、どうキャッチしても首に負担がかかる。頭部と地面との接触を最大限緩衝するためにはこれが最善だと考えたのだ。
彼女が「ごふぅっ!」と乙女にあるまじき声を漏らすが、腹に頭突きされているので当然と言えば当然だ。
やがて俺と心愛は縺れ転がりながら地面へ叩きつけられた。どうやら衝撃で腕の骨が折れたようで、凄まじい激痛に意識が朦朧とする。佳晃も泡食って飛び降りたらしく、数秒後にズシャッという音がして、見遣ると脚を折った彼が悶絶しているのが見えた。
早く助けを呼ばなければと思うが、痛みで身体は命令を受け付けてくれなかった。
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「……ごほっ! ごほっ!」
「起きた!」
目を覚ますと、仰臥する俺の視界に現れたのは佳晃の顔だった。辺りを見渡すとここは俺達が溺れた海の砂浜で、身体を起こすと佳晃の隣で山田さんが誰かと通話しているのが見えた。
「あっ、気が付いたみたいです! ……はい、はいそうです。……分かりました。すみません、ありがとうございました」
「どうだって?」
「意識があるなら大丈夫ですって」
恐らく電話の向こうは救急隊員だろうな、と推察した。人が溺れて意識を失っていたのだから妥当な判断である。
「心愛は?」
「大丈夫だ。てか、なんで柚の方が起きんの遅いんだよ」
そこは心肺機能の差だろうな。
「なんでお前がここに?」
「皆で海水浴って聞いたから茶化しに行こうかと思ったら溺れてんだもん。マジびびったわ」
「助けてくれたのか、ありがとう」
言うと、彼は少し考えてこう返す。
「礼は良いけどさ、あんまり無茶しないでくれよ。お前別に泳ぐの得意な訳じゃないだろ?」
「そうだが、心愛が溺れてたからな」
「だとしても、俺の知らないところで仲良死とか笑えねえよ」
「お前だって、落ちた心愛追い掛けて飛び降りた事あったろ。お互い他人の事しか心配してねえんだ。人の事言えねえよ」
俺がさっき見た夢の事を思い出しながら話すと、佳晃は苦笑した。
「あったなー、そんな事。よく覚えてんな」
「さっき気絶してる時、夢で見たんだ」
「気絶って夢見るのか!?」
「見たんだから、見るんだろ」
笑いながら言う。その後も少し他愛もない話をしていると、心愛達もこっちへ来た。
「……二人共、ごめんね」
開口一番が俺達への謝罪だった。何故謝られたのかが分からず閉口してしまうが、すぐに自分が溺れてそれを助けようとした二人を危険に晒した事への謝罪だと言うことに思い至った。
「気にすんな。不幸な事故だ」
「でも……」
「こうなる事を予想出来なかったのは俺も同じだからな。俺にだって同じだけの責任がある」
浮力の低下を想定すべきだったのにしていなかったのは心愛だけではない。それに、助けに行ったのも自己責任だ。
「…………」
それでも彼女の顔は暗いままだった。彼女は意外と真面目で責任感が強いので、自分を責めすぎるきらいがある。
「ぷっ……」
「?」
「くっ……ははははは!!」
そんな事を考えていると、佳晃がいきなり吹き出した。
「山田さん、救急車を呼んでくれ。佳晃が頭を打ったらしい」
「了解です」
「い、いや打ってないから……くく……」
腹を抱えながら抗議する佳晃。
「なんで笑ってんだ?」
「いや、本当にお前の言った通り過ぎてな」
「?」
「一番死にかけたやつすら、相手の事しか心配してないなんて、おかしいだろ」
確かに。
最も心配されて然るべき人物に俺達は心配され、謝罪されているのだ。
その事に気付いた時、不意に俺もおかしくなって、口から空気が漏れてしまった。
「二人して笑わないでよ……」
見ると、心愛もさっきまでの暗い表情は失せ、恥ずかしさに頬を染めていた。
畢竟人間自分の事なんてどうでも良くて、人の事しか考えていないのだ。少なくとも、平生は。
だから、また心愛が溺れても、落ちても、俺達はきっと一瞬の迷いも無く海に飛び込み、高所から飛び降りるだろう。
本当にいつか無茶で死ぬかもなと思いながら、それでも良いかとやけに納得する自分が居ることに気が付いた。
※1 仲良死――――主にゲーム内等で、複数の生物が纏めて死ぬ事。「仲良し」と「死」を掛けた一種の洒落である。