21 幼馴染の幼女はアルキメデスの原理を身を以て理解するらしい
「うーおりゃー!」
「えいっ!」
雪と山田さんが声を張り上げ勢い良く心愛に海水をぶっかけた。
対する心愛は飛んでくる二つの波を一瞥すると、素早いドッジロールでそれを避ける。
「よっ……! はあっ!」
力強く振り上げた彼女の手から放たれた水飛沫は、勢い良く二人に向かって行った。
「きゃっ!」
「いったあ……このぉ!」
二人は次々に水を乱れ撃つが、剽悍な心愛の動きに狙いを定め切れず虚しく空を切っていく。
「当たらなければどうという事はないわ!」
当たってもどうという事はないだろ……
幼女トリオが仲良く水を掛け合う中、俺は一人上着を着て砂浜に腰を掛けていた。残念ながら我が家にビーチパラソルなどという洒落たものは無く、全身に降り注ぐ炎天の熱線が容赦なく俺を炙るのは甘んじて受け入れるしかないようだった。
流石に彼女達を熟視していては周囲の視線が痛いどころか最悪通報されかねないので、俺は海を眺めている事にする。
……この暑さの中1人で水平線を遠望しているっていうのも傍目から見たらなかなかに不審者だけどな。
などと考えていると、心愛に掛けられた水でびしょ濡れになった雪がむくれながらこちらへ歩いて来た。
「もうやめたのか?」
「ここあがつよすぎ」
どうやら二対一でも勝負にならなかったようだ。彼女は昔から運動神経が抜群に良かったので、そのような結果になるのもさして不思議な事ではない。
「おにーちゃんはあそばないの?」
「男子大学生が女子小学生と遊んでたら警察来るぞ」
「そっかぁ……」
そう応えると、彼女は少し残念そうな顔をした。
「こうやってわたしとおはなしするのはだいじょーぶ?」
「それは多分な」
この間一緒に買い物に行った時に気付いた事だが、雪が俺をお兄ちゃんと呼ぶのは存外不審感を薄めるのに効果的らしく、二人の関係を怪しむ人は見受けられなかった。俺が出不精なので、近所に俺の家族構成を知っているような親しい人が居なかったのもその結果に寄与しているだろうが。
「じゃあ、わたしもいっしょにここでおにーちゃんとおしゃべりする」
「いや、遊んでこい。折角海に来たんだし、こんな身体なんだしな」
大学生なら恥ずかしくて人前では出来ない事も、今なら思う存分楽しめるだろう。俺も子供に戻って本気で砂のお城とか作ってみたいし。スマホで資料を検索しながら、1/500スケールの名古屋城とかな。
「それにほら……」
「雪! 一緒に泳ごっ!」
「雪が抜けたせいで心愛の攻撃を一人で耐えなきゃだったんですよ!?」
「友達が呼んでるぞ?」
俺が振り返った方向には、手を振りながら雪を誘う親友2人の姿があった。
「行きな?」
「はぁ、おにーちゃん……こんどは、みんなであそぶからね?」
そう言うと、彼女は友人と共に海へと戻って行った。
意外と俺は色んな人から心配されているらしいという事を認識すると、少し不甲斐なくて、とても恥ずかしく思った。
その後彼女達はビーチバレーに興じ、俺は講義中であろう佳晃にLINEでちょっかいを出していた。講義中の筈なのに、何故か即返信が来た。
最後に彼から『まだ居るのか?』と尋ねられたので、『もう一時間くらいは居る』と返すとそれきりメッセージは来なくなった。
仕方無く顔を上げ皆の方を確認すると、もう既にビーチバレーは終了して各々が悠々と時間を過ごしていた。雪は海岸で砂遊び。山田さんはの浮き輪でぷかぷかと海面を漂泊している。
そして心愛も、俺の家にあったネッシー型(ポケモンのラプラス型と言った方が分かりやすいか)の浮き輪に跨って海に浮かんでいた。
因みにだが俺はあれを乗りこなせない。最後に使ったのは中学生だが、バランスが悪くてそもそも乗れないし、上手く乗れたとしてもすぐに不安定になって落ちてしまうのだ。
しかし、彼女は訳も無くそれを操っていた。センスあるなぁ……
すると彼女は見られていることに気が付いたのか、こちらに視線を向けると大仰に手を振った。
俺もそれを見て手を振り返したが、彼女はそれでバランスを崩したらしく勢い良く海に海にダイブした。あまりにも綺麗に飛び込んだものだから思わずふふっと笑いが漏れてしまう。
しかし、すぐに異変に気付く。
彼女は水泳もトップクラスで、この程度の波の海は造作も無く御せる筈である。しかし、理由は分からないが上手く泳ぐ事が出来ずに溺れてしまっているらしい。
その事を認識した瞬間には俺は既に海へと飛び込んでいた。早く彼女の元へ行かなければと焦るが、海水に足を取られて進むのに時間が掛かかってしまう。
海を進むにつれ、水面が胸あたりまで上がって来る。地面を強く蹴り、身体が平行になると、掌を広げ力一杯水をかいた。
心愛の元へ辿り着くと、彼女は既に意識を失っていた。俺の肩に彼女の腕を回しその華奢な体躯を支えた時、初めて溺れた理由を知った。
重い。
その身体は、水中にあるとは思えない程に重かった。
「そうか……っ! 体積が小さくなったから…………っ!」
思わず口を衝いた。浮力は体積に比例する。彼女達は質量はそのまま体積だけが小さくなって居るのだから、予想外に浮力が働かず溺れてしまうのは予測すべき事態だった。
「ぐ……っ!」
全身の力を振り絞りしっかり彼女を背負うと、女子大生一人分の重みがのしかかってくる。
左手と脚で思い切り水を押し返すが思うように前に進まない。焦りが募る。
十数秒で地面に足が着くはずなのに永遠に海岸まで到達しないような錯覚を覚えた。
やばい……力が入らなくなってきた…………
ここで溺れたら共倒れだ。そう思っていても身体は言う事を聞いてくれなかった。
やがて顔を上げて息継ぎする事もままならなくなる。身体に力を入れる毎に息が苦しくなる。
ゴバッ!!
その音が自分の肺から息が漏れた音だと気付くと同時に、俺は意識を失った。
※1 ポケモン――――株式会社ポケモンから発売されているコンピューターゲーム「ポケットモンスター」とそのメディアミックス作品全般、もしくはその作品内に登場する同名の生物の略称。