10 幼馴染の大学生と私達の絆は思ったより深いらしい
「……随分と良くなったみたいだな」
「ああ、心配かけて悪かった」
私と佳晃、そして柚の母親の三人が柚の部屋を訪問した。
去年の三月、その日は眩しい程の陽光が街を照らしていると言うのに、外の空気はまだ少し肌寒かった。三人の服装も厚手だったり薄手だったりまちまちだ。
柚の容態は、冬を過ぎると日に長さに比例して少しづつ良くなって行った。それまで彼の病状が改善されなかったのは、大雪でほぼ毎日太陽が雲に覆われていたせいかもしれない。
「私達に柚の事任せて下さってありがとうございました、お義母さん」
「私だって仕事や買い物で結構外出するからね、あんた達と一緒に世話した方が安心だよ。こちらこそありがとね」
「どさくさに紛れてお母さんをお義母さんって呼ぶな」
柚が突っ込んでくる。昔に戻ったみたいで、嬉しくて涙が出そうだった。
「じゃあ、また来るからね」
「俺もまたちょくちょく遊びに来るからな」
「心愛ちゃんをちゃんと捕まえなさいね! 逃がしちゃだめよ!」
それぞれそう言い残して、私達は帰った。ていうか私許嫁じゃん。やった。
柚の母親は車で来ていたので私と佳晃を家まで送ると申し出たのだが、彼女の家と私達の家は方向が真逆な上結構な距離なので遠慮しておいた。
「ねえっ! 今度一緒に柚んち遊び行こうよ! 明日とかどう?」
「今度が早えなー。別にいいけどさ」
「皆で何しよっか? 麻雀とか?」
「いいね。当然、負けた奴はアイス奢りだよな?」
「その言葉、後で後悔するわよ?」
帰り道、佳晃としていたのはそんな話だ。
彼も私も、嬉しくて、楽しくて……
きっと私達がお婆ちゃんになっても、お爺ちゃんになっても、誰一人欠けることなくずっと一緒に笑っていられるだろう。私達は友達だから……
春の澄んだ空気が、それを伝えてくれた。
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「おもったより、おもいはなしだった……」
雪が声を漏らす。
部屋を静寂が包む中、一人赤くした顔を手で覆い隠しふるふると震えている奴が居た。
「どうしたの?」
「……死ぬ程恥ずかしかったです」
自分で許可した癖に今更恥ずかしがるなんて、男らしくない。
「今のでも結構気を遣って話省いたんだけど?」
「それでも、不甲斐ない事この上ない……」
「じゃあ省いた話も全部言ってあげるねっ♡」
「何でや!」
「いやー不甲斐なかったわよねーうんうん。何だっけ、『生きてる意味が無い』って言ってたのはさっき言ったし」
「あー!! あー!! なーんにも聞こえn……ごふうっ!」
「静かにしなさい! 往生際の悪い!」
五月蝿かったからぶん殴った。後悔はしない。
「あ、そうそう! いきなり泣き出して私に抱きついてきたりしたわよね!」
「いまのおにーちゃんからそうぞうできない……」
「私に膝枕して貰って、一時間くらい頭撫でられながらずっと泣いてたんだから!」
「こ、こんな辱めを受けるとは……くっ……殺せ!」
恥ずかしがる彼を見ていると嗜虐心がくすぐられてしまう。陵辱系の薄い本出せそう。
しかし、私としてはそこまで恥ずかしがる必要は無いと思う。あの時の彼は今からは想像もつかない程壊れていたのだ。そりゃ泣いたりくらいするし、その時たまたま近くに居たのが私だったというだけの話である。
でも近くに居たのが佳晃で、膝枕してなでなでしてる図は見たくないなあ……薔薇感がぱない。私に腐属性は無いのだ。
「ていうかおにーちゃん、なんでそんなにうつだったの?」
「……」
柚はまた顔を手で覆った。
「いーたくない?」と雪。
「いや、その……恥ずかしい」
そう言いながら彼は手を外す。クールなふりしてるけどまだ顔がちょっと赤い。
「今思えば、一笑に付せるような理由だよ」
「大丈夫、人生大概そんなもんよ」
その時当人にとっては一大事だったり或いは人生の岐路のように思えても、他人や、後から思い返せばそうでもない事が殆どだ。
まあ、逆も然りなんだけどね。いつの間にか人生の岐路が過ぎ去っていたというのもよくある話である。ルビコン川は意外と狭い。
「俺、小中高と地元の学校に通ってたんだ。だから心愛とか佳晃とか、昔からの友達も結構居てさ。そのままの感覚で大学に行ったら、孤立してな」
彼の進学した学科は定員が少なかった事も馴染めなかった要因かもしれない。確か、全部で二十人強だった筈だ。
「休み時間は勿論一人だし、研究とか実験の時はいつも爪弾きで、まあ、なに、正直辛かった……」
「ふふ……」
「ここで笑うって結構酷くないか?」
「いや、安心したのよ」
「?」
もっと、私達じゃどうしようもない理由だと思ってたからね。
「忘れないでね。親友の事」
※1 薔薇――――男性同士の同性愛の事。ギリシア神話において、アフロディーテが夫のヘーパイストスに隠れアレスと密会を重ねていた所を息子のエロスに目撃されてしまい、噂が立つのを恐れた彼女は沈黙の神ハルポクラテースに息子の口封じを頼んだ。彼女は御礼として彼に紅い薔薇を贈ったため、薔薇は秘密の象徴になった。古代ギリシアには「男性同士の愛は秘密裏に(sub rosa)育まれる」という表現があり、ここから転じて「薔薇」という言葉が生まれたとされているが、諸説あり。
※2 ぱない――――「半端ない」の略。
※3 腐属性――――男性同士の同性愛を好む傾向の事。この傾向を持つ女子を、「婦女子」をもじって「腐女子」と呼んだ事から、「腐」という文字に「男性同士の同性愛を好む」という意味が付加されたのが由来。
※4 ルビコン川――――共和政ローマ末期にイタリア本土と属州ガリア・キサルピナの境界になっていた川。当時この川より内側に軍隊を連れて入る事は法によって禁じられていたが、ローマ内戦開戦時、ユリウス・カエサルは大軍を引き連れてこの川を渡り、ローマへ向かった。この際カエサルは「賽は投げられた」と叫んだと言われ、この言葉と共に「ルビコン川を渡る」という表現は「もう後戻り出来ないという覚悟の元、重大な決断や行動を起こす」という意味を持つようになった。因みに、実在のルビコン川も意外と狭い。