第7話 東 祐介-アズマユウスケ-
彼はただ一人でゆっくりと時間の限り『生きる』ことに準ずる男。そして両親から未来の、そして期待の生贄となる運命へと彼は導かれるのです・・・
神螺儀小学校には中庭がある。そこまで広くもないが、そこには小さな広場があり、広場を囲うように花壇が八か所置いてある。蓮華にスイセン、沈丁花に女郎花。色とりどりの花に見向きもせず、一人の生徒が中庭にひょっこりと現れた。
―ワンワン!
少年はしゃがんで手招きをすると、叢の中から白い子犬が現れた。
「健一、今日の昼ご飯だぞ」
少年はある生徒に秘密裏に分けてもらった給食の残りを、健一の前に差し出した。健一はすぐさま、お椀の中のカレーライスを貪り始める。それを優しい眼差しで見守る少年の名は、六年二組【東祐介】十二歳。祐介は四年生の春、犬の健一に出会ってから、今の今まで学校の誰にも秘密で犬の世話をしていた。祐介は無口で、誰とも関わろうとしない生徒だ。そして祐介が犬を飼っている事を知っているのは【中村剛】ただ一人。
誰も祐介に興味を示さず、健一も祐介に呼ばれなければ決して吠えることはない為、誰も学校で犬を見た者はいない。
「カレーはお前の大好物らしい。どうだ?」
犬は食べるのに夢中で、祐介のことは一切無視。そんな健一を撫でる祐介はあることを思い出し、ズーンと気分が落ち込んだ。
(ずっとこのまま、隠れて育てるわけには行かない。・・・俺も後一年以内に卒業してしまう・・・誰か代わりに育ててくれる相手はいないのだろうか・・)
祐介は百五十四日後に神螺儀小を卒業し、神螺儀町を離れなくてはいけない。そして一度でも神螺儀町から出ると、一生帰ることはない。祐介はそう思った。自分の未来を決めているのはいつも親だ。親は絶対神であり、抗うなどとうの昔に捨てた。そして両親はある宗教のリーダーであり、次のリーダーは必ず一人っ子である祐介にすると最終的に決めている。一度でも宗教に入ればこの身滅びぬ限り、組織の呪縛から出ることはない。もし祐介がリーダーになったとしても、両親の指示で動かなくてはならない。祐介は謂わば傀儡。このまま死ぬまで親の人形として操られるのだろう。だがこの神螺儀小学校に通っている間だけは自由だ。親とたった一つ約束が出来、親が許せば絶対に反故にされないという東家のルールがある。祐介はそのお蔭で、こうして一人伸び伸びと、学校に生きることが出来るのだ。この自由は、祐介の最初で最後の自由なのだ。だからこそこの【健一】という犬を、誰かに預けたいと思っていた。野生に返すことも考えたが、一度でも人間の手で育てられた動物は、野生で生きていく事は難しい。人の世界と自然の世界では生きていく次元が違う。
(俺は人形として生きていく。けど、お前は違う。自由に選んで、自由に死んでいけ)
―ワン!
「いい返事だ」
祐介は健一を抱き締めた。温かくて柔らかい。愛嬌もある。四年生の時から躾て来た結果、健一は祐介の言うことを必ず従うようになった。だが基本的にのんびり屋の健一は、祐介と一緒に日向ぼっこをするのが好きだ。二人でよく遊んだ。その結果、毎日服が汚れることになったが、祐介は学校で通う間は一人暮らしをしているので、何の問題ない。もちろん一人暮らしをする前に、両親から家事を習ったことで、一人暮らしは然程支障はなかった。逆に少しでも両親から離れ、両親や宗教のことを忘れられることができれば、祐介にとってこれほど嬉しいことはない。親から度々(たびたび)浴びせられる奇声や暴力に日々(ひび)耐え続けるだけだった幼少期。祐介は未だにトラウマとして残っているが、今では思い出すことは殆どなくなった。健一のお蔭だ。そして祐介はより一層、健一と遊ぶことに熱中していくのだった。
―キーンコーンカーンコーン
学校のベルが鳴る。今日の遊びはもうおしまい。別れを惜しむ健一に、祐介は困った顔でこう言った。
「もう時間だ。まだ遊び足りないけど、また明日も来てくれるか?」
―わんわん!
健一は頷くように、元気にしっぽを振った。健一の返事は「はい」だ。祐介はゆっくりと健一から離れると、健一は祐介の反対の方を向いて、そそくさと叢の中へ消えていった。
祐介はまた健一の引き取り先の事を考えた。
(・・・中村に話してみるか)
祐介は帰りにでも剛に聞こうと決めて、小走りで教室に戻って行ったのだった。
彼は神蜾儀の重要人物の一人。そして彼はただ一人の友人(犬)が、自分のいなくなった時どうするべきかをずっと考えるのです。それが彼の唯一の悩み。自分はもう終わってしまう。だからこそ他者の未来が心配なのです。