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カミラギ・ゼロ~神螺儀・零~  作者: Sin権現坂昇神
第一章 邂逅-かいこう-一番
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第6話 杏(あんず)の森

神蜾儀町のはるか昔から逸話のある『杏の森』。犬太と一十三がそこへ向かう時、一体何が起こるのか・・・

その(ころ)一十三(ひとみ)は・・

「ちょ・・・ちょっと!?」

挿絵(By みてみん)

 廊下(ろうか)を走っていた。

「あいつらが目を(はな)していてよかったぜ!」

 一十三はピエーディアと別れてすぐ、開け放たれた窓から(けん)()が廊下に入ってきた。そして一十三の手を()()ると同時に、いきなり走り出したのだった。一十三は犬太に流されるまま、犬太の行動の意味を考えた。犬太はすぐに答えを出した。

挿絵(By みてみん)

「今から『(あんず)(もり)』に行く!十分もあれば大丈夫だろ」

「え?・・・『杏の森』?」

 初めて神螺儀町(かみらぎちょう)に来た一十三は、その言葉に何の感慨(かんがい)()かなかった。バラ科サクラ属の落葉(らくよう)小高木(しょうこうぼく)の杏を辞書で見たことはあるが、果実は食べたことはない。

「はあはあ・・」

そして廊下を犬太の速度で走った結果、一十三は()っ先に息が切れた。一十三は体力が(ほとん)どない。ずっと家で英才(えいさい)教育(きょういく)を受けていた。多少の運動はしていたが、それよりも勉強に力を入れていたことが原因だった。一十三にとって、(つくえ)の上でじっとノートに書き続ける行為(こうい)はとても楽であり、しかし好きではないのだ。犬太は一十三の足が息切れと共にぐらつくのを見て、すぐに立ち止まって後ろを向いた。犬太は(いま)だ階を(もう)スピードで下りても(なお)、息切れせず、(むし)ろまだまだ走り足りない顔をしていた。一十三は犬太が止まったと同時に、ピタリと足を止め、体を曲げて深呼吸(しんこきゅう)した。一十三は走っている間、ほとんど呼吸が出来なかった。それは犬太の速度に合わせていたことで、自分のリズムで走ることが出来ず、呼吸がままならなかったのが原因であった。

犬太は一十三に言った。

「お前、もうきついのか?」

「ひい!」

 自分を(にら)みつける犬太に、一十三はブルブルと(ふる)えながら(おび)えた。犬太は()め息を付くと、一十三から目を()らして釈明(しゃくめい)した。

「・・・(おこ)ってねえから」

「こんなに・・・走った・・・ことない・・・から」

 一十三は息が切れながらも、必死に犬太に伝えた。犬太は一先(ひとま)ず考えた。そして犬太は考えた(すえ)、後ろを向いて(かが)んでみせた。手は一十三の方を向いている。(おどろ)く一十三に、犬太は声を少し(おさ)えて言った。声をこれ以上大きくすると、また一十三が(こわ)がってしまうと思ったからだ。

「ん。・・・・おぶってやるから乗れ」

「・・・うん」

 一十三は一瞬(いっしゅん)強張(こわば)ったが、犬太の好意(こうい)無下(むげ)にすることは失礼と思い(うなず)いた。だがそれと同時に、自分の体重が重かったらどうしようと思った。犬太の背中は()(きず)、切り傷、打撲(だぼく)(こん)などいろいろな傷が刻まれていて、それに負けないようにモッコリと筋肉(きんにく)が体中に()()められている。一十三はゆっくりと犬太に近づいて、ゆっくりと(またが)った。まるで怖そうな動物に、(おそ)る恐る()れる小動物のように・・・一十三は犬太の首に手を回すと、犬太は一十三の足を(つか)んで、容易(ようい)に立ち上がった。自分と同じくらいの年の子を背負(せお)っているにもかかわらず、犬太はこんな重さ、何の障害(しょうがい)にもならないような顔を見せ、一十三は(良かった)と心の底から思った。そして一十三は初めて男子の(はだ)に触れて思った。

(すごく固くて・・温かい・・・)

 一十三は目を(つむ)って、犬太の肌を、(ぬく)もりを感じた。じっと動かない一十三に、犬太は用心(ようじん)のために言った。

「よ~く(つか)まっとけよ。(ふる)い落されねえようにな、(さくら)

「・・・うん」

 一十三は犬太の言ったように、足を犬太の(こし)にしっかり(から)め、手もしっかりと犬太の首に固定した。一十三は犬太の(むね)鼓動(こどう)を感じ取った瞬間(しゅんかん)、自分の胸の鼓動がより一段と動きを()したのを感じた。

(・・あの時の感じだ)

 一十三にとって異性と密着したことはこれが初めて。だがそれだけではないと思った。また別の何か。ほんわかする気持ちがより一層大きくなった。

「行くぞ!」

 犬太は(いきお)いをつけるために、手をつかない軽いクラウチングスタートの構えを取った。そして一気に走り出した。

「!」

 一十三はびっくりして、必死に()り落とされないように犬太にしがみついた。風が犬太を通して、一十三の(ひざ)(うで)(かみ)の毛を通り()ぎた。その時。さっきよりも犬太の顔と一十三の顔が密着して、(すご)まじいほどの胸、いや体全身に鼓動が(あふ)れ出した。そう感じている間にも犬太のスピードは(ゆる)むことなく、(かぜ)抵抗(ていこう)重力(じゅうりょく)があるにも関わらず、それに(おと)ることのない速さで学校を()け抜けていく。

「まだまだあ!」

 犬太は(さら)にスピードをあげようとしたが、両腕(りょううで)(ふさ)がれているために思いっ切り走ることが出来なかった。犬太が廊下を走り去った後から突風が吹き()れ、廊下にいた生徒達を一気に()き込んだ。

女子「きゃー!」

男子「うおおお!」

 多くの女子のスカートが一斉(いっせい)(めく)りあがり、それを見た数人の男子達がスカートの中を凝視(ぎょうし)する始末(しまつ)。この後スカートを見た男子がどうなったかは言うまでもない。


 しばらく走っていると、グラウンド地点から犬太の息が段々(だんだん)(あら)くなっていった。自分とほぼ同じ体重を、一人で(かか)えて全力(ぜんりょく)疾走(しっそう)しているのだから当然である。(ちな)みに犬太の走行(そうこう)距離(きょり)は現在二・五キロを()えた。一十三は犬太の荒い息が()こえたことで、その原因が自分にあるのだと(さっ)した。

「あ・・・あの・・・」

 犬太は耳が良いので、一十三の声を瞬時に聞き取った。だが自分が(つか)れていることが知られたのかと思い、荒い息を(しず)かにしてから強がって言い返す。

「あ?・・・(しょう)せえから聞こえねえよ、はっきり出せ!」

「!・・・えっと!・・・あの・・・」

「あ?」

 一十三は犬太の怒りに()ちた声にビクビクと怯えるが、犬太は話している最中(さなか)でも息が荒くなっていき、更に顔から(あせ)が出始めた。そんな犬太を見て、怯えているどころではないと感じた一十三は、必死に(のど)(おく)から『言葉』を一気に引き上げた。

「重くないですか?」

 今までで一番大きな一十三の声を聴いた犬太は、少し言葉を選んで答えた。

「そんなに重くねえな・・」

「でも・・きつそう・・・」

 一十三は犬太がムキになって言っているのだと思った。すると犬太は「ああ」と、何かを思い出したように、ニヤリと笑って言った。

「授業中に葉山と(おに)ごっこしてたからな」

 葉山とは、本名(ほんみょう)葉山(はやま)覇郎(はろう)(まる)】三十一歳。この神螺(かみら)()小随一(しょうずいいち)の筋肉バカで、いつも(ひま)さえあれば筋トレをしている。そのお(かげ)で肌は黒光(くろびか)りしていて、体中に風船(ふうせん)のように(ふくれ)れ上がった筋肉をしている。本人は今の自分の体に、自信と(ほこ)りを持っている。

(きわ)めつけは犬太に強い敵対(てきたい)(しん)()やし、問題があれば一目散(いちもくさん)に犬太を追いかけ、体罰(たいばつ)しに行くのだ。だが覇郎丸は事務員(じむいん)という仕事上(しごとじょう)、中々犬太と戦うことがないことを残念に思っている。犬太と覇郎丸が戦闘(せんとう)を行えば、その(まわ)りにあるものが滅茶苦茶(めちゃくちゃ)にされる。それを恐れた教員達は、犬太との戦闘を減らすため、覇郎丸を事務員に任命(にんめい)したのは正解だった。だがその結果、犬太の非行(ひこう)はより一層増えることになるのだった。


そして今日の一時間目から覇郎丸は、学校の見張(みは)(ばん)という仕事をヒマそうに(いそし)しんでいた。そんな時に四階の教室から、生徒達の悲鳴(ひめい)が聞こえたのだった。

大原(おおばる)がまた(あば)れた!

 その声を聞いた途端(とたん)、覇郎丸は「今だ!待てぃ、犬太!」とばかりに仕事を放棄(ほうき)し、犬太を追いかけていったのだった。それから三時間くらい、二人はグラウンドの周りを走り回っていたとのこと。


 一十三は不思議(ふしぎ)そうに犬太に言った。

「本当に暴れたの?」

 一十三も自分が言った言葉に、何の(おび)えも恐怖(きょうふ)束縛(そくばく)もないことを感じ取った。一十三は(だれ)かにおぶって(もら)いながら、会話したことはこれが初めてであり、本当に自分の言葉が相手に伝わっているが不安であった。だがそんな気持ちは、犬太にとっては杞憂(きゆう)そのものであり、犬太の耳の前ではどんなに不安定(ふあんてい)な音、小さな音でもしっかりと聞き取ることが出来る。犬太はヘラヘラと笑って答えた。

「暴れたっちゃ、暴れたな。・・・いつも(たか)(がみ)って奴に大人数(おおにんずう)(いじ)めてる奴らがいたから、そいつらぶっ飛ばしてたら、葉山がやって来て久しぶりだから遊んでやったぜ!」

挿絵(By みてみん)

(たか)(がみ)高鬼(こうき)】十歳。四年生でいつも新品の服を着ているが、その服を気に食わない上級生をリーダーとした、十人(じゅうにん)(ほど)のいじめっ子に虐められている。性格は臆病(おくびょう)で、いつも他人に怯えながら生きている。親が金持ちでランドセルから鉛筆(えんぴつ)にかけて、あらゆる道具が高級品である。その高級品がいじめっ子の前では恰好(かっこう)の的になってしまった。だがそんな高鬼を見てイライラしていた犬太は、いつも高鬼を助けては「強くなりたくねえのか」と問いかけていた。だが高鬼の答えはいつも、「僕は君みたいに強くなれないよ」と返すばかりで、そこから進展した試しがない。犬太は十対一でも負けず(おと)らず、終始(しゅうし)優位(ゆうい)に立っていた。相手がどんな武器を持っていようが、犬太は「そんなものは必要ねえ」と寧ろ楽しそうに遊んでいた。事実、武器相手でも負けることはなかった。多少の傷は残るが、犬太にとってはある意味(いみ)勲章(くんしょう)のようなものらしい。

「貴神さんを助けてくれたの?」

「ん?・・・まあ他の奴らから見たらそうなんだろうが、俺は単に抵抗もしねえで、ボコボコにされてるのが気に食わねえだけだ。他の奴がボコボコにされても、同じように助けただろうよ」

 一十三は犬太が誰かを助けるために、一人で立ち向かったことを知ると、(うれ)しそうに微笑(ほほえ)んだ。犬太にとっても、こんなこと言ったのは一十三が初めてであり、少し気恥(きは)ずかしくなって、目線を前方に集中した。

「何笑ってんだ、お前?」

「え・・・あ・・・ごめんなさい」

 やはりまだすぐに(あやま)ってしまうことが、一十三の弱い所であり、犬太はすぐ指摘(してき)した。

「謝んな」

「・・・はい、・・・あの・・・大原君が悪い人じゃないって分かったら、なんだか嬉しくて・・・」

 犬太は一十三をしばらく見ていたが、溜め息を付くと(つづ)けて言った。

「俺はただ自分勝手(じぶんかって)にやってるだけだぞ」

「ごめ・・あ・・・いや・・・」

 すぐに謝ってしまう一十三を見て、犬太は「まあいい」と流した。すぐに直せる人間はそうそういない。いろんな人間を見て、犬太も少しは人間という生き物を理解している。

「後、俺のことは犬太でいいぜ。その方が呼びやすいだろ?」

「・・・はい、・・・おおばじゃなくて・・・犬太君」

 下の名前で呼ぶ。たったそれだけで一十三の心はざわざわと揺蕩(たゆと)うた。犬太も少し照れたように、(ほお)を赤く染めた。

「犬太様の方が良かったか?」

「え・・・じゃあ・・・犬太様?」

「別に冗談(じょうだん)だから気にすんな。犬太でいい」

「あ、はい」

 他愛(たあい)もない会話が続く中、犬太と一十三は無事学校の正門(せいもん)()けて、道路を(また)いだ先には広大(こうだい)な森が広がっていた。名は【神螺(かみら)()(もり)】と言って、(はる)か昔から(ほとん)ど変わっていない。果物もバナナや(なし)枇杷(びわ)映日果(いちじく)、他にも多くの食用植物があり、よく薬に使うために薬屋に働いている人も、よくそこに立ち寄っている。動物もいるが、数百年に(わた)って神螺儀に来た渡来人(とらいじん)(たち)尽力(じんりょく)によって、動物が人に(なつ)くようになっていたらしい。森の動物は人に攻撃してこない、または不用意に略奪(りゃくだつ)しない場合以外の被害(ひがい)は少ない。【神螺儀の森】は、神螺儀町の三分の一の面積を()めているが、災害が起こり、町に甚大(じんだい)な被害が及んだことがほとんどない。それは昔、神螺儀を(おそ)おうと何百万の大軍が襲ってきたが、【(あんず)(みこと)(かみ)】がその軍勢をたった一人で(ほふ)ったことで、その森を【杏の森】と呼び、その中心部に【(あんず)(みこと)(ほこら)】を建てた。町の人が【杏尊】を(とうと)び、いつまでも守ってもらうために作ったとされていて、【杏尊】は神螺儀町を妖精(ようせい)のような姿で、元気に飛び回っているらしい。犬太の暮らした場所と杏の森とは反対方向で、犬太の場所の森は、(いま)だに黒こげになった場所が点々と残っている。

犬太と一十三は神螺儀の森に入ると、少しずつ【杏尊の祠】に向かって行った。森の(しげ)みを()き分けること数十分。一十三は(つい)に犬太に質問した。

「・・・何時(いつ)()くの?」

「葉山のやつがいなけりゃ、もっと早く着けたんだけどな・・・っと、もう着くぞ桜。歯あ食いしばれよ!」

「え?・・・きゃあ!」

 犬太は全体重を両足で()みしめると、勢いよく飛び()ねた。前方に見える三メートル級の緑の花の群生(ぐんせい)地帯(ちたい)が、飛び跳ねたとともに(すご)い速度で、犬太の足元に移った。自分は今、高さ五、六メートルの高さを()んでいるのだ。一十三は時間が止まったような感覚に襲われ、下から見える(みどり)の花にうっとり見惚(みと)れていた。緑と言っても様々あり、黄色っぽい緑、()い緑、緑に見えない緑が大地の絨毯(じゅうたん)の上に(いろど)られていた。どんな名前の花だろうか。花の(かお)りはどんな感じだろうか。一十三は杏の森を忘れ、緑の花に心も視線(しせん)(うば)われていた。

「桜!歯ぁ食いしばれ!」

「・・・え?」


―ドサーッ!


犬太の言葉で我に返った一十三。一十三が気づいた時には、(すで)に緑の花から遠く離れた場所に着地していた。着地時の衝撃(しょうげき)は、発条(ばね)となった犬太の体が緩和(かんわ)させて、一十三にかかる衝撃が(ほとん)どなかった。(むし)ろ跳んでいた時に生まれた風がとても心地(ここち)よかった。

「よぉーし、到着(とうちゃく)!」

 犬太はずっと一十三を支えていた両手を、勢いよく空に()き上げた。と同時に、一十三の足は自然に地面に着地した。一十三はぐるりと緑を見渡(みわた)して、自然と言葉が()れた。

「ここが・・・犬太君の行きたかったところ?」

「あたぼうよ!」

 満面(まんめん)()みを浮かべた犬太が振り向いた。一十三はそれを見て、更に心臓(しんぞう)のドキドキが高まった。一十三は()ずかしくなって、犬太の顔をすぐに逸らすと、森をもう一度見渡した。鬱蒼(うっそう)()い茂る緑に、一十三の(こし)くらいに細長い雑草(ざっそう)、そして大きな木が点々と、太陽(たいよう)を浴びるように広がり立っていた。犬太は一通り周りを見渡すと、一十三を呼んで目の前にある大木(たいぼく)の前に案内する。

「これが【(あんず)(みこと)(ほこら)】ってやつだ」

「(これが・・・)」

 神様などを(まつ)る場所、それが祠。辞書で調べた一十三だったが、具体的(ぐたいてき)なことは分からなかった。だが実際見てみると、大木にぽつんと(たたず)んでいる様子で、大きさは一十三の少し低く、鏡開(かがみびら)きに開かれた木戸(きど)の中には、更に小さいお地蔵(じぞう)(さま)(まつ)られていた。

「・・・小さい・・・ですね」

「まあな、そんなに大きくする必要もないとかなんとか。まあ別にそんなことは関係なくて、問題はこれだ」

「?」

 犬太が指差(ゆびさ)した先にあるもの。それは・・・

「・・・・・(つばさ)がある」

 犬太の指差した木の方を見た。一十三の目に映るものは、背中に翼を生やした小さな人間だった。要約(ようやく)すると妖精(ようせい)のような・・・何か。だが犬太が指差した方向は、一十三が見ている場所よりももっと上の(みき)で、その幹には翼を生やした人の姿が(えが)かれていた。人が手を加えたわけでもなく、自然が作り出した『幹の絵』だ。犬太はその絵を見て、(ほこ)らしげに説明した。

「そう!これがこの【杏尊】って奴がすげえっていわれる所以(ゆえん)だ。俺も見たことねえけど昔の人は【杏尊】は妖精だって伝えられてたんだ」

「・・・それで?」

「?・・・どうした」

 まだ犬太は一十三が別の方を見ていることは知らない。そして一十三の目に映る妖精は、一十三を見ることもなく、翼を使って飛ぶこともなく、木の枝に座ったまま動かなかった。

「・・・これがどうかしたの?」

「ああ、そうだな。この【杏尊】ってやつは特別な力があったらしいんだ。その力は


《弱きもの、強さを知り、覇者(はしゃ)となる》


と言って簡単に説明すると・・・」

「強くなれるんだね」

 犬太の思考(しこう)能力(のうりょく)上回(うわまわ)る一十三はすぐに理解した。

「お前を手っ取り早く強くするには、これが一番かと思ってな」

「強く・・なる?」

 自分が強くなる。そんなこと思いもしなかった。こんな弱い自分が何をどうすれば強くなるのだろう。だが犬太は至極(しごく)当然(とうぜん)のように続けた。

「今のお前じゃ周りから()められっぱなしだろ?お前見てると、お前の心と体も反発っつうかなんつうかまあ・・・上手(うま)くいってないんじゃねえかなって思うんだ」

「・・・よく(わか)らないよ、犬太君」

 犬太は手を大げさに振り回しながら一十三に(うった)えた。だが頭の回転が速い一十三でも、犬太の説明は抽象的(ちゅうしょうてき)で解りにくい。だが犬太自身、自分の心に(うず)くモヤモヤした何かを、どうやって相手に伝えればいいかを考え(あぐ)ねいていた。

「俺だって解んねえよ。でも今のままじゃ、お前はもっとダメになっちまうんじゃねえかって思って・・・」

「私を心配してくれるの?」

 犬太は一十三の言葉に大きく動揺(どうよう)するかの(ごと)く、顔が()()になって否定した。

「ち、ちげえって!俺はただ今のお前を見てっとすげえイライラするんだって!」

 激しく動揺する犬太を見て、一十三の顔が少し(ゆる)んだ。まだ私を心配してくれている人が()る。どこにも居場所(いばしょ)がなかった一十三にとって、それはとても大きなことだった。家に帰っても稽古(けいこ)、稽古、稽古・・・今まで何千、何万の稽古をやらされて思ったことは、自分には何も合わなかった。ただそれだけだった。やればやるほど苦痛に変わり、体も心も少しずつ(やつ)れていく姿に、自分は一体どうなるのだろうと悲観(ひかん)してばかりだった。そんな一十三にとって、犬太の存在は大きな・・

「太陽みたい・・・」

「は?・・・何が?」

「!・・・あ、え・・・っと、・・・犬太君って太陽みたいだなって思って・・・や、やっぱりおかしいよね・・・ごめ」

「太陽か・・・良いな」

 自分の言葉に動揺して狼狽(ろうばい)する一十三に対し、犬太の心はスーッと清々(すがすが)しくなった。そして犬太は太陽を見上げて言った。

「俺さ、ガキの中のガキの頃から太陽を見ることが出来た。すげー大きく見えて。()ん中で、よく太陽を間近(まぢか)で飛び回ってるんだ。・・・だから・・・いつの間にか好きになった」

「・・・」

 一十三はいつの間にか落ち着いて、静かに犬太の言葉に耳を(かたむ)けていた。犬太は太陽の話になると、目をキラキラと輝かせて語った。太陽を直に見ることは、目に甚大(じんだい)な障害を残すとされ、人間は色んな道具を使った上で太陽を見る。

「親(犬太を拾い育ててきた(ひぐま))よりも、ずっと見ることができたからって、どうだってわけじゃねえけどな。お前が言った通り、もし本当に太陽だったらいいな」

「・・・」


(もう、私にとっての太陽だよ)


 そう。早く言いたい。

 早く伝えたいのに、(のど)の中にある何かが邪魔(じゃま)をする。

 一十三は手をギュッと(にぎ)()め、必死に力を()めても(いま)だに(のど)から先が出ない。

  また、前の自分に戻ってしまう・・・

「あ・・・・・・っ」

「ん?どうした。(なん)か言いたいのか?」

 犬太が心配(しんぱい)して一十三に声をかけてきた。一十三もそれに答えるように声を上げる。

「・・・・」

 だけど言えない。あのセリフを言いたいだけなのに、どうして私はこんなに苦しいのだろう。その理由が解らない。でもこれだけは解った。それは転校初日までの、相手に対する巨大な(かべ)のようなものじゃない。少しでも知っている人であり、少し気になる人。そんな相手に対して、一十三の心はどこか恥ずかしかった。あのセリフのどこが恥ずかしいのか。自分でも、何度も頭の中で考えたが見つけることが出来なかった。

「おい・・・本当に大丈夫か?」

一十三の顔がどんどん赤くなり、呼吸も荒くなっていく。汗もポツポツと顔に表れ始めた。

「はあ・・・はあ・・・はあ・・・」

 犬太が一十三の異変に気づいて体を()らす。だが一十三の異変は収まることはなく、一十三の頭の中はまるで(あらし)のように()(くる)っていた。


―早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ早く言わなきゃ・・・・・・・・・・・

 

 早く言わな


―プツンッ


 一十三の頭が、身体(からだ)がついに限界を(むか)えた。そして糸が切れたように、全身の力が抜け、その場で(くず)れ落ちる一十三を、犬太が咄嗟(とっさ)(かか)え上げた。一十三の異変に犬太は(あわ)てつつも、それ以上に一十三の体を心配した。

「おい、全然大丈夫じゃねえじゃねえか!・・・熱中症(ねっちゅうしょう)か?」

 『熱中症』は、運動や、暑い所に長い間いると、体が熱くなって、頭がくらくらしてしまい、放置(ほうち)すれば死に(いた)る病気だ。犬太は体温を(はか)るため、一十三の(ひたい)に自分の額をくっつける。そして驚いた。犬太でさえ()()げてしまうほどの一十三の額・・いやそれだけじゃない。体全体が熱を()びている。今でも燃え上がりそうな勢いだった。一十三は自分の体が知らない間に、()れない長時間(ちょうじかん)()()りに身体が(まい)ってしまったのだろう。

「やべっ、早く学校に(もど)って休ませねえと!」

 犬太は太陽を見て、もうすぐ後半の授業が始まることを思い出し、【(あんず)(みこと)】のことなど(わす)れて、一十三を背負(せお)ってそそくさと学校へ戻っていった。

 

その一部(いちぶ)始終(しじゅう)を見送る少女が一人。木の枝に座って、足をブランブランさせる少女はとても小さく、そして羽が()えていた。一十三だけが見ることが出来たその少女は、樹液(じゅえき)美味(おい)しそうに飲んでいた。

「・・・」

 樹液を()めながら、一十三を(なが)めていた少女は、笑みを浮かべて言った。

「いいもの見~つけた♪」

 一十三が何故(なぜ)少女(しょうじょ)(じか)に見ることが出来たのか。何故少女に驚きもせず、ただ普通(ふつう)に見ていたのか。一十三の(なぞ)がまた一つ・・・

ここまでが起承転結の『起』。そしてここからがどんどんと話が進んでいきます。気を引き締めていきましょう!

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