第2話 転入生
極度の人見知りの少女一十三は一体どうなってしまうのでしょうか・・・教師河志野浩司の手腕が試されます。
針時計の針が「8」と「50」を差した頃、五年二組の教室は今の所、誰一人口を出すものはいなかった。普通ならこの後、担任の浩司が適当に話す間に、九時のチャイムが鳴って、一時間目の授業が始まる。・・のだが、今日はそれとは少し違っていた。浩司は教壇の角に体重をかけるよう手を乗っけると、こう言った。
「今日は初の五年生だが、お前らに転入生を紹介する」
クラスの大多数がひそひそと響めき始めた。神螺儀の子供にとって転入生という言葉は、初めて耳にする者が多いのだ。言葉を知らない訳ではない。ただ転入生を見たことがないのだ。十年に一度あるかないか。一体どんな物好きがこの町にやってきたのだろうかと、生徒達の静かな考察が始まった。
「・・・」
その中で唯一、グラウンド側の一番後ろの席に座っていた犬太は、不満げな顔でずっとグラウンドの方を見つめていた。そして犬太の席は周りの生徒と距離を置くように、ずっと後ろにある掃除用のロッカーに、自分の椅子が当たるくらいの場所まで席を下げていた。これは犬太が勝手にやったことで、あくまで一人でいるという意思表示なのだ。それを他の生徒は黙認し、以降クラスの中で犬太に声をかける者は少ない。救世主の剛と、担任の浩司を除いて・・・
生徒達は小声で隣の席の生徒と話し始めた。怒ると怖い担任の視界の前で話すことは、厳しい浩司の説教タイムの始まりとなるはずだが、初めての転入生という言葉にそんな不安は吹っ飛んだ。
「男子?」
五年二組の女子が一斉に質問をぶつけるが、浩司は首を横に振って否定した。
「女子?」
五年二組の男子は浩司が横を振ったことで、選択肢は一つとなったことを確信して質問した。
「まあ、そうなるわな」
河志野の言葉に男子は一斉に歓喜の叫びを上げ、女子は溜め息を漏らした。浩司は生徒達を「分かったから黙れ!」と言って宥めると、早速転入生を迎えに教室を後にした。
その間クラス内で、どんな奴が入ってくるのか審議を開始した。
―ガヤガヤガヤ・・・・
浩司が教師にいなくなったことで、話し声が段々と五月蠅くなっていった。何人か席を立ち、親しい友人と一緒に会話が始まる中、犬太はゆっくりと席を立った。
「おい、犬太。どこ行くんだよ」
犬太の前の席に座っている男子生徒【安浦靱八】は言った。靱八は犬太に興味があるらしく、事あるごとに犬太に突っかかる。だがそれ二言以上言うことはないため、犬太は適当な言葉を置いて去っていくのだ。今回もそれと同じ。
「・・・別にどこだっていいだろうが」
犬太はそう言うと、既に開いてあるガラス窓から抜け出して、どこかへ去って行った。だが五年二組の生徒は犬太を止めることなく、転入生をイメージするのに必死になっていた。剛は犬太を追いかけようとして席を立とうとするが、剛の周りの生徒から制止され、そのまま会話に参加する羽目になってしまった。彼らは意図的に剛を犬太から遠ざけようとする、犬太を無視する派閥・『無視派』である。関わらなければ何も起きないし、巻き込まれることもない。確かにそれは真実であり、誰にも咎められることはないだろう。
(また阻まれた・・・!しかもしっかりと私を逃げられないようにして・・・)
行動派の剛にとって無視派の生徒とは相容れぬ関係であり、よく無視派の妨害行動により犬太に逃げられてしまう。今回は更に徹底して円陣を作ることで、剛を完全に閉じ込めることに成功した。
犬太が教室を去ってから一分が経った。
―ガラ・・
戸の軋む音で、生徒は一気にドアの方に釘付けになった。そこに犬太はいない。最初に入ってきた浩司は、まずそこに着目した。
「おい、連れてきたぞ。・・・あれ大原は?」
「・・・それが・・・」
手を挙げた剛の顔を見て、大体のことを察した浩司は残念そうに言葉を零した。
「またか・・・」
犬太は授業にほとんど顔を出すことはない。朝礼を除けば、ずっと学校の屋上で寝ているのだ。そして今日も同じように屋上に行った。剛と浩司は、犬太が五年生になった初日で途中退出するとは思わなかったのだろうが、その予想はすぐに外れた。「まあ後で見に行くか。・・・おい、入ってきていいぞ」
浩司は犬太よりも転入生を優先させることにした。
―ガラガラガラ・・・
トボトボと周りを見渡しながら入ってきた少女。
クラスは静かに少女の方を凝視した。それと同時に浩司は、黒板に白いチョークで大きく何かを書いた。
〝桜一十三〟
「桜一十三?」
クラス全員がなぞる様に言ったが、浩司は大きな声で忠告した。
「さくらひ・と・みだ。もう間違えるなよ!」
―ハーイ
生徒達は棒読みで答えたが、一十三を見るや怒涛の質問の嵐が始まった。
「ねえねえ何が好きなの?」
「好きなタイプって誰?」
「どこからきたの?」
「好きな食べ物は?」
「名前の由来って何?」
「好きな・・・・・」
「」
「」
「」
・・・
もちろん生徒達に悪気は無いのだろう。だが一十三にとっては限界だった。
「!?」
―ガラララ
「おいちょっと・・・」
一十三は雪崩のように迫りくる生徒達に居ても立ってもいられず、脱兎の如く教室を飛び出した。百年物の木製の戸はその勢いで、ガタン!ガタガタと大きく弾んだ。若干罅が大きくなったようにも見える。
「・・・どうしたんだ?」
生徒達はあっけらかんとした顔で、何故こうなったのかが終始解らなかった。浩司は大きく溜め息を付くと、生徒達を睨みつけて叫んだ。
「そんな同時に言ったら、そりゃ怖くなって逃げるだろうが!」
「!・・・そうか」
生徒は漸くそれを理解して慌てた。
―どうしよう
―どう謝ろう
―もう話せないのかな
―何て事をしたんだ
生徒達は忽ちガックシと肩を落とした。その中で剛は勢いよく机を叩いて席を立った。
「私が探してくる!」
「そうだな、頼む」
浩司は剛に肩を叩くと、他の生徒達も次々に手を挙げて言った。
「俺も!私も!」
「お前らはここで待ってろ。あと桜を連れてくるまで、ちゃんと考えとけよ。どうやって謝るか!」
「・・・うん」
生徒達は浩司の言葉を聞いてしゅんと大人しくなった。剛と浩司は生徒達を一瞥すると、早速お互いが反対方向から探し始めた。
その頃一十三は無我夢中で学校を走っていた。もちろんこの学校は初めてで、一体どこに行ったらいいか見当もつかない。だが一十三はあんな大勢の場所からいち早く逃げたくて、必死に走った。それからどれだけ階段を上がったであろう。そうこうしている内に、立ち入り禁止の看板の前に立っていた。一十三は禁止の看板を容易に飛び越えると、目の前の扉を開け放った。あの場所から少しでも遠くに行きたかった。
そして「ドッ」と風が一十三の全身を通り抜けていった。
「ここは・・・」
一十三はここが屋上であることをようやく理解した。そして少しずつ歩き始めると、行き止まりフェンスの前で、日向ぼっこをするように仰向けで寝転がっている、上半身裸の少年を発見した。
「・・・あ・・・あの・・・」
「・・・ああ?」
震える声を出す一十三に、少年は寝転がったまま一十三を睨みつけた。彼の名はさっき教室を窓から逃げ、そのまま屋上まで壁伝いに移動した【大原犬太】であった。
逃げた先にあるものは一体・・・光り輝く少年は何者?