第CXLvii話 行篤の思惑
龕之行篤と言う男、端的に言えば心が狭い男である。
それ故、親に植え付けられた教育と、愛する妻と培ってきた愛を両立させることが出来なかった。
行篤自身も解っていた。己がどれほど小心者で、多くの妖怪を戦い続けることで妖怪とは何かを考えないようにしてきた。
解っていた、だからこそこんな安易な妄想に縋ったのだろう。愚かで弱い自分を否定するために……、
真っ黒な玉。まるで積もり積もった負の感情が凝縮してできた漆黒の太陽のように、主の前で浮いていた。主の名は龕之行篤、親から妖怪憎しの教育を受けてきたことで絶対的な妖怪排除主義者へと成長した。そんな中で妻である新月と出会い、少しずつ妖怪のことをただの悪ではないことを教えられてきたが、新月が鋼月麻呂と満月を産んで死んだ時、ある仮説を立てた。
(満月は優秀な退治屋の力量であり、鋼月麻呂は天才だが病弱で長く生きることが出来ない。もし鋼月麻呂が新月の腹から生まれた妖怪だとしたら、満月の生命力を全て奪って生まれ落ちたんじゃないだろうか。そして漸く産まれたはずが、満月の退治屋の本能により鋼月麻呂が危険と察知して、鋼月麻呂が産まれた瞬間に力を奪ったのではないか……)
新月が死んだことで、今まで止まっていた妖怪憎しの記憶が行篤の脳裏に蘇った。それからというもの行篤は鋼月麻呂を監視しながら、自身の力を奪った満月を攻撃する隙を与えないようにした。こうして行篤は新月の願いよりも長く刻み込まれた親の教育に舵を切ったのだった。
だが、ある日を境にその両親の教育すらも覆す事態が起こった。
「儂が……妖怪だと……」
行篤が千代の娘、永禮千代子の作戦によって妖怪にされた事件である。行篤の他にも妖怪にされた頬廼城市の住人達がいたが、行篤や満月を含めた退治屋によって全て殺された。その後、行篤は退治屋としての責務として妖怪化する前に自分を殺すように、生徒である投槍歩に懇願した。歩もそれに応じて殺した、そのはずだ……。ではなぜ儂と歩と一松範という下っ端が妖怪として生き残っているんだ……? 歩が殺さなかった? それとも歩が殺そうとしたところを範が止めた可能性も……?
いや、もう――どうでもいい。妖怪になった時点で、堕ちた時点で……、
「儂の人生はもう、終わったのだ……。何もかも全て――」
行篤は目を閉じる。両親の記憶を思い出すように……。
母は「妖怪は私の母様父様長老様や私の子供たちを大勢殺した。絶対に許しては駄目」
父は「殺せ。全て狩り尽くせ。お前の力はそのためにある。お前の人生は全て妖怪を殺し尽くすために捧げるのだ」
父様、母様。私はどうしたらいいのでしょうか。妖怪に堕ちた人間は一体どうしたら……。
行篤は目を開ける。行篤の前方に漂うのは黒き球体。その球体の先にあるものは……、
「父上……」
「鋼月麻呂……」
そこに現れたのは、黒き球体から飲まれたはずの河志野浩司の後ろ姿であった。だが浩司の話し方が違う。これではまるで……。行篤は自分の思惑通りに言ったにもかかわらず苦々しい顔のまま言葉を進めた。
「お前ならやれるだろうと思ったからだ、鋼月麻呂」
「……浩司はどこですか」
鋼月麻呂は一体何が起こったのか解らず気が動転しているようだ。声が震え目を開いたまま止まっている。
「この球体に入って死んだ。今のお前は失くした肉体と手に入れた正真正銘、生きた龕之鋼月麻呂だ、喜べ」
「喜べるわけ!」
「浩司はただの器でいい。今やお前は浩司の岩化能力まで手に入れた。ある意味最強といっていいだろう。元々天才だったお前にとってはいらぬ力かもしれんが……」
ギィっと父を睨む鋼月麻呂の目は涙で潤んでいた。やっと相棒として共に戦えると思っていた友を失った悲しみは、鋼月麻呂自身想像もつかないほどに深かったようだ。行篤はため息混じりに続けた。
「儂は正直に言えば、お前になど頼みたくはなかった。新月の死は明らかな意図がある。その原因がお前だからだ、鋼月麻呂」
行篤の言葉が鋼月麻呂の背中に無数の矢となって突き刺さる。自分がずっと思っていたことをこの父親に言われるのだから当然だ。体全体が罪を受け入れ生きてきた。何も言い返さない鋼月麻呂に行篤はため息混じりにこう続けた。
「だが今はお前しかいない。天才であるお前が完璧な状態で千代に勝つこと。これが今の儂の願いだ、頼む」
そう言って行篤は頭を下げた。……身勝手すぎる。相談もなしに相棒を殺し、今更天才を持ち出して全てを託そうとする。身勝手で傲慢な父親、それが龕之行篤という元人間なんだ。今更どの頭下げて――。
「鋼月麻呂、時間がない」
「……っ!」
行篤の最後の一押しが聞いたのだろう。鋼月麻呂は考える間もなく、そのまま千代の場所へと走り出した。前もってこの修業の場を作った狸妖怪・丼卦盛に教えてもらった出口へ向かって、鋼月麻呂は一切後ろを振り返ることなく走り去っていった。
鋼月麻呂が完全に去ったのを確認すると、行篤の元生徒である歩が切り出した。
「本当にこれでよろしいのですか? 先生」
戸惑いながら問いただす歩。これは歩にとっても想定外の事態だった。行篤と範とたてた作戦では最後の試練で完全に浩司と鋼月麻呂の二心一体かを試すものだと聞いていた。浩司を殺して浩司の身体を奪うなんて聞いていない。歩の問いを予想していたのか行篤は一息ついて答えた。
「ああ、時は既に満ちた。浩司が儂の言うことを聞いていればいいのだが(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)……」
行篤の言葉に歩が眉を顰めた。
「それはどういう……」
「ああ、隠していたが、これが儂の最善手……というのが建前で、本音は鋼月麻呂に行う最後の嫌がらせだ」
「いやがらせ……?」
行篤の意図が読めず、今までの行篤の言動を準えながら推理を始める歩。そんな歩の傍らで歩と行篤の会話を耳にしながら意味を掴めていない筋肉男・一松範はどうでもよさそうに腕を組んで空を見上げていた。妖怪によって作られた鍋蓋の世界は、今どこか重苦しい空気が漂っていた。
その頃、千代の腹の中では……、
「やばいやばいやばいってーーー!!!」
千代に全ての力を吸われようとしている仲間の杏を助けるため馳せ参じた滝川サラスティア。が、どれだけ必死に引っ張っても杏に巻き付いている無数の千代の血管が取れずにいた。この血管に触れたら最後、全生命力を吸われるまで離れない。サラスティアは自身を守る防御技を使っているため大丈夫だが、杏は助けに来た時点で既に血管に体中を巻き付かれている状態だった。これでじゃあどうすれば……。
と思ったその時、
「がおぉぉおおおおおーーー!!!」
下の方から大きな雄叫びと共に、一匹の大きなツキノワグマとその背中にちょこんと乗った指人形の海獺の姿が現れた。
この回を書きながら、ずっと行篤について考えていました。新月と言うまさに元気っこと出会い、変わろうとするチャンスが何度かあった彼が、結局今こうして息子である鋼月麻呂に対し、最後の嫌がらせを行っている。大人としては恥ですが、これが行篤にとっての足搔きなのかもしれません。親に植え付けらえた教育は簡単には消えることではありません。長い年月を経ても行篤を蝕み続けるでしょう。ですが、これは行篤の問題です。行篤自身が一歩、一歩を踏みしめて変えていかねばなりません。行篤はこの戦いでどう変わっていくのか。それを一番近くで見守る歩が少し羨ましく思う作者でした。
……と、長い話は後にして、もう六月ですね。いつ三章が始まったか忘れましたが、とりあえずここまで来ました。後はみんながどう決着をつけるのかを、見てくれる皆にできる限り書き残していきたいです。長すぎないように締めくくるので、最後までお付き合いしていただければ幸いです。




