第Xciii話 朧月交妖怪融山炎上・焉(いずく)
終わりの始まり、始まりの終わりの数分が始まる……。
孤独の戦いをとくと見よ――、
少女は倒れていた。いつのまにか背後から荒れ狂う熱風に巻き込まれ、前のめりに倒れたのだ。さっきまで少女がお姫様抱っこしていた人間は、少女と共に大きな弧を描いて飛びあがり、そのままクッションのない大地に転げ落ちた。
それからどれくらい時が経っただろう。地面に頭をぶつけ気を失っていた少女の指が幽かに動いた。少女の瞼がゆっくりと開いていく。意識に色がついていく。思考力が、判断力が少しずつだが運動を始める。今すぐ知りたいこと。それは現在の状況であり、己の身体であり、この場所はどこかであり、そして――
「こ……うじ――――」
人間・河志野浩司の安否はどうなっているのか、である。少女にして妖怪、大喰魔於和子は、部位の一つ一つを確かめるように微動した。手足の指は大丈夫だ。首も動くし、腰も少しだが上げることができる。まだ完全に感覚機能は失われてはいない。後は立つことが出来れば……、
「いっ…………た!」
於和子は立ち上がろうとしたその瞬間、突如として激痛が全身を襲い、再び地面に突っ伏した。
(何? 今のは……。尋常じゃないこの痛み。まだジンジンする…………って、何よ、これ――)
於和子が痛みを抑えながら首をゆっくりと背後に向けた直後、全身が氷河のように凍り付いた。それもそうだ。己の肩から先、つまり背中や脚の裏側に亘って真っ赤に腫れあがり、死に絶えた皮膚が捲れ上がり、内部の筋肉が露わになっていた。その筋肉でさえも熱の波によって黒ずんでいたのだから。背中や脚の裏は今も熱風に曝されており、死を予感する激痛は今も尚襲い掛かってくる。
「あ……」
於和子は再び襲い掛かってきた熱風の一陣を諸に受けた。この熱さは於和子の体に痛みとそれ以外の何かを感じさせた。それはどこか悲しくて、どこか痛々しくて、どこか怯えているような……子供のそれと似ていた。もっと突き止めようと思ったが、あまりの激痛を前に、於和子の意識は深い深い暗闇へ消えていった。
「全く……手こずらせやがって……。まあいい。これで、やっと――――全力でやれる!」
千代子はそっと手を胸の上から滑らせ、不敵に笑みを浮かべた。千代子の胸の谷間には小さな生命が埋めこまれていた。河志野正という人間の生命が……。正は今、赤子まで退化が進んでいた。これ以上進めばどうなってしまうか。だが千代子は正のその原因が天魏の泉だと考え、己の胸に吸収し直に力を手に入れようとしているわけだ。天魏の泉を一口飲めば、絶大なる力を手に入れる代わりに、一日だけしか使えず、その一日が経てば死に絶える。そう。命と引き換えに手にする力なのだ。何故千代子はそんな己を犠牲にする力を手に入れたいのか……。
正の周りには絶対に離れないように幾多の小さな手が正をしっかりと掴んでいる。その中で正は苦しそうな顔をしながら眠っていた。
「そんじゃ今度こそ……クライマックスで行くぜ!」
千代子は勢いよく五つの尾を広げると、大きく身をくねらせた。息を大きく吸い上げ、タイミングを合わせ始める。今だ! と千代子はくねらせた体を勢いよく逆回転させ、天に向かって大きな咆哮を上げた。
――――――!!!
その瞬間、燃え盛る大地は更なるオレンジ色の『燚』となって頬廼城市を一瞬に飲み込み、頬廼城市を取り囲む三つの山脈を、その先にある大地を跡形もなく死に変えた。
(誰か…………浩司を………助けて――)
於和子の意識は確実に死に向かっていた。妖怪の命である妖力の灯は燚によってじわじわと小さくなっていく。妖力が尽きれば妖怪は死ぬ。於和子であっても例外ではない。鬼灯の花は枯れ果て、生気を失っている。不思議な花の力はもう使えない。死のカウントはすぐそこまで来ていた。
だが於和子は無意識のうちに呟いたのだ。最期の最後に振り絞ったその声は、聞こえるはずもないその声は、偶然近くの地で沈んでいた誰かの体を揺り動かしたのだ。
――むくりと、痛いはずの体を起こし、ゆらりゆらりと傷ついた体を無理やり動かしていく。痛みが全身に伝うが、傷みにのた打ちまわる体力もない。巫女服もずたずたに引き裂かれ、その隙間からグロテスクな体の損傷が露わになる。とうに限界を超えたその体で、一人の人間が会って間もない彼のために命を削ろうとしていた。
「はあ……はあ……はあ…………」
意識は朧気で、今、己のしていることが何なのかの判別もついていない。でも、それでも無意加舞は動くことをやめなかった。それが正解だと信じていたのだろうか。それとも……、また別の何かに浩司を当てはめていただけなのだろうか。
「はあ……はあ…………」
もう柘榴は助けてくれない。いや、寧ろ真っ先に止めにくるだろう。こんな体になってまで赤の他人を助けようとしているのだから……。でも、舞はずっと見てきた。遠くから、柘榴の携帯型の短冊を通して……。浩司が大切な人を助けようとする傍らで、別の誰かをも助けようとしていたことを――。
舞の歩みは少しずつ速くなっていく。猶予はない。早く彼を助けなければ……。彼ならやってくれるかもしれない。この戦いを終わらせてくれるかもしれない。
そう、思っていたのだ。理由はない。だが、そんな気がしたのだ。
まだ舞は知らない。柘榴が、舞が目覚める前に起きていたことを。舞の行動の意味を理解し、舞の歩行速度をサポートしていたことを……。
浩司は夢を見ていた。
正と剛と歩んできた人生を、犬時が生まれ、正が病に罹り赤子になるまでの転落人生を、何度も何度もこの目で見てきた。違和感はなかった。剛と犬時、そして於和子の三人の家族がいれば、正がいれば、五人の家族はどこまでも歩いて行ける。
――そう思えた。
――――はず。なのだが、どうしてだろう。違和感が拭えない。正に……違和感はない。子供たち? 剛、犬時、於和子に違和感があるのだろうか。いや、そんなはずはない。もし違和感が本当だとしても、屈託のない笑顔を見せる我が子を疑うことなどできるはずがない。剛の時もそうだった。例え悲しい事実で生まれたとしても、剛まで悲しい存在になれば、正をもっと悲しませてしまう。なれば、剛を笑顔にして、正も笑顔にすればいい。正と俺で生まれた犬時。そして――――、
お……わ……こ…………?
――バッ
浩司は飛び起きた。そしてすぐさま先ほど見た夢を思い起こしてみた。心のどこかにある違和感。それを知らなくては……。だが、どんなに思い出そうとしても、夢の詳細を全く思い出すことが出来なかった。
今も夢の余韻を感じることができる。何もわからない中で、どこか温かくて、気持ちが良い。家族。いるだけで、嬉しくなる。生まれ育った家で感じることのなかったこの家族こそが、浩司の求めていた『家族』だったのかもしれない。
ふと肌に焼けつくような熱さを感じた。何が熱いのかを探るように前を見みてみると――、
「――――って!? 何がどうなって……」
幸せの余韻に浸っていたのも束の間。漸く己が火の海の真っ只中に居ることを理解した浩司は、驚嘆の声を発した。周りは一面火の海で、行く手を阻むように火の壁となって立ちはだかる。じわじわと空気の熱気と地面の高熱が浩司の夢と思いたい願望を、一気に現実に引き戻す。
熱い。熱すぎる……。空はもんもんと黒い雲が果てしなく続き、地平線の彼方まで真っ赤な海が支配する世界。これが地獄でないとしたら一体何なんだ。
「一体全体どうしたっていうんだ……」
結局二言目も驚きの声を発しただけで、体が現実に追い付いていない。だがここで思考を止めてはだめだ。何もかも諦めては……、
(考えろ。考えるんだ……。今まで俺は何をしていた? 俺が寝ている間に何が――)
確か正を助けるためにあれやこれややっているうちに色んな妖怪たちと出会い、多くの修羅場を潜り抜けた。最近では杏だ。杏の周りに杏の同じ境遇の魂たちが集まり始め、いつしか巨大なモンスターになっていた。俺とメイビア達で杏の体を元のサイズまで魂を吸収し……そして知らない少女に股間を蹴られて――――、――、――、――、――、そこから先が思い出せない。脳みそを必死にかき回すように考えても、結果は変わらない。
だが、いつまでもこうして考え続けていては、大量の火の海から発せられる一酸化炭素を吸い込めば一酸化炭素中毒を起こし、確実に死んでしまう。浩司はゆっくりと腰を上げようとした。
その時――、
「え――」
浩司の体を抱き締めるようにして、一人の女性が倒れていた。うつ伏せではあるが、服が巫女服であることから彼女が無意加舞であることは明白。そしてその体の殆どが痛々しく傷ついていた。背中から脹脛にかけて赤く焼け爛れ、未だに燃え続けている。そんな状態で、浩司を抱きしめ倒れていたなら、大体の予想は付くだろう。
浩司を守ったのだ。この身を挺して、
犠牲にして、
守られたのだ。
「――――っ!」
途端に今まで呑気にこの場で考えていた己を恥じた。なぜ今まで呑気に眠っていた? 何で? わからない。分からない。でも早く起きていたら助けられた。助けないと、速く救急車を呼んで、助け――ない――と――――。 俺が? 何の力もない。この俺が――この炎の中を、担いで――――?
「!」
浩司はふと空を見上げた。何かの気配を察したのだろう。その視線の先、はるか遠くにそいつ(・・・)はいた。どれほど遠くにいたそいつの顔が、何故かはっきりと捉えることができた。
笑っていた。心の底から、口を大きくして笑っていた。この状況を、こんな世界を、そいつは笑っていたんだ。笑って笑って、笑った後――――、
ギロリ。と、浩司の方に目を向けた。浩司は足先から頭の先まで一気に悪寒が走るのが分かった。動けない。これが金縛りなのだろうか。浩司はそいつがこちらを向いているにもかかわらず、視線を外すことが出来なかった。見つめ続ければどうなるか、簡単にわかるはずなのに……。体を支配する恐怖と死を予感してしまう弱い心が、浩司の体を縛っていた。
終わりだ。何をしても無駄なんだ……。
もう、死――、
「逃げ……て――――」
え……?
「浩司……様――――」
浩司の胸の下で傷つき倒れていた舞の口が微動した。小さくて仄かに響く声音は、絶望に囚われた浩司の耳をしっかりと捕らえていた。少しの静寂が炎の中を包む。
そして、
「……に………げないと――! 早く!」
果たして浩司は腰を張り上げた。張り上げた勢いで倒れそうになる舞をすぐさまお姫様抱っこすると、勢いよく地を蹴った。舞の体は軽くはない。だが、そんなことはどうでもいい。生きるんだ。逃げて逃げて、逃げ切ってやるんだ。生きるために――。
そうして浩司はがむしゃらに走り続けた直後、浩司が眠っていた場所に、
ドォーン。と、途轍もない衝撃音とともに、火の大砲が降ってきた。唯一無事だった大地は、大砲によって大きく抉り取られ、大きなクレーターを残し、火の海がなだれ込んだ。浩司は辛うじて大砲の直撃避けることができたが、その余波は避けられなかった。衝撃の波は浩司を襲い、背中全体が舞のように焼け爛れた。悲鳴を上げそうになった。だが、浩司は必死に唇を噛んで我慢すると、態勢を整え、再び走り始めた。
また降ってくる。空から大きな炎の大砲の影が浩司の上に振り注ぐ。早く逃げなくては、死ぬ。今以上に足をばたつかせて走る。すると、目の前に見知らぬ少女が倒れていた。
それは、浩司が気絶する原因となった少女であり、名前を知らないはずがなかった。
於和子という未だに謎の多き少女だ。和子が大好きっぽい。その於和子も舞と同様に背中が焼け爛れていた。舞を抱っこしながら走っているだけも死ぬほど辛い。しかも空から二発目の大砲が降ってくる。こんな状態で助けられるわけ――――、
「ううぉおおおおおおお!!!!」
火事場の馬鹿力を知っているだろうか。死を前にして、生物は今まで出すことのない百パーセントの力を出すことができることを。今の浩司は正に火事場の馬鹿力を使ったのだ。浩司は全身の血を迸らせ、全能を使い果たす勢いでマフラーを巻くように少女を項の上に乗せると、ゼーハーゼーハーと己の服越しで呼吸を荒げながら、先ほどよりももっと速く走り始めた。死ぬ気で運んで死ぬ気で逃げ切る。今の浩司はそれだけ頭に入れ、無我夢中で走り続ける。その間も大砲は背後から、右から左から、前から降ってきて死にそうだった。でも死ななかった。だったらまだ走るだけだ。走って走って走り続けるだけだ。
ほら見ろ。前方に森の、というか炎の壁がない場所がある。そこに逃げれば――。と、浩司が喜び勇んで足を向かわせた。
「やっと。――――?」
森を抜けた先は、山頂だった。どこかの山脈の一つの、どこかの山のてっぺん。そこから見渡せる光景は、真っ赤な大地にメラメラと燃え盛る燚であった。炎の上位に位置する燚は生き生きと燃え上がらせ、浩司の一縷の希望をあっという間に燃え焦がした。
大砲の影が浩司に迫る。徐々に近づく死の炎を前に、浩司の心は絶望に打ちひしがれていた。大砲の影は大きく大きく膨れ上がり、浩司の前に落ちた瞬間、大きな轟音と衝撃波を放ちながら、綺麗に散り果てた。
時間が過ぎて、デュエルリンクスやってたら今になりました。すみません。着実に浩司のお話は佳境に向かっています。次回はついに、浩司、戦います。まあまだいろいろありますが……。とりあえず今日から少し浩司の話を私の方で勝手にプレイバックします。本当に辻褄は合っているかどうか。私めも気になるので……。残り話数も迫る中、最後の戦いはもっと盛り上がるように邁進しますので、どうか、どうか! 待っていてください。早めの投稿を心がけますので――!!!
あ、マリク編は今月30日なのでお忘れなく……、アポリア、エスパーロバのデッキを作るのはその時だ!




