第11話 杏一十三 前篇
一十三の体に異変が起きた。これは希望かそれとも・・・衣野昂が驚きを隠せない中で起こった奇跡が今、明らかになる。
深夜零時の漆黒が支配する神螺儀町。だが今は違う。神螺儀町の四分の一を占める神螺儀小学校から、ヘリの落下により炎上した炎がグラウンド場を埋め尽くそうと、今も尚ぼぼおと燃え続けていた。その中で磔にされ集団暴行を受けた少年、二本のバールを持った少年、そしてヘリの落下による怪我に苦しむ少女の三人が相対していた。
現在磔にされた【大原犬太】は、際限のない暴行により一時的に気絶。そしてバールを持った【衣野昂】は、蔑みの目で怪我の痛みにもがき苦しむ少女に、二本のバールを振り下ろした。一十三は絶対に抵抗できないレベルで体がめちゃくちゃに壊れていることは明白。そう思って攻撃したバールの先にあったものは・・抵抗できないはずの【桜一十三】の二本の手であった。バールの先端をしっかりと握り締めた手の傷は綺麗に治っていた。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・
(あれ?なんだろ・・・この感じ・・・・・・さっきまで体中が痛かったのに・・・何にも感じない)
一十三の意識は今、暗い海の中を仰向けの状態で漂っていた。
過去の記憶ははっきりと残っているのは確かだ。
だがおかしい。海の中でどれくらい経過しただろう。生身の人間が呼吸できる時間をとうの昔超えているはずだ。それなのに何故刻一刻と時が過ぎる中、体が苦しむことがないのだろうか。
・・・・いや、息が出来るのではない。息をしていないのだ。一十三は呼吸をしないまま溺れることなく、今も尚海の中を漂い続けていられるのだ。
(ん・・)
一十三は漸く目を開けると、空一面に紫が広がっていた。右も左も、下も前後も周り一面が紫色の世界だ。じっと目を凝らしてずっと先の方を見ると、蜃気楼のように視界が歪んでいて全く先が見えない。
(そういえば・・・あの声は何だったんだろ・・・誰なんだろ・・・・・)
一十三はふと、ここに来る直前の記憶を思い出した。死にかけていた時に届いた声。初めて聞いた、溌溂とした少女の声は今でも耳の奥に残っている。
(そういえば何で着てないんだろ・・・!)
一十三は漸く漸く自身が裸であることに気づくと、周りを血眼になって確認した。が、誰もいない。一十三以外の人と呼べるものはいなかった。
(ここは私しかいないの?・・・それじゃあ、あの悪い人は?犬太君は?こんなことしている暇なんてないのに・・・!)
一十三はそう思うと、手当たり次第に泳ぎまわった。が、どこにも辿り着けない上に、周りの風景はいつまで経っても紫の海、海、海である。
(何がどうなってるの?早くここから出して!)
早くここから出たい!一十三は強く念じた。すると紫の世界が一瞬にして、眩しい光に包まれた。
(!)
一十三はびっくりして目を瞑った。そして数秒後に恐る恐る目を開けると・・・
( ゜Д゜)
そこには不良のリーダーである衣野昂が、恐ろしいものを見るように一十三に向かって驚いていた。
(これは・・・)
一十三の前方には、自分が先ほどまで映っていた視界が、映画のスクリーンのような幕の中に収まっていた。それ以外の世界は真っ黒に変わり、一十三はただ前方のスクリーンを凝視して固まった。すると間髪入れずに天井から、溌溂とした少女の声が響いた。
《そんなに暇なら一緒に体感しようぜ!》
またあの声だ。一十三は意を決し、天井に向けて問いかけた。
(あなたは・・・・誰?)
《?・・・ああ俺か・・・・俺は【杏】だ》
(杏?・・・・!)
杏という言葉、それは一十三が犬太に連れられて行った、あの【杏の森】と一緒ではないか。一十三は杏の祠を思い出した。まさかあれが・・一十三はスクリーン上に映る昂と同じような顔( ゜Д゜)で驚いた。
《うん、そうみたいかもな》
(!・・・・私の心が読めるの?)
( ゜Д゜)で驚く一十三に、杏は笑って答える。
《そりゃさっきから心の声で話してるからな》
(・・・!・・そういえばそうかも・・・・あれ?私普通に話せてる・・・)
一十三が最初に着目した点は、初対面相手に何の隔たりもなく話していることだった。
《そういえば・・・あの森で倒れたのも話せなくなったことが原因だったな》
(・・・知ってるの?)
《知ってるも何も、ずっと見てたぜ》
(ええっ!・・・)
一十三の顔が真っ赤になっていく。杏はそれがどういう気持ちなのか解らなかったらしく、《なんで赤くなるんだ?》と訊いてきた。
(それはそうだよ・・・ずっと見てたんだよね・・・恥ずかしいくて死んじゃいそう・・)
一十三は真っ赤な顔を隠して全身をくねくねさせて悶え始めた。杏は珍妙なものを見るように答える。
《そんなにか?》
(そうだよ・・・でも、どうして私なの?)
一十三は何故自分を選んだのだろうかと杏に問うと、杏は少し考えてから答えた。
《うーんとねえ・・最初に祠で見かけた時からだな。お前に興味が生まれたのは。そんでいつの間にかお前を観察するようになって・・・そんでピンチだな~と思ったら、何か助けちゃったぜ!》
(・・・興味?)
恥ずかしそうに答える天井の声。一十三は何故自分に興味が生まれたのだろうと思ったが、杏はそれを読んで更に答えた。
《自分の体なのに、全然思い通りに制御できないなんて面白いじゃん!》
一十三は興奮する杏を見て、明らかに自分を馬鹿にしているのだと思った。
(面白いって・・・・それ私がただ内気で臆病なだけだよ)
《そうか?・・・でも面白かったぞ、今でも》
一十三は赤くなった頬を手で隠しながら塞ぎ込む。
(恥ずかしい・・・)
一十三はふと前方のスクリーンを見た。昂の表情が驚いたまま動く気配がない。時間が止まっているようだ。
(あの人、何であんなにびっくりしてるの?)
《そりゃお前、瀕死のお前が突然元気になって、攻撃を止めたんだから当然だろ?》
(え・・・それどういう)
更に驚く一十三を他所に、杏は自慢げに答えた。
《そ・れ・は・なあ!この俺の特殊能力なのだー!》
(・・・何それ)
疑い全開の眼差しを向ける一十三の視線に、杏は嘆いた。
《おい、もうちょい驚け》
(だからどんな特殊能力使ったの?)
あまりにも冷静に問いかけてくる一十三に、杏は半ば意気消沈しながらも話し始めた。
《それは・・・相手の体に乗り移れるっていう》
(ふーん)
《なっ、何でそんなに冷静なんだよ!》
(多分そんな気がしたから・・・でも何であんなに元気に動けるのかなと思って・・・)
杏は、理解力の速い一十三にペースを乱されながらも説明を続ける。
《ああ。それは俺が乗り移ったら、その体は俺の動きやすいように元気になるんだ》
(へえ)
《後ね・・》
(?)
一十三はキリの悪い所で話が途切れたことに疑問を示すと、突如前方のスクリーンの映像が動き出したのだった。
杏と一十三はこうして出会った。そしてそこから一十三の不思議な冒険譚が始まるのだ。死の淵からよみがえった一十三は強いぞ!




