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波原刑と私の関係  作者: 也麻田麻也
第6章 姫路亜弥と姫路沙弥と音楽室
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第82話

「歌波様の質問には私がお答えさせていただきます。まず私が言ってはならないと申したのは、お姉様の婿の情報は歌波さまの耳に入れることではないと思ったからです」


「耳に入れるべきではないと言うのは、どういう事ですか?」


「そのままの意味でございます。お姉様の婿になる方は、実質的に姫路のナンバーツーになるものです。その者の命の危険を減らすためにも、婚姻を結ぶまでは名を明かさない決まりになっております。青葉様が婿になるのは噂話程度であっても、命を狙われる可能性があるので、私は申せないと言ったのです」


 やはり口調から真実なのか嘘なのかは分からなかったが、はっきりしたことがあった。

 それは私がこれ以上亜弥の婿について、聞き出すことができなくなったと言うことだ。


「わかりました」と頷きつつ、湧き上がった別な質問をぶつけてみる。

「亜弥さんの婿がナンバーツーになると言っていましたが、婿の人が姫路組の組長になるわけではないんですか?」


「それは違いますわ」と、亜弥が答えると、髪を手櫛で流し艶やかな笑みを見せた。

 まるでこの話をすることが嬉しくて堪らないと言った感じだった。

「鳳凰會は直系の一族ですの。最も血の濃い長男が組を継いだ瞬間から、次男や娘は姫路姓を名乗れなくなりますのよ。お爺様の子は皆亡くなられたので、御爺様の長男の子である私と沙弥さんに継承権がございますのよ。その中でも長女である私だけが姫路を名乗れると言うわけですわ」


「それでは沙弥さんは?」


「いずれは別の性になりますわ。姫路家にとって次女や次男など予備でしかありませんわ。ねえ、沙弥さん」


「はい。お姉様」


 沙弥は顔色一つ買えずに言ったが、心中はどうなんだろう。

 予備と言われた人間の心情を私には理解することなど出来なかった。


「話が長々と脱線してしまいましたわね。他に質問はないんですの?」


 これ以上は姫路家の内情は話さないと言った思いの現われか、亜弥は唐突に話を変えた。

 アリバイの確認、誰が犯人なのかの確認も行った。あと聞かなくてはならないのは……。


「じゃあ最後の質問です。亜弥さんと沙弥さんにとって……命とはなんですか?」

 犯人に直接関係する質問ではないが、私はまたこの質問をぶつけた。


 亜弥は何を言っているのかと、怪訝な顔をするが、沙弥は微かに笑った。

 

 初めて感情を表した沙弥を見た。


「命とは何かと突然聞かれましても、困りますわね。それは命と言えるほど大切なものは何かと言う意味ですの?」


 突然命って何? 

 と聞いても直ぐには答えられないだろう。


 亜弥は至極当然のリアクションをしたので、「それでもいいです。あなたが命と言うものをどう捕らえているのか知りたいんです」と私は答えた。


「命をどう捕らえているかですか……。それなら簡単ですわ。姫路叡山は任侠の世界では神そのもの。その地位を譲り受ける私はいずれ神になる存在ですわ。神と言う存在になる私にとって貴女方は路傍の石に過ぎない。尊いのは姫路家の長女である私だけ。全ての命は……私の礎になるものですわ。あら、石が礎になるなんてシャレが聞いていいじゃありませんか」


 亜弥は楽しそうに笑ったが、私は笑えなかった。


 艶やかに笑う亜弥の瞳は一切嘘偽りないと語っていた。


 私を路傍の石と考えるのはまだ理解することが出来たが、亜弥は尊いのは私だけ、他の命……つまり妹の沙弥の命すら路傍の石であり、自分の礎になるべきものと言った。


 十八年一緒にいるはずの沙弥すら切り捨てることのできる亜弥を理解する事は私には出来そうになかった。


 肉親の情など彼女にはないのだろう。


 ああ、気持悪いな。

 なんの迷いも無く答えてしまう亜弥は……気持ち悪い。


 この地方最大の暴力団、鳳凰會の令嬢として生きてきた彼女の命の捕らえ方が、環境が生み出したこの考え方が本当に気持ち悪かった。


 沙弥はこの言葉を聞きどう思っているんだろうか? 

 沙弥に視線を移すと、沙弥は……悲しげに亜弥を見ていた。


「……沙弥さんは……」

 ボそりと呟くと、沙弥はまた能面のような無表情を作り、私を見つめてきた。

「命と言うものをどう考えますか?」


「……私にとって命とは、姫路亜弥。お姉様を守るために使うものです。それ以上でも、それ以下でもございません」


 嘘だと言ってやりたかった。

 さっきの悲しげな表情が全てを物語っているじゃないか。


 そう言ってやりたかったと言うのに、私は声を発せずに、酸素を求める金魚のように口をパクパクと開けることしか出来なかった。


 沙弥の抑揚の無い言葉に……嘘の響きは無かった。


 沙弥の能面のような顔に……嘘の色は現れなかった。


 感情が表れていないからだけではない。


 沙弥自身がこの言葉を真実と考えているからだ。


 私の目はどうしたと言うのだ。


 洞察力には自信があると言うのに、沙弥と亜弥のことがわからない。


 いや、この二人だけではない。

 鶴賀も白石も青葉も亜弥も沙弥も犬山も理解することができない。


 本音を話しているのか、嘘を身に纏い私を欺いているのかもわからない。


 青葉が言ったように犯人は本当にハイドかもしれないな。

 自分では本当の事を言っていても、もう一人の自分、殺人鬼ハイドがあざ笑っている。


 そんな感覚に襲われてくる。


 その時ズキンと頭痛がした。


 思考が限界に達したのだろうか?


 それならもう何も考えたくない。


 私に犯人を探し出すなど、元から無理だったのだ。裏の世界の事をよく知らない私なんかが、十六人を殺した殺人鬼を――裏の世界の人間を探し出すなんて、無理な話だった。

 

 犯人の尻尾すら見えない。

 集まったピースを組み合しても何の絵も見えてこない。


 もう今日は何も考えずに帰りたい。


「……おちびさん顔色が悪いですわよ」


 顔色も悪くなるだろう。

 頭の中を気持ちの悪い考えがとめどなく流れ、頭痛に吐き気が押し寄せてきているんだ。

「大丈夫です……」


 亜弥は私の肩を抱きとめ、「本当に大丈夫ですの? 保健室に参りますか?」と聞いてきた。


 路傍の石である私を心配する必要など無いだろうにと思いつつ、今にも崩れ落ちそうな体を支えてもらえたのはありがたかった。


「熱がこもらないように窓は開けているんですが、熱中症でしょうか?」と、亜弥は語った。


 そう言えばずっと窓を開けているな。

 風を何度も感じていたが気にもとめていなかった。


 ……えっ……窓が開いていた?

「……えっ?」


 窓が開いている事を教えられ、途端に頭痛も吐き気も消え去った。


「どうして窓を開けているんですか?」


「どうしてと言われましても、暑いから以外に理由などありませんわよ」

 急に元気になった私に驚きながらも亜弥は答えてくれた。


「エアコンを使わないんですか?」

 私立校だけあって、どの部屋にもエアコンが設置されていた。


「音楽室は音を大事にしているので、エアコンは設置されていないんですのよ。今日みたいに暑い日はいつも窓を開けて演奏していますわ。山が近いので虫が入ってくるのが難ではありますわね」


 暑い日は……いつも開けていた。


「一昨日は? 一昨日も開けていたんですか?」


「ええ。七月以降は雨の日以外はずっと開けていますわ」


 一昨日も開いていたと言う事は……。

 窓が開いていたと言うピースが頭の中に入ってくると、幾つものピースが繋がっていった。


「……亜弥さん沙弥さん、お話ありがとうございます。犯人が……絞れてきました」


「犯人がわかったというのですか?」


「いいえ。犯人が誰かはまだわかりません。けれど犯人……殺人鬼ハイドは……一人だと言うことはわかりました」


 亜弥に答え、頭の中をもう一度整理してみる。


 教室で死んだ十六人。

 血の足跡を付けずに逃走。

 消えた凶器。

 切断された三本の指。

 六人の容疑者。

 遅れてきた犬山。


 もう少しだ。

 もう少しで犯人の顔が浮かび上がってくる。


 犯人はどっちだ、あの二人のうちのどちらが殺人鬼ハイドなんだ?


「…………さん? おちびさん?」


「あっ、はい」

 亜弥は何度も呼びかけていたらしいが、思考していた私の耳にはその声は中々届かなかった。


「お姉様、今話しかけるのは歌波様の邪魔になるだけです。最後の質問も終りましたので、私達は教室に戻りましょう」


 気を使った沙弥に、心配そうな顔を向けながらも、亜弥は頷いた。

「ええ……。それではおちびさん、お先に失礼しますわ」


「あっ、はい。私も少ししたら教室に戻りますね」

 亜弥が私の横を通り過ぎていくと、沙弥が後ろに続いた。


 扉を開け廊下に出て行くと、沙弥が振り向き私に会釈をし、扉を閉めた。

 二人の姿は直ぐに見えなくなり、足音すら聞えてはこなかった。


 それもそのはずだろう。

 この音楽室の扉は防音になっているのだから。


 外の音が中に聞えることは無く、中の音が外に漏れることも無い。


 扉が……窓が開いていない限りは。


「ふう」と、一息つき、私はピアノの椅子に腰を下ろした。


 椅子は初め、隣にパイプ椅子を置いていた為か、右に寄っていた。


「……やっぱり」と呟き、私はポケットから手帳とボールペンを取り出し、気づいた事を書き出した。


『開いていた音楽室の窓。 廊下に付かない血の足跡。犯人は単独犯? NESTの彼女は何者?』と。

記入が終った私はノックし芯をしまうと、「事情聴取が終了しました」と、ボールペンに向かい話しかけた。


 もう一息だ。

 もう一息で犯人が誰かわかると思うと、諦めかけた気持ちはどこかに飛んでいき、頑張ろうと言う気持ちが湧いてきた。


「頑張ろう……刑の為に……」


 そう呟くと、ポケットに入れた携帯がブルル、ブルルと震えた。

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