第81話
興奮し、語気荒く語るわたしに亜弥は驚いた顔をし、「どうすれば犯行を行えるというのですの?」と、聞いてくる。
「それはまだ言えません。犯人の目星がついてから話します」
一つのピースが埋まり事件の全貌が見えてきた。
残された謎は凶器消失の謎と切断された三本の指の謎。
これさえ解決すれば犯人が誰なのか分かるはずだ。
「犯人が誰かはまだ分からないのですね?」
「はい。私の仮説が正しければ、靴を血で汚す事無く、誰でも犯行を行うことが出来ます。だから犯人の目星を付けるためにも、もう少しお話を聞きたいのですが宜しいですか?」
「誰にでも犯行を行えると言うならば……私共も疑っていると言うことですの?」
亜弥から発せられる空気が冷えた。
犯人がいないと考えていた時のような余裕が亜弥の中から消えていた。
犯人がいないのならば、殺し屋はすごすごと帰るしかないが、犯人がいるのならば殺し屋は誰かを殺しにかかる。
そのターゲットが自分になるかもしれないと考え、私に対する警戒心が強まったようだ。
「ごくっ」と、唾を呑み亜弥を見つめる。
流石は鳳凰會会長の孫娘だ、妖艶な笑みを浮かべていると言うのに、喉元にナイフを突きつけられた時以上の恐怖を感じ、殺気一つで私の心はへし折られそうになった。
「私は皆さんを疑っています」
何とか誤魔化せないかと思考を巡らしていたと言うのに、私の口からは本音が漏れた。
思わず手で口を覆おうとした瞬間に、亜弥の手がナイフに動くのが見えた。
「……ッ!」
やはり亜弥の沸点は低いな。
引き抜く前に少しでも距離を置こうと、後ろに飛ぶため膝を折る。
けれど私が後ろに飛ぶ事はなかった。
「……ッ!」と、また声を漏らしてしまった。
ナイフに伸ばした亜弥の手を掴む透き通るような白い手が見えたからだ。
沙弥の手だ。
「おやめくださいお姉様。私達は殺していないので、歌波様に協力をしても得はあれど、損はないと考えられます」
「けれど、それで誤って私共を犯人だと断定してしまったらどうすると言うのですか?」
「その時は私が歌波様を排除いたします」と言うと、左手で眼鏡を押し上げた。
沙弥の言葉には抑揚がなく、本当に排除する気があるのかどうかは分からなかったが、排除する力があるのは間違いなさそうだった。
亜弥の手を掴んだ沙弥の動きが――見えなかったからだ。
注意していなかったとは言え、一歩前に踏み出し腕を掴んだ動きを私の目では捉えられなかった。
白石は亜弥と沙弥は互角と言ったが、私は沙弥の方が強いように思えた。
「わかりましたわ。沙弥さん御放しになってくださいますか?」
沙弥は手を離すと、また後ろに控えた。
「それでおちびさん、私は何を話せばよろしいんですの?」
「そうですね……血を踏んでも良いと言う条件を付けた場合、生き残った六人のうち、誰になら犯行が可能だと思いますか? それと……何分あれば十六人全員殺せると思いますか?」
「一人三十秒の十六人……八分もあれば可能だと思いますわ」と答えると、「殺せるのは……青葉様を除いた五人ですわ」と、続けた。
「やっぱり青葉さんには無理なんでしょうか?」
「青葉組での訓練の様子を見る限りでは、宮司様や来丸様よりやや上くらいにしか見えませんでしたので、愛瀬様が入る以上全員殺すのは無理だと思いますわね」
「訓練の様子を見たことがあるんですか?」
「ええ。青葉の大叔父様と、お爺様が従兄弟に当たるので、よく青葉の大叔父様と青葉様が姫路家の邸宅にいらしてくれますわよ。その時に一緒に訓練と手合わせを行いましたからね。訓練をし始めた四、五年前は話にならないほどの腕でしたが、ここ一、二年は練達してきていますわね。まあそれでも私どもの域に達するのはまだ先でしょうがね」
今、亜弥は手合わせをしたと言ったが、青葉は果たして全力を尽くしたのだろうか。
青葉は相談役の息子と言う重役ではあるが、亜弥はいずれ鳳凰会を背負って立つ人物だ。主従関係になるのではないか?
その従者が手合わせで主人に勝つと言う事はあってはならないことだろう。
もし、青葉が手心を加えていたとなれば、亜弥の言った青葉には犯行を行うことが出来ないと言う考えは参考にならなくなる。
あと、聞かなくてはならない事というと……。
「青葉さんが訓練をし始めたのが四、五年前とおっしゃいましたが、その前には戦闘技能や暗殺の訓練はしてこなかったんですか?」
「さあ、存じ上げませんわね。私が知っているのは、青葉さまは十二歳で青葉の大叔父様の婿養子に入ったことだけですわ。その前に何をしていたのかなど興味もありませんからね」
「私は青葉さんから実父が青葉組長の遠縁に当たると聞いていたのですが、その方がどなたかは分かりませんか?」
この質問にも亜弥は、「さあ、存じ上げませんわ」と、答えた。
「青葉さんが亜弥さんの婿養子になると聞いたのですが、生い立ちは気にならないんですか?」
私が質問をすると、亜弥は突然立ち上がり、肩をわなわなと震わせ、「誰が婿ですって。冗談も休み休み言いなさい!」と、激昂した。
「す、すみません、犬山さんが言っていたもんで……」
「あの犬っころ、適当なことをぬかしますね」
口調が変化するほど亜弥は激昂していた。
「あの、亜弥さん落ち着いてください……」
私が必死になだめようとしたが、落ち着けの一言は地雷だったらしく、「落ち着け?」と聞き返すと、私に一歩近づくと、見下ろすように睨み付けてきた。
「あんな下賎なやつと結婚するなんて、私はゆる――」
「お姉様」
私に熱く語る亜弥を一言で制止すると、沙弥は、「そこより先は言ってはなりません」と、平坦な口調で言った。
「歌波様のご質問には、私めがお答えさせていただきます。まず婿の話は組の幹部どもが言っているだけで、事実無根でございますのでお姉様が青葉様と結婚する事はございません。次に青葉様の実父の事ですが、私共は聞いたことがございませんので、お答えできる事は何もございません」
平坦な口調からは答えた内容が真実なのか嘘なのかを判断することはできなかったが、間違いなく沙弥が嘘をついていることが分かった。
口調からではなく言葉の矛盾からだ。
「お答えできる事は何もないと言いましたが、それは本当ですか? 沙弥さんはさっき亜弥さんに『そこより先は言ってはならない』と言いましたよね? それは亜弥さんが言おうとしたことが……真実だからではないんですか?」
私が矛盾点を付くと、沙弥は、「お姉様」と言った。
姫路姉妹と出会って半日だが、沙弥がこの言葉を発するのはどういう時なのかはもう理解していた。
沙弥がこの言葉を発するのは――亜弥を制止するときだ。
亜弥は制止され、ナイフに伸ばした手を止めると、「どうしてですの?」と、聞き返した。
「お姉様は姫路組の長になるもの、どのような事態でも取り乱してなりません。お座りください」
着席を促され歯がゆそうに私をにらみつけると、冷笑を顔に浮かべゆっくりと着席した。
「失礼しましたわ」と言い、足を組む。また白いふくらはぎがチラッと見えた。
今度はドキッとはしなかった。
もしこの場に沙弥がいなかったら私は三度は命の危険にさらされていたことになる。
自分が薄氷の上にいる事を理解すると、身震いしそうになった。
開いた窓から温かい風が入り込んできていると言うのに、真冬の隙間風を浴び続けたように寒気を感じた。




