第7話
「…………ッ!」
背中にぞくぞくッと、悪寒が走り思わず声が漏れる。
誰かが見ている。
弘前の根城の側ならともかく、まさか喫茶雛鳥の側で襲われているなんて、夢にも思わなかった。
家に帰るまでが暗殺と言う、日向子さんの言葉が頭に浮かんだ。
付けられていたのか。
それならいつから付けていたんだ。気を抜いていたのは確かだが、それは駅に着いてからだ。
それまでは、神経を尖らせていたというのに……。
背後の視線を感じながらも、私は何事もなかったかのように、足を止めずに歩いた。
落ち着け。
どこから見ているんだ。
近くか、遠くか。
神経を研ぎ澄まし、背後の視線に集中した。
「…………!」
漏れそうになった声を必死に堪える。
今度は、視線だけではなく、微かにではあるが、気配を感じた。
距離は……遠くない。
近い。
五メートル? 三メートル? いや、もっと近いか?
手を伸ばせば届く距離にいるのではないか?
気配は感じるのに、正確な距離が測れなかった。
五感を研ぎ澄ませ、距離を測ろうとしても、後ろにいるはずの人物の呼吸する音、衣擦れする音、足音のどれも聞えては来なかった。
距離が離れていれば、呼吸音、衣擦れの音が聞こえない事はあるだろうが、今歩いているのは石畳だ、スニーカーだろうが、足音がしないはずない。
それならば背後にいる人物は、足音すら立てずに歩ける技量があるというのか。
思わず身震いしてしまう。
日向子さんの言うとおりだった。
帰るまでが暗殺。
駅に着き電車に揺られ、安全圏まで逃げたと思い、油断していた。
助けを呼ぶべきなのか?
そんな思いが頭に浮かぶが―――ダメだ。
そんな動きを見せたら、間違いなく襲われる。
ポケットにしまった携帯に手を伸ばしかけた自分を自制する。
逃げるか。
不意をついて走り出す事を考えて見るが、この案も直ぐに却下した。
ここは一キロも続く一本道。まだ三分の一も歩いていはいない地点だ。
女の足では逃げ切れると思えない。
助けを呼ぶのもダメ。
逃げ出すのもダメ。
それなら私に出来る事は……。
意を決し、心の中でカウントをとる。
……3……2……1……0。
「――ッさぁぁッ!」
掛け声と共に前に飛び、右足が地面につくと同時に、その足を軸に百八十度回った。
周る遠心力を利用し、リュックを肩から外し、右手に持つ。
中には刑のナイフが入っている。相手に隙があれば取り出し武器として使える。
もし隙がない場合は、盾としてバックを使うと、瞬時に戦闘をシュミレートする。
助けを呼ぶのもダメ。
逃げ出すのもダメ。
それなら私に出来る事は……戦うことだ。
右足をやや後ろに引き、半身の構えを取り、相手を睨みつけると、「……あれっ?」
思わぬ相手の姿に、声が漏れる。
背後にいたのは細身の長身の男だった。
茶色の革靴に、黒のスラックスを履き、ボタンを一番上まで閉めた白シャツの上に、黒のベストを羽織っている。
両手には武器ではなく、ビニール袋を持っていた。
「……響さん」
私は見知ったその男の人の名前を呼んだ。
その男は、袋を片手に持ち直し、利き手を空けると手を振った。
「やっぱりエリちゃんだったか。お尻の形からして、エリちゃんじゃないかなと思ったんだけど、もし違ったら恥ずかしいなって思って、声をかけられなかったんだよね」
その男―――猫屋敷響は微笑みながら言った。