第74話
「……」
今度は、はいと答える事はできなかった。
ここではいと言ったら、ブスリと行きそうなんだよな……。
私が押し黙り、穏便に話を進めるための答えを探していると、亜弥は組んだ足をほどき立ち上がり、ナイフの切っ先を喉から眉間に向け直した。
「……私は全員を疑っています。亜弥さんだけではなく鶴賀さん白石さん青葉さん犬山さん、もちろん沙弥さんからも話を聞くつもりです」
あなただけを疑っているつもりはないと亜弥の目を見つめ言ったが、射抜くような視線を向けてきた。
ナイフの切っ先からピリピリするような殺気を感じた。
脅しの道具として向けてきたナイフが、殺しの道具と化した。
ごくっと唾を飲み込み、亜弥の次の言葉を待つ。
「それで、私共が犯人だと思いましたら……殺すと?」
答えにくい質問……いや、答えを口にできない質問だった。
答えは勿論イエスだ。
犯人だったとしたら……刑が殺す。
しかしここでイエスと口に出したなら、亜弥はナイフを眉間に突き立てるだろう。
貴方様を殺す。亜弥の目はそう物語っていた。
嘘をつくべきなのか?
しかし、犯人を調べるだけで殺さない。
そんな犯人に都合の良い殺し屋などいないだろう。
八方塞だな……どう答えようとも結果は同じになる気がする……。
殺気のこもった瞳とナイフを交互に見ると、私は覚悟を決めた。
「はい、殺します」と、言った瞬間私は上体を反らした。
「……なッ!」
虚を突かれた亜弥は咄嗟に一歩踏み込み、突き刺しに来るが、ナイフは私の顔の上を通過した。
亜弥は腕を伸ばしナイフを向けてきていた。この体勢からならば出来る事は突きくらいしかないだろう。
それならば切っ先から逃れることが出来れば、第一撃を防ぐことが出来る。
後は距離をとり説得に励めば、命の安全は確保できるはずだ。
上体を反らした私は、眼前を通過したナイフに胆を冷やしつつも、右手を床に着き支点を作り、亜弥の左側に滑り込むように回りこんだ。
後はバックステップをし距離をとるだけだ。
そう思ったとき、身の安全を確保できると思い、私は安堵した。
動きながらも安堵の息を漏らし、筋肉が緩んだ。その一瞬が勝敗を決した。
私が安堵の息を吐き、動きが鈍った瞬間、亜弥は右足一本でフィギアスケーターのように飛び上がり半回転した。
長いスカートが遠心力でふわりと浮き上がると、その陰から細い足が現れた。
飛び回し蹴り!
「……なっ」
今度は私が驚きの声をあげた。
とっさに腕を立て顔を庇うと、衝撃が上腕から肩まで走った。
華奢ではあるが、女性としては大柄の亜弥の一撃は、小柄な私を吹き飛ばすには十分だった。
後方に飛ばされた私は、受け身も取れずに肩から床に落ち、「んがっっ」っと、息を漏らした。
肩に痛みが走るが気にしている場合ではなかった。飛ばされた勢いを利用しその場で後転し前を向く。
間違いなく追撃が来る。体勢を立て直さなければ。
しかし、亜弥はそんな時間を与えてはくれなかった。
私の目に映ったのは、飛び掛ってくる亜弥と、逆手に持たれたファイティングナイフの怪しく光る刀身だった。
命を奪う輝きが私に迫ってくる。
私はまだ戦う体勢は取れてはいない。身を守る動作を取る事は直ぐには出来ない。
ダメだ殺られる。
殺られる前に……殺らなければ。
私が覚悟を決めた瞬間に、「おやめください」と、抑揚のない声が耳に届いた。
私を制止する声かと思ったが、亜弥は私の眼前に着地すると、ナイフの切っ先を私に向け、「どうしてですの、沙弥さん」と、振り返りもせずに言葉を返した。
「歌波様は話を聞きに来たとおっしゃいました。それならばまず話をし、誰が犯人か見極めさせるのも有りなのではないでしょうか」
抑揚なく沙弥は言葉を綴った。
「それでこのおちびさんが、私共を犯人だと答えを出しましたらどう致すというのですか?」
「問題ありません。私共が犯人でないという事は私共が知っております。情報を提供いたしましたら、誤認する可能性はゼロだと私は考えております。そもそも今の動きで、歌波様がお姉様よりも弱いことが証明されました。私共が歌波様を恐れる理由はありません」
「……それもそうね」と、私に背を向けると亜弥は革張りの椅子に座った。
沙弥は亜弥が椅子に座るのを見ると、ピアノの前に置かれたパイプ椅子をたたみ、壁に立てかけ亜弥の背後に立った。
「おちびさん、特別に話をしてあげますわよ」
「ありがとうございます」と返事をし、立ち上がると、スカートとブレザーに付いた埃を掃った。




