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波原刑と私の関係  作者: 也麻田麻也
第6章 姫路亜弥と姫路沙弥と音楽室
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第72話

「……はぁっ?」

 何を言っているんだこの人は?

 もちろん私はまだ何の質問もぶつけてはいない。

「何を言っているんですか?」


「あれっ? このDカップを維持する秘訣を聞きたかったんじゃないっすか?」と、両手で胸を揉みながら言ってきた。


「違います!」

 声を潜めながら突っ込みをいれる。


 ってかDなんだ……羨ましい……。


「違うんすか? てっきりその貧乳を気にし――」


「貧乳じゃありません!」

 今度は声を潜める事無く叫ぶと、「うるせぇぞガキぃ!」と、鶴賀の罵声が浴びせられた。


「すいません」と、鶴賀に向かい頭を下げると、「怒られちゃったっすね」と、他人事のように犬山が言ってきた。


『あなたのせいだよ』と心の中で言うと、「質問したいのは別のことです」と、耳打ちする。


「なんすか?」


 今度はちゃんと聞いてくれそうだった。

「犬山さんにとって、命ってなんですか?」


 唐突な質問だというのに、犬山は、「なんだ、そんな事っすか」と言うと、考える事無く、「仕事のノルマっすね」と、簡単に答えた。


「護衛任務なら命を守るっすし、殺しの任務なら奪う。それだけっすよ」


「じゃあ……犬山さんの命は何なんですか?」

 命を仕事のノルマと言った彼女にとって、自分の命とは何なんだ?


「うちの命は仕事道具っすね。死ねば……無くなれば仕事が出来ない。そんなもんすね」


「……」

 自分の命を物として扱ったこの少女が、まるで違う世界からやってきた異星人のように感じた。


 これが生まれながらにして組織で育った少女か。

 命の重さが私たちとは全く違う。


 彼女にとって命とは言葉でしかないのかもしれないな。

 重い言葉はあっても、重量のある言葉など存在しないのだ。


 重量の無いものなんか、秤にはかけられない。



 恐いな。


 価値観が違うという事はこんなにも恐ろしいことなのか……。


 彼女がどうして殺人鬼がいるかもしれない教室で、笑顔でいれるのかがわかった。

 彼女にとって死は……ただの言葉でしかないのだから、恐れる必用など無いんだろう。


 自分の表情がこわばっていくのがわかった。


 彼女の本質を知った今、笑顔を向けることが出来そうになかった。


 私の顔に気づいたのか、犬山は、「あっ、でも勘違いしないでくださいっす」と、手をばたつかせながら言ってきた。


「うちは仕事人間って訳ではないっすよ。ノルマが達成できたら、後はなあなあで働くっすからね。仕事に縛られるのは嫌っすね」


 そう言うと犬山は歯をむき出しにし、屈託の無い笑顔を見せた。

 まるで楽しい話をした後みたいに。


 私はもう、笑えなかった。


「……お話しありがとうございます。それじゃあ行ってきますね」


「気をつけて行ってくるんすよー」


 私は会釈だけし教室を後にした。 

 どうしても返事をする気にはなれなれなかったからだ。


 命をなんとも思っていない人間から気をつけてなど言われても、ただただ気持ち悪いだけだった。

 犬山の笑顔が、可愛らしい身振りが、話す言葉一つ一つが、今となっては化け物が人に扮するために演じていたようにすら思えてきた。


 もう彼女が何を言っても嘘くさく感じてまう。


 味方だと思っていた彼女はもういない。


 私の心が彼女を拒絶した。


 殺人鬼のいるこの学園で、私は始めて身も心も一つの状態で廊下を歩いた。

 足取りが重くなったせいか、一歩踏み出すたびに廊下の硬さが上履き越しにでも足に伝わってきた。


「一人は心細いな……恐いな」


 ここに刑がいればその不安は消えるんであろうか……。

 いや、そんなもしもの事を考える必要はないか……ここには……刑はいないのだから。


 渡り廊下まで差し掛かり私は歩を止めた。


 足が疲れたわけではない。疲れたのは心だった。


 今まで行なってきた殺しの仕事では、ターゲットの情報・経歴を調べ、所在地を明らかにし、生活スタイルを見極め暗殺に最適の状況をお膳立てしてきていた。

 その中でターゲットが殺人を犯す現場も、人を痛めつける現場も幾度と無く見てきている。

 けれど、今回の依頼のように、ターゲットとなりえる人物の内情を調べるのは初めてだった。


 各々の考え方、思考知るたびに、裏の世界の人間の恐さが私に伝わってきた。


 白石を庇おうとする鶴賀の思いが、人を殺したくはないと言った白石の思いが、拷問を嫌いながらも算定した青葉の思いが、命をなんとも思っていない犬山の思いが私に入り込んでくる。


 入れたくない。

 私の中に入らないでくれ。


 私の中の定員はいっぱい。

 もう席は埋まっているのだから……。


「気持ち悪い……」と呟き、壁に背中を預ける。ブレザー越しに冷やりとした感触が伝わり、気持ちよかった。


「一度まとめますか……」

 ポケットから手帳を取り出し、昼に記入した文字の隣に、ペンを走らせる。紙に文字を綴っていく度に、心が軽くなっていくような感じがした。

 手帳には箇条書きでこう記入した。

『・青葉家の養子・青葉組長は実父の遠縁・犯人は両手で武器を扱った・彼は二重人格?・犯人はハイド?』

 書いた文字に目を通すと、まるで事件の真相に辿り着ける気がしなかった。


 もっとピースを集めないといけないな。


 ピースを集めて、犯人を見つけ出し……刑に殺してもらう。


 私よりも刑がずっと危険な目に合うんだ、気持ち悪いなんて言って休んでいる時間など無かった。


 刑が有利に事を運べるように、少しでも情報を仕入れなくてはいけない。


「刑……頑張りますね」と、呟き、ペンをノックし手帳を閉じポケットにしまう。


 私は最後の事情聴取、姫路姉妹の入る音楽室に歩を進めた。

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