第69話
「しかし、それじゃあ、刺殺した白石に返り血がついていない事は、どう説明するんですか?」
鶴賀が遠い間合いから斬り殺したから、返り血がつかなかったという事は分かったが、ナイフや匕首で首を突き殺し、引き抜けば返り血が飛ぶのは明白のことだ。
それならば鶴賀と共謀して殺しを行なっても、白石の犯行は露見してしまう。
「歌波さんはナイフを動脈に突き立てたことはある?」
動脈に突き立てれば、まず間違いなく命を奪うことになるだろう。
私はまだ、人の命を奪ったことは無かった。
まだ、人の命を奪う覚悟はない……。
「……ありません」
動脈につきたてた事が無いと言う言葉を、人を殺したことが無いという風に捉えなかったのか、青葉は、「そうなんだ」と軽く答え、自分の考えを述べ始めた。
「実は刺殺しても出血自体は大したこと無いんだよ。家にある包丁や、粗悪なナイフなら刺した瞬間血が噴出すこともあるけれど、このクラスの生徒が持っている獲物や、プロの殺し屋が使うような鋭利なナイフならば、刺しても肉や筋繊維を破壊せずに、滑り込むように刺さって行くんだよ。本当に抵抗もなくね。その時の出血は微々たるモノなんだ」
そのくらいの事は分かる。
刺殺体の出血量が多い理由は、刺したことによるものではなく、引き抜いたことによるものだ。
引き抜いた痕には、ぽっかりと穴が開く。
引き抜いた瞬間、穴が生まれた瞬間、血が吹き荒ぶ。
「刺殺体は凶器を抜かない限り、出血量は少ないということですよね。それは分かります。けれど、教室の死体のほとんどは、ナイフを引き抜いてありましたよ。それはどう説明するんですか?」
「簡単だよ」と言うと、青葉は席を立ち、左手で何かを掴むようなジェスチャーをすると、拳三つ分ほど下に右手を添えた。
「相手の後ろに回りこみ髪を掴んで、開いた手で、ナイフを勢いよく引き抜く。すると血飛沫は、自分にはかからないというわけだよ」
左手が髪を、右手がナイフを掴んでいたというわけか。
「確かにその方法ならば、自分に返り血を浴びずに済みますね。けれど何人も相手取っている最中に、背後に回りこむなんて余裕があるんでしょうか?」
「そこは二人がかりだから出来たんじゃないかな? 後ろを向いても、刀で相手をけん制することが出来るからね」
一人での犯行ならば、背後を向ける事は死活問題ではあるが、二人で犯行を行なったと考えれば、納得のいくものだった。
ただ、それは犯行を行えるかどうかの点についてはだけだが。
白石と鶴賀が共犯関係の可能性は高いが、そうするとどうしても納得がいかない点があった。
何故白石は、共犯関係のある鶴賀を……庇わないのか。
共犯者を庇わない白石。
誰も殺したくないといった白石。
彼は犯人なのか?
犯人ではないのか?
ああダメだ、私のちっぽけな脳ミソじゃピースが重なり合わない。
「……さっき白石さんともお話したんですが、私には彼が理由も無く十六人の命を奪うような人には見えなかったんですよ。凄く強いのは分かるんですが、なんて言うか……裏の世界の人間に見えないんですよね……」
「裏の世界か……」と呟くと、「歌波さんはさっき僕が返却した本のタイトルを見たかな?」と、質問をしてきた。
「えっ?」
白石の話から、急に本の話題に変わったので、私は即答することが出来なかった。
「……」
記憶を辿り、青葉の持っていた本のタイトルを思い出そうとするが、必死に背伸びをし、本棚に戻そうとする青葉の小動物のような姿しか思い出せなかった。
犯人は誰だというしリアルな話をしているというのに、思わず微笑んでしまいそうになる。
いかん、いかん。
自分を律し、「見ていませんね」と返答する。
「本のタイトルはね、『ジキル博士とハイド氏の奇妙な物語』だよ」
ジキル博士とハイド氏の奇妙な物語と言うと、ジキルとハイドの事かな?
私が知っていたタイトルとは少し違っていたので、「ジキルとハイドですか?」と尋ねてみる。
「日本語訳だとそうだね。ジキルとハイドの話は知っている?」
ジキルとハイドか……。
読んだことはないが、おおまかな話くらいは知っていた。
「ジキル博士がハイド氏と言う化け物になる話ですよね?」
「正しくは、ジキル博士が自分で作った薬で、自分の暗の部分のみが現れたハイドと言う醜悪な青年に変わる話だね」
青年に代わるというのは初めて聞いた。
てっきり緑色の巨大な怪物にでもなると思っていたな。
あっ、それは違う話だったかな?
「面白そうですね」と、興味はないが、社交辞令の言葉を言い、「それが白石さんとどう係わってくるんですか?」
まさか白石の話をしていたところから、全く違う話をし始めるとは思えなかった。
「僕はね、この話を一昨日初めて読んだんだよ。ファンタジー小説は好きなんだけれど、現実的なこの話は、あまり興味を惹かれなかったんだよね。けれど、図書室のファンタジー系の本も大方読み終わったから、手に取ったんだ」
私は青葉がジキルとハイド――青葉曰くジキル博士とハイド氏の奇妙な物語か――を返した本棚をチラリと見る。
もしあの棚がファンタジー小説の棚だとしたら、百冊以上読んだことになりそうだな……。
私じゃ週に一冊……いや、月に一冊読めるかどうかだな……。
本を好きと言った手前、その事は口には出さずに、青葉の次の言葉を待った。
「僕はね本を読んで……白石君に似ているなって思ったんだ……」
なるほど。
「つまり、白石さんがハイドになって犯行に及んだ……と言うことですか?」
もちろん、白石が筋骨隆々の化け物になったというわけではないだろうが、化け物じみた力を持つ白石の暗の部分が現れて、犯行に及んだということなんだろう。
青葉はこくんと頷くと、「白石君はね、この学園……いや、学園の暗の部分にいると言うのに、綺麗すぎるんだよね」と、悲しげに語った。
白石は綺麗だが、自分はもう汚れているといった気持が現れていた。
けれど、それはきっと当たっているのだろう。
青葉はもう裏の世界に染まっている。
彼ははっきりと言ったのだから、尋問を否定はしないと。
表の世界の人間からはきっと発せられない言葉を発したのだから。
私だってそうだ。
裏の世界に属してはや三年。人を殺す手助けをすることに慣れすぎている。
今回の事件だってそうだ。
私は五百万と言う大金を目の前にぶら下げられ、任務を達成すれば人が死ぬというのに、その事が頭によぎる事無く、直ぐに手を伸ばした。
そうなったのは何時からだろうか?
今年になって?
去年?
いや、もっと早かったかもしれない。
三度任務を行なったときには……もう死ぬさだめのターゲットの事を考えなかったと思う……。
けれど白石は違う。
命は平等だから、人を殺したくはないと言った。
なぜそんなことが言えるんだ?
朱に交われば赤くなると言うのに。
血で汚れたこの学園の暗の部分にいると言うのに、白石だけはおろし立てのシーツのように真っ白だった。
「それは私も感じました。どうして彼は……綺麗でいれるんだろうって」
「僕はこう思ったんだ、彼が綺麗でいれるのは……暗の部分を切り離しているからじゃないかってね」
「つまり彼にの薄汚れた部分は全てハイドが受け持っているから、白石さん自体は汚れていないと?」




