第63話
「僕はね……もう壊したくない……なんて善人ぶる気はないんだ」
「壊すことに……尋問することは嫌ではないんですか?」
家業を嫌った青葉だが、尋問を否定しようとはしなかった。
「大きくなりすぎた組織には、尋問……いや、聞こえがいい言葉を選ぶのは止めるよ。拷問する人間は必要なのは間違いないね。情報が漏れ続ければ、組織は瓦解するんだからね。そこを否定する気はないよ」
拷問を否定する気がないのなら、彼が否定するのは……。
「歌波さんは……笑顔を見た事はあるかな?」
唐突な質問をぶつけられたが、答えは簡単だった。
「あります」
「だったら怒った顔を見た事はあるかな?」
「あります」
「悲しい顔……泣き顔はあるかな?」
「もちろんあります」
三つの顔を言われ、私は次に何が来るか分かった。
笑顔は喜び。怒った顔は怒り。泣き顔は哀しみ。喜怒哀がでたという事は、次は……楽だ。
「悦楽の表情もあるかな?」
「あります」と、答えようとしたが、悦楽の言葉に、口ごもってしまった。
悦楽って、性的な意味で使うことが多いよね?
私はまだ十八歳。
ピュアな乙女だ。キスもまだな純情乙女だ。
悦楽の表情なんて見たことないよ。
ちょっと顔を赤らめながらも、話を止めてしまうのもなんなので、「はい、あります」と答える。
青葉は私の顔の変化に気づかなかったのか、気づく余裕すらなかったのか、触れる事無く、「じゃあ喜怒哀楽の入り混じった表情は見たことがあるかな?」と質問を続けた。
喜怒哀楽が入り混じった表情か……。
喜と怒、哀と楽。
相反する表情だ。
十八年の人生で一度も見たことはない。
そもそも、そんな表情が存在するとは思えなかった。
人の心は単純だ。
喜べば、怒りは消える。悲しめば、楽しみは生まれないんだから。
もし、そんな表情が出せるとするならば、福笑くらいなんじゃないか?
私は、「見たことはないですね」と答える。
青葉はクスッと笑った。
ただその顔には、喜ではなく、哀の感情が表れていたように見える。
「僕はあるよ」と、言うと、ゆっくりと手をほどいた。
陶器のような白い肌には、赤い爪痕が刻まれていた。
痛々しい手で眼鏡を外すと天井を見つめた。
眼鏡と言うバリケードが外された瞳は、隠す事無く悲しみを表に出していた。
さっきの笑みはやっぱり哀だったと分かった。
悲しみに満ちたその目には何が映し出されているんだろうか。
私は無性に知りたくなった。
彼の事を知りたい。
その苦しみを理解してあげたい。
この感情はなんなんだろう。彼のことが気になってしょうがない。この思いはなんなんだろうか……。
鼓動が速くなっていき、思わず胸に手を当てると、青葉が顔を下ろし眼鏡を付け直し、「指をね……」と、呟いた。




