第62話
「ふー」と一息つき、「青葉さんは事件が起きたとき、図書室にいたんですよね?」
「一昨日は……図書室にいたね」
「その時誰かに会いませんでしたか?」
「残念ながら一人だったね」と、餌を食べ終えてしまった子犬のような、物悲しげな表情を顔に浮かべると、「一昨日も授業中だったから、図書室には僕しかいなかったね」と、続けた。
子犬の表情を見て、「そうですか……授業中なら仕方ないですよね」と、思わず肩を持ってしまった。
いかん、いかん。
「何時に教室を出て、何時に教室に戻ってきたかは分かりますか?」
アリバイの確認を進めると、青葉は、「クスッ」と、笑うと、「探偵みたいだね」と、続けた。
そういえば青葉には、私はNESTの護衛だとしか伝えていない事を思い出した。
護衛役がいきなりアリバイ捜査を始めたら、困惑するのも致し方ないだろう。
しかし、笑った事を考えて見ると、青葉は私が護衛ではないということに気づいているんじゃないのか?
鶴賀のように、初めから私が護衛じゃなく、事件の犯人を始末しに来た殺し屋だと言うことに。
まっ、正しくは殺し屋のパートナーだが。
心苦しいが、ここで私はかまを賭けて見ることにした。
青葉が私の招待に気づいているのなら、何らかの反応が出るだろう。
「私は探偵ですからねー」
テンションを上げ言ってみる。
語尾に♪が付きそうな口調で、両頬に人差指を当て、ぶりっ子してみる。
「……」
固まる青葉。
「探偵……で……す……から」
引きつった笑顔で頬に指を当てながら、なれないタイピングを行なうお年寄りのように、途切れ途切れ言葉を発す。
「……そういう設定なの?」
君は護衛でしょや、殺し屋だろと言われると思っていたところに、予想外の設定発言。
予想外の一撃だ。
心が折れダウンしそうだよ。
「設定といいますか……役割の一つといいますか……」
しどろもどろ言葉を紡ぎだすと、「ああ、やっぱり」と青葉が言った。
「歌波さんは護衛じゃなくて……刺客なんだね」
部分的には違うが、概ねあたりと言うところだろう。
やっぱりと言ったところからも分かるが、青葉も初めから私が護衛ではないということに気づいていたようだ。
鶴賀といいこの学園の生徒は、頭の回転が速いな。
「刺客が話を聞きにきたとなると、僕は疑われているのかな?」
組んだ指に力が入ったのが分かった。
警戒をしているのだろう。
それもそのはず。
自分を殺すかもしれない相手と相対しているのだ、警戒しない理由など無い。
私は警戒を解いてもらうためにも、話を続けた。
「はい。けれど青葉さんだけを疑っているわけではありません。生き残った六人全員を疑っています。今はその疑いを晴らすために、容疑者全員から話を聞いているところなんですよ」
「なるほど」と、組んだ手をほぐし、親指を顎にあて考え込む。
「じゃあ無罪を証明するためにも、僕が知っている事は全て話したほうが良さそうだね」
捜査に協力してもらえそうで、ホッとし、「助かります」と、返事をする。
「それじゃあさっきの質問に答えるよ。時間までは正確にはわからないけれど、僕が教室を出たのは、四時間目が始まってすぐだよ」
「それは何故ですか?」
自習だったので、図書室に来たと言うことは分かっていたが、聞いてみる。
「四時間目が自習になったからだよ。自習の時間にやるプリントが少ないときは、いつも図書室に来るんだ」
「青葉さんよりも先に教室を出た人はいますか?」
「いなかったと思うな。僕が一番先に教室を出たんじゃないかな。後ろの扉から誰かが出入りするような音もしなかったしね」
鶴賀が青葉が最初に教室を出たと言っていたので、証言が一致した。
青葉が教室を最初に出たのは間違いなさそうだ。
「それではいつ教室に戻ってきたか分かりますか?」
「えっと、ちょっと待ってね」と言うと、青葉は携帯を取り出す操作する。
「犬山さんから電話が十二時十四分に入っているから、教室に戻ったのは、十七分くらいかな?」
「教室に戻ったときに、他に誰がいましたか?」
「あの時は、廊下に亜弥さんと沙弥さん、先生が二人……三人かな? あと守衛さんが三人いたね。教室の中に犬山さんもいたから、全部で九人はいたと思うよ」
思い出しながら答えているためか、自信なさげな表情を送ってきた。
「あの時は直ぐに教室に飛び込んだから、確信がもてないんだよね」
うん?
直ぐに教室に入った?
亜弥と沙弥は廊下にいたというのにか?
「直ぐに教室に入ったんですか? 映像で見た教室は悲惨な状況でしたが、入ることに抵抗はなかったんですか?」
現場の状況を思い出したのか、「確かにね」と呟くと、黙祷でも送るかのように目を瞑った。
数秒ほどの沈黙の後、青葉は目を開くと、言葉を紡いだ。
「悲惨な現場だったからこそ、僕は躊躇わずに飛び込んだのかもしれないね。あの血の海と横たわった人達を見たら普通は入りたくないよね?」
犬山は平然と入っていたように思えたが、自分はどうだろうか?
必要がなければ、血で汚れた部屋になんて立ち入りたくはないだろう。
「でも僕はあの時、戸惑う事無く教室に踏み込んだんだ。もしかしたら生きている人がいるんじゃないかと思ってね」
「生きている人がですか……」
犬山に見せられた映像を思い出す。
事前知識として、全員死んでいるという情報がなかったとしても、私にはあの教室を見て、生きている人がいるようには思えないだろう。
「失礼ですが、青葉さんは生存者がいるように見えたんですか?」
「いるように見えたというより、いて欲しいという思いが僕を突き動かしたね」と言うと、笑みを浮かべた。
けれど、その笑みからは小動物のような愛くるしさは感じられなかった。
例えるなら葬儀の参列者に挨拶をする未亡人のような物悲しさを感じた。
「歌波さんは、うちの仕事は知っているかな?」
仕事と言うと、やくざだという事を聞いているのではないのだろう。
やくざと言うことではなく、やくざとして何をしているのか。
青葉組は何を行なっているのか知っているかを聞いているのだろう。
私は、「はい」と答える。
青葉組は、尋問を……拷問を行なう組だ。
「なら……話が早いね」
知っているなら話が早いと言ったが、知らないでいて欲しいという思いが、微かな間に表れていた。
「青葉組は尋問を生業にする組だから、跡取りである僕も家業を手伝っているんだ。だから分かるんだよ。人の体の事を。壊し方も……治し方もね」
「……治し方もですか」
だから教室に飛び込んだということなんだろうか。もし生きている人がいるならば、自分には治せるから。
「教室に息のある人がいれば治療できると思い、飛び込んだんですね」
「こんなふざけた技能だけれど、誰かを助けられるのならば、活かしたいと思ったのかもね」
技能を活かしたい。
技能で生かしたい。
素晴らしいことだと私は思った。
この命を奪う力しか持たぬ裏の世界で、生かす力を持っている彼を。
人を生かすなんて、まるで表の世界の人間のように感じた。
私には出来ぬことだ。
生かすことも、表の世界の人間になることも。
憧れたってもう戻る事はできないのだから。
ポイントオブノーリターン。
三年前に私はもう越えてしまった。
戻れなくなった。
素晴らしい技能だけれど、青葉は認めていない、認めたくないのだろう。
だから……ふざけた力と言ったのだろう。
「ふざけた技能なんかじゃないですよ。人を生かすことが出来るのは……素晴らしいことじゃないんですか?」
「素晴らしい? 違うね。僕の医療技術は不自然なんだよ」
「不自然?」
「そう。僕の医術は癒すために行なう医療とは違い、壊すために行なう医療なんだよ。壊すのに何故直す必要があるんだい? そんなの不自然だよ。こんな僕も……こんな僕を育てようとする青葉組もね」
青葉の言葉は微かに震えていた。
「家業が嫌いなんですね―――」
同情するような、慰めの言葉を青葉に向けようとしたところ、「嫌いだね」と言う青葉の即答が返ってきた。
私はかける言葉を間違ってしまった。
上辺の言葉など彼には届かないのだ。
私は治す辛さを知らないのだから。
ここで私が取るべきは、無言だったのかもしれない。
心と言うグラスになみなみに注がれた、青葉組みと言う名の負の液体に、私の上辺の言葉が注がれ、表面張力でとどまっていた負の液体がこぼれ出した。
「好きになろうとしたけれど、ダメだったよ。青葉組は……狂っているんだからね。人を拷問して壊して、情報を吐かせるために治して、また拷問して壊して、また治して、また壊して治して、壊して治して、壊して治して、壊して治して、壊して治して、壊して治して、壊して治して……壊すんだ」
繰り返し何度も言った。
組んだ手に力がこもり、爪が皮膚に食い込んでいた。
私は手を添える。
「手が……痛そうですよ」
青葉の手は驚くほど冷たかった。
「痛くないよ……手は」
手は。
それならば痛いのはどこなんだろうか。




