第61話
青葉は音を立てないように、ゆっくりと扉を開け、中に入っていった。
図書室は広く、二十五メートルほどの長さがあり、その長い部屋の壁にはびっしりと本が配置されていた。
窓際にはカウンター式のテーブルが設置され、中央には六人掛けのテーブルが幾つも並べれていたが、今は誰一人腰掛けてはいなかった。
どうやら室内は無人のようだ。
「今日はみんな下校しているみたいだから誰もいないけれど、昼休みや放課後は生徒で賑わっているんだよ」
図書室には私たち二人だなので、青葉は声を潜めずに話し出した。
「青葉さんもよく利用しているんですか?」
「本が好きだというのもあるけど、ここは静かで耳にも優しいしね。毎日来ているよ」
耳に優しいか。
確かに教室では、ペンの走らせる音から、白石の机を破壊する音が聞える事を考えると、本の捲る音しかしないこの部屋は、耳には優しいだろうな。
穏やかな空気の中、本のインクの香りのするこの図書室で、血生臭い事件の質問をする。
「……事件の日もここにいたんですか?」と。
私の質問を受け、眼鏡の奥で目尻がピクッと動いた。
これは動揺なのか?
それとも突然の質問に驚いただけなんだろうか?
私が考えていると、「そっか……」と呟き、「いたよ」と続けた。
私の質問の意図が分かり、話が長くなると考えたのか、「座ろうか」と言うと、近くのテーブルの椅子を引き、「どうぞ」と進めてきた。
青葉のエスコート受け座ると、青葉は、「少し待っていて」と断りを入れ、持っていた本の一冊を机に置き、もう一冊を本棚に返しに向った。
本棚の前に立つと本を戻そうとするが、目的の段が高い場所にある為か、背伸びをし、手を伸ばすがなかなか戻せずにいた。
確か青葉の身長は……百六十二センチだったな。
座った席の近くに踏み台を見つけたので、青葉に渡しにいこうかと思ったが、必死に背伸びをする青葉が可愛らしく、見届けたい思いに駆られ、見守り続けた。
可愛いな。
青葉を見ていると、届かない猫じゃらしに立ち上がって前足を伸ばす猫を思い起こされた。
本当に可愛い。
今写真撮っちゃダメかな?
失礼かな?
ポケットの中の携帯に手を伸ばし葛藤していると、本が棚の隙間に納まったのか、青葉の指先からハードカバーの本が離れ、笑みがこぼれた。
「……くうー……」
歯を噛み締め声がこぼれそうに鳴るのを必死に耐える。
今の表情はめちゃくちゃ可愛いな。
写真を撮って待ち受け画面にしたい。
写真を撮らなかった事を悔やんでいると、青葉が席に戻ってきて、「お待たせ」と、微笑んできた。
本を戻せたときの無邪気な笑みとは違い、落ち着いた笑みだったが、子供が大人ぶっているようで、可愛くてしょうがなかった。
「待たせちゃったね」と言うと、テーブルに手を置き、指を組み、本を返すのに手間取ったのが恥ずかしかったのか、苦笑してくる。
良いものを見せてもらえたんだ、あと二十分くらい待たされたとしても、怒る事はまずないだろう。
もしこれが鶴賀だったら……三秒でイライラしていただろうが……。
「大丈夫ですよ」と、答え、青葉の顔を見つめる。
小柄な体格に合った、小さな顔にサラサラの黒髪とフレームのない眼鏡が良く似合っていた。
髪は鶴賀や白石とは違い、ワックスで固めていないようで、顔が動くたびに毛先が揺れていた。
顔つきや髪型も相まってか、鶴賀や白石のような肉食獣を連想させる風貌ではなく、小型の草食動物を連想させる風貌だった。
例えるなら……柴犬かな?
ちなみに鶴賀はハイエナで白石は熊を連想さられた。
「……」
愛らしい顔立ちに見とれていると、「どうしたの?」と、青葉が顔を覗き込んできた。
近い。
うわっまつげがくるんと上を向いているよ。
私なんかビューラーを使わないと、上を向くこともないというのに。
「あっ、いえっ、あの……」と、しどろもどろに答えを探していると、青葉が口を開いた。
「歌波さんは、僕に話があるんだよね?」
「あっ、ハイっ」
慌てて返事をし、私は事件の捜査に来ていたという事を思い出し、表情を引き締める。
どんなに可愛くても、彼も容疑者の一人だ。
いくら可愛くても彼も疑っていかなければならないんだ。
可愛くても……彼が十六人の人間を殺した殺人鬼なのかもしれないんだから。




